追い縋る澱
「道に出たみたいだよ〜」
しばらく走ったところで、ジュニパーがペースダウンしながら振り返る。
周囲は相変わらずワッサワサの森だけれども、王城から離れるうちに緩急というか濃淡というか、ところどころ木の生えていない場所が現れるようになっていた。
その間を縫うように続いているルートを指しているのだろうが、獣道に産毛が生えた程度のものだ。
「道……か?」
「うん。けっこう行き来があるみたいだよ。ほら、下草が倒れてる」
いわれてみれば、だな。青々した雑草が踏まれて折れた状態になってる。起き上がりかけのもあることから、そんなに時間も経っていないようだ。
ジュニパーが草に顔を近付け、すんと鼻を鳴らした。
「シェーナ、これ……クルマの臭いがする」
「車? いや、それはないだろ。こんな狭い道、つうか森の隙間に乗り物なんて入れっこねえよ」
「ううん、ジュニパーが正しいの。あの音」
「音? あたしには、なんも……」
頭上の木の葉を揺らす風のざわめきに混じって、微かにエンジン音らしいものが聞こえてきた。
その音は、しだいに大きくなる。いや、遥か彼方から、凄まじい勢いで近付いてくる。ルート上を移動してるのだろう。こっちに、突っ込んでくる。ジュニパーの全力疾走じゃあるまいし、森のなかをそんな速度で移動できる車なんてあるわけない。でもまあ、予想はついた。
「たぶん、避けといた方がいいね」
ジュニパーが人型に変わりながら、あたしたちをお姫様抱っこで道端の茂みに降ろす。
木の幹を遮蔽にして、それぞれに銃を構えた。あんなものに乗ってるなら転移者かその知り合いなんだろうが、それで無条件に味方と思うほど幸せな生き方はしてはこなかった。
木々の隙間を縫って飛び出してきたのは、思った通りオートバイだった。細身で軽快そうな、山道を走るようなタイプだ。それは派手に尻を振って泥と草を跳ね上げながら、十メートルくらい先で停止する。
乗っていたのは、髪の長い女。無表情でこちらを見据えたまま、向けかけた銃を革帯で背中に回す。
「……魔王の徴? ……なにも、こんなときに……」
呟きとともに、苛立ちが伝わってくる。冷え切った感情と、凍えそうな殺気も。
さっきのコメントからすると、毎度お馴染みの“魔王”のお仲間なんだろう。ヤダルさんとは違う意味で、ヤバい奴だってことは、鈍いあたしでもすぐにわかった。あの虎姐さんが棍棒でぶん殴ってくるような殺気だとすると、こいつは前置きなしにナイフで抉ってくるような殺気だ。
その大小や強弱は誤差でしかない。向けられたら等しく死ぬ。
「……なんか、すげー怒ってないか?」
「ぼくらに?」
「違うと思うの。たぶん、気が立ってるだけなの」
うん。問題は、こんな化け物レベルの女を苛立たせるような存在が何かってことだ。
「逃げて。ここにいたら、死ぬ」
対処に迷っているこちらを無視して、チラッと後ろを振り返った彼女はあたしたちを追い立てるような仕草をした。言葉だけ聞けば気遣っている風でもあり、口調からすると虫ケラを振り払ったようでもある。
「逃げる、って……何から?」
「ミキマフ」
「え? いや、あいつは死んだぞ?」
「知ってる。だから厄介」
この女も、ミュニオに似て言葉が足らない不思議ちゃん系か。おまけに無愛想なのも加わって、それ以上の情報は得られそうにない。
「この道、約八十キロ先。生きてたら、また」
それだけ言い残すと、用は済んだとばかりに女はバイクを発進させる。ポカーンとしていたあたしの隣でジュニパーとミュニオが慌て始めた。
「どうした?」
「何か来る。シェーナ、乗って!」
再び水棲馬形態になったジュニパーが、あたしを咥えて背中に放り上げる。今度はあたしが前で、ミュニオが後ろに座った。たまたま、ではない。彼女はもう射撃態勢に入っている。
「ジュニパー、全速力で逃げるの」
「わかった! 頭下げて、つかまってて!」
血の気が引くような急加速が始まって、あたしは悲鳴を押し殺す。
小道だか獣道だかといったところで、歩きの人間がようやく通れる程度のものだ。超高速でぶっ飛ばされると密林のなかを突っ切るに等しい。ただ乗ってるだけの身では、邪魔にならないようにする以外できることなどない。あたしはジュニパーの首にしがみついたまま、おとなしく固まっておく。
ときおりミュニオが後方を撃っているのは聞こえたけれども、あいにく振り返る余裕はない。
「追いついた!」
「いいから、先に行って!」
さっきの女がバイクをかっ飛ばしながら、こちらを振り返って叫ぶ。みんな何をそんなに焦っているのかと後ろに目をやったあたしは、その光景に思わず息を呑んだ。
「なッ⁉︎」
木々をへし折り掻き分けながら、何かよくわからんものが追ってきていた。
距離があり過ぎ、森が鬱蒼とし過ぎで全体像は全く見えないけれども。木々の隙間からチラッと見えたのは、巨大な緑色の顔に満面の笑みを浮かべた、偽王ミキマフだった。
「早く!」
「わ、わかった!」
女の声に急かされて、ジュニパーがバイクを横から抜き去る。狭い道の端に避けてくれたせいで、バイクの速度が落ちる。追いつかれたら食われるのか潰されるのか知らんけど、無事で済むとは思えないのに。
追い越したジュニパーが加速し始めると、バイクは少しずつ離れてゆく。
水棲馬との速度差はタイヤと脚の違いだろう。石やら木の根やら土地の起伏やらで激しくデコボコしている森のなかを、バイクで走り抜けられる方が驚きだ。それより何より、あんなワケわからん代物に追いかけられてる最中、他人に道を譲れる度量がスゲえ。
「なあ、あれ……なんだよ⁉︎」
「「ミキマフ」」
ジュニパーとミュニオの声が揃った。それは、あの女からも聞いたし、自分の目でも見たけれどもさ。
そんなわけないじゃん。あの奈良の大仏サイズの緑色がミキマフって、あいつバラバラになって植物に変わったじゃん。もうチョイ説明してもらわんとビタイチ理解できん。説明されたところで理解できん予感もあるが。
「……傀儡、だと思うの」
ミュニオが追加情報を出してくれた。案の定、聞いてもわからん。物知り博士のジュニパー先生に訊くのはナシだ。彼女はいま全力疾走中なので、ここで気が散ってもらっては木やら岩やらに激突しそうで怖い。
「止まって!」
後方から女の声が聞こえて、ジュニパーが減速する。停止直前になって、上空が暗くなった。いきなり横から吹き飛ばされて、ジュニパーが草むらに突っ込む。放り出されこそしなかったものの、逃げ切れる望みは薄くなった。
「つかまっててよ、ふたりとも」
直前までいた位置に突き刺さった巨大な腕が、手探りであたしたちを探している。視界外にいるせいか、緑のミキマフ本体の視力や感覚器が鈍いのか、すぐ傍の茂みに隠れたこちらを認識してはいない。
すぐに追いついてきたバイクの女が、アクセルを吹かしながら腕の横をすり抜ける。一瞬遅れて電車ほどもある緑の腕が、粉微塵に切り刻まれて崩れ落ちた。
「……風魔法? あのひと、エルフ⁉︎」
「ついてきて、早く!」
遠ざかる女の声が、道の先から聞こえてきた。再び走り出したあたしたちの背後で、地鳴りのような咆哮が轟く。ミキマフだ。死んだはずの偽王が、怒りと憎しみの塊となって追いかけてくるのがわかった。




