精霊の声
――いつから、だっただろう。精霊の声が聞こえなくなったのは。
幼少期には声を掛けるだけで数百の精霊が集まり、下位精霊の発する数千の光が舞い踊ったものだ。周囲には神童ミキマフともてはやされ、これぞソルベシア王族の血、まさに王の器と褒め称えられたのだが。
気付けば、ここにいる。
朽ちかけたボロ船の、吹きさらしになった甲板に。
新生ソルベシア王国旗艦、エルドソルブス。この地に伝わるエルフの古語で、“楽園の栄光”だったか。
これが栄光だとは、キツい皮肉もあったものだ。
「陛下」
振り返ると、屈強なエルフの武官イエイルズが平伏していた。
ソルベシアには希有な戦強者であるが、その声には珍しく焦りがあった。
「……来たか」
「はい。港湾要塞からの連絡で、“災禍の種”がマーカムを沈めディルレィを森に変えたと」
マーカムは元は帝国海軍が旧ソルベシアからの収奪のため利用していた最新艦。いまとなっては老朽艦だが、新生ソルベシア海軍が持つ最大の輸送艦だ。
ディルレィはソルベシアに降った帝国の海軍将兵が持ち込んだ輸送艦で、投石砲による戦闘能力があったはず。乗り込む水兵も命知らずの強兵揃いだったはず。だが戦力評価だけではどうにもならないこともある。
「“恵みの通貨”を使ったのだな」
「間違いありません。その後、マイエル岩礁でも森が生まれたと、有翼族からの報告がありました」
死の森を生み出しつつ近付いてくる“災禍の種”、滅びた王家の血を引く機能特化エルフ。
ミュニオ・ソルベシア。
自分と同じくソルベシア王家の傍流、イーケルヒ王国の生き残り。ずいぶんと惨めな下位同士の争いなのだが。それでも譲れないものはある。
「勝てるか」
「は。しょせんは余所者。地の利と兵力的優位はこちらにあります」
イエイルズは、そういって静かに微笑む。口では余裕を示しつつ、その実どこか落ち着いた目には勝っても負けても構わないという諦観があった。
この男は……いや、ソルベシアの数少ない武人たちは、誰もが死に場所を求めていたようなところがある。過剰なまでの忠義は感じていたが、必ずしもそれが自分に対するものではないことも理解していた。
きっとエルフによる楽園の自治を掲げた“新生ソルベシアの理想”に殉じるのだろう。
恵みを使い果たして枯れ果て、帝国に蚕食された土地。隷属することに慣れ媚び諂う浅ましさが身に染み付いた民。土地は魔王により奪還され恵みは真王ハイダルにより再生されたものの、“命の森”を下げ渡された誰もが持て余した。誰ひとり、維持することなどできなかった。その意欲も、才覚もなかった。
この地に王は必要ないと言い残しハイダルは去っていったけれども。自らの頭で考えることすら放棄したソルベシアの民に、森を守ることなどできるはずがない。
器に合わぬものを手に入れたところで、待っているのは破滅だけだ。
◇ ◇
「敵は魔道具を積んだ小舟。ここは海戦となりましょう。陛下は王城で吉報をお待ちください」
有無をいわさぬ態度で踵を返すと、イエイルズは副官に抜錨を指示する。
「“災禍の種”が来るぞ。襲撃艇を出せ! 敵の魔道具は鉄盾で止めさせろ!」
「は!」
それでどうにかなる威力なのかは不明だ。どのみち当たってみなければわからない。帝国にもソルベシアにも、奴らに当たって生き残った者がいない現状であれば尚更だ。
効果がなければ死ぬだけのこと。勝てるかどうかも問題ではない。しょせんミキマフ王の部下たちは、死ぬためにいるのだ。
「陛下は」
「港に戻られました。兵をまとめて、城に向かうと」
報告してきた兵と入れ替わりに、ミュニオ・ソルベシアの船が向かってきたとの報告がある。舷側に出て湾の入り口を見ると、向かってくる航跡が目に入った。小舟の大きさは襲撃艇と大差ないようだが、速度は二倍以上はある。
「よし、魔導機関始動! 両舷遠雷砲魔力充填!」
「は! 魔導機関始動! 両舷遠雷砲魔力充填!」
砲艦の船尾で魔導機関が巨大な唸りを上げる。膨大な魔力を喰らって推進力に変える、西方大陸からの輸入品だ。
この艦が沈めば、ミキマフ王に残った戦力は陸兵が三百。半分近くは各地に分散した砦の防衛部隊と補給部隊、となれば王城の正面戦力は百を切る。
「ここが分水嶺か」
小舟からの凄まじい攻撃を受けて、早くも襲撃艇の一隻が漂流し始める。残る三隻は散開して攻撃の機会を狙っているようだが、そんな余裕はない。一刻も早く敵の足を止め武器を押さえない限り、一方的な殲滅で終わる。
「右舷遠雷砲、斉射用意! 襲撃艇に当たっても構わん!」
「斉射用意よし!」
「発射ッ!」
右舷十二門の遠雷砲が発射され、雷鳴と稲光が海上に弾けた。




