ファラウェイ・ホライゾン
派手に波飛沫を跳ね散らかしながら、マングスタ級パトロールボートはまっしぐらに海上を突き進んでゆく。外洋を行くには小さく非力な哨戒艇だ。軽く機敏ではあるが、大波を掻き分けるほどの力はない。
ジュニパーの操縦で大波小波を器用に避けながら船は東へと向かっている。
南大陸を離れてすぐから、波は高くなって風も出始めた。海に落ちないよう船室内に入っているけど、細かい飛沫が入り込んで、早くも服はずぶ濡れだ。気温は高いので風邪を引く心配はないかもしれんが、湿度も上がっているので快適には程遠い。
「みんな、つかまって!」
「ぬうぅっぉおぉぉ……⁉︎」
操舵で避けきれない波は、そのまま突っ切るしかない。船体が飛び上がって、胃袋が持ち上げられるような浮遊感の後、数秒の間を置いて着水した。
「あははははは! ふたりとも、だいじょぶーッ⁉︎」
「ああ! スゲーがんばってくれてるな! あたしたちには似合いの船だ!」
「そうだね。ぼくも好きだよ、“じゅべちゅだ”!」
「わたしも!」
「たぶん、“Zvezda”な。あとそれ、船じゃなくてエンジンを作ったとこの名前だぞ?」
「ずべちゅだ?」
うん。いえてない。でも、なんかそっちの方が可愛いからいいか。
それより、さっきからミュニオとジュニパーがあちこちに視線を投げているのが気になる。
「もしかして、なんかいる?」
「うん。海妖魔豹、かな」
セルキー。知らん名前だ。ここは安定の物知り博士、ジュニパー先生に訊くしかない。
「なにそれ」
「アザラシの魔物だよ。ひとに化ける……っていうのかな、皮を脱ぐとひとの姿になるの」
「それは……ひとなのでは。皮を被っただけで」
「そういう説もあるよ。北方の住民は、アザラシの皮で作った服を着るからね」
「でも、ひとが皮を被ってあの速さでは泳げないと思うの」
ミュニオにいわれて海面を見たあたしは、瞬時に納得した。体長二メートルほどアザラシがひょいひょい飛び跳ねながらパトロールボートに並び掛けようとしている。
「……ありゃ完全に魔物だな」
ひとが泳ぐ速度どころか、ふつうのアザラシより遥かに速い。ほとんどイルカくらいの速度。あと海面下でもわかるくらい明るく、青白い魔力光を引いている。
「襲ってくるかな?」
「たぶん大丈夫。セルキーは大人しい性格で、魚が好き。メスは人間の男と、オスは人間の女性と恋に落ちたっていう伝説があるんだって」
「「へぇ……」」
「脱いでおいた皮を、ひと目惚れした人間に隠されて、人里で暮らして子供を作るの。しばらくは幸せに暮らすけど、たびたび寂しそうな顔で海の彼方を見る。あるとき子供が隠してあった皮を出して来て、それを見たセルキーは海に帰っちゃう」
「お、おう……」
人魚姫みたいな感じかと思ったら、かぐや姫的なストーリーだった。いくぶん生臭そうな天の羽衣の。
それぞれが幸せになろうとして、誰も幸せになれない話。教訓的な要素を含んでいるのかも知らんが、それにしてもどうにかならんもんかね。
「その話の趣旨は……なんだろな。“盗んで騙しても幸せになれません”、とか?」
「“縛り付けても貴方の物にはなりません”、だと思うの」
「う〜ん、“惚れたらちゃんと口説きなさい”、じゃないかなあー」
受け取ったものは三者三様。なんとなく生き様が関係してる気がした。
当のセルキーたちはといえば、キューキューと楽しそうに鳴きながら船の周りを飛び跳ねて付いてくる。可愛いけど正直、そんなに知能が高そうには見えない。あれで脱いだらスゴいのか?
「“この先は危ない”って、いってるよ?」
「え」
ジュニパーの言葉を裏付けるように、セルキーたちは振り向きながら右方向に進路を変えてゆく。そう急いでる風でもないのにパトロールボートに先行しているのが速力の余裕を感じさせる。この船、サイモン爺さんによれば最高時速五十ノット……九十キロ以上の高速艇らしいんだけど。
「危ないって、魔物? 海賊? それとも、軍隊とか?」
「暗礁だと思う。“船が壊れる”っていってるから」
ジュニパーは速度を少し絞って、セルキーたちの示した進路をトレースする。
途中で左後方に白く泡立った波が見えて、本当に暗礁地帯があったことがわかる。遠くにいくつか歪な小島みたいなものがあるのは座礁した大型船の残骸のようだ。
しばらくすると、セルキーの群れは“もう大丈夫”とばかりにジャンプして離れていった。
「ありがとー!」
「またなー!」
友好的な魔物との出会いは、あたしたちの気持ちを明るくした。この旅が楽しいものになりそうな予感。
彼らと別れてからしばらくすると、最初の島が見えて来た。ソルベシアのある南大陸を出発してから、一日半。距離にして、千キロくらいはあったか。
切り立った高い岩山が中央にあって、裾野には鬱蒼とした森が広がっている。面積は島というには大きく、大陸というには小さい。気候は亜熱帯。ソルベシアより空気が湿っていて、雲が低い。
あそこはどんな環境で、どんな生き物がいて、どんな暮らしがあるんだろう。あたしたちはそこでどんな出会いを、どんな戦いを経験をするんだろう。
「ねえ、シェーナ。ミュニオ。ぼくたち、帰って来たね」
クスクスと笑いながら、ジュニパーがあたしたちを抱き締める。
もちろん、目の前に見えているのは初めての土地だ。それも未知の、もしかしたら前人未到の。
「うん、そうだな」
「もう一度、ここから始めるの。何度でも、繰り返すの」
それでも、あたしたちは理解した。ジュニパーの気持ちを。そして自分たちの気持ちが、完全にシンクロしていることを。
ミュニオが抱擁を返し、あたしもそれに応える。
「生きてるって、感じられる日々を」
続く余地を残していますが、これで一旦終了とさせていただきます。
彼女たちの今後を書きたいけれども、絶対に10万やそこらじゃ終わんないし……
ここまでで文字数56万6,976文字、お付き合いいただき本当にありがとうございました。
そして感想280件。大変励みになりました。
また別の物語でお会いしましょう。




