滴るもの
「すごいねぇ……ホラ、まだムクムクしてるよ」
日が暮れる前に上陸したあたしたちは、薄暗くなりかけた水平線近くで揺れる緑の塊を眺めていた。
「緑の小島か……遠くから見るとメルヘンだな」
実際には人喰いの樹に寄生された岩礁だ。災害級の魔物、災渦潮流を飲み込んだ“恵みの通貨”は、小一時間は経ったいまも成長を続けていた。なんぼなんでも海岸までは届かないだろうとは思うけどな。
自分に被害がない限り、森がどんだけ広がろうと構わない。むしろ夕映えに染まるブロッコリーのようなシルエットは見ていて楽しい。
そう伝えると、ミュニオは少し困った顔で笑った。
「なあジュニパー、軍港って、どのくらい先かな」
「あのとき二百四十キロっていってたから……どうだろ、約百三十キロくらい?」
代々エルフの王に仕えてきた忠臣の末裔……絶対信奉者だっけか。あの土下座集団によれば、そこは旧ソルベシア王国の商都。占領後は帝国海軍の軍港と略奪物資の集積場になっていたようだ。
現在どうなってるかはわからないが、なんにせよ敵地だ。
「今夜は、この辺で野営だな。明日は天候次第で、どうするか決めよう」
「そうだね」
「わかったの」
陸路か海路の二択は、一長一短で迷う。パトロールボートの方が重武装だけど、航行中の音も図体もデカい。遮蔽のない海面を近付くことになるので、発見されず元商都に侵入するなら陸伝いに移動した方が良い。水棲馬形態のジュニパーなら速度も機動力も万全だ。
乗ってて少し怖いけどな。
「お腹減ったね」
「あたしもだ。なんか温かいものを食べよう」
大鍋を出しながらいうと、ジュニパーとミュニオも嬉しそうな顔をする。
この大陸はずっと温暖で、ソルベシアに入ってからは北上するごとに湿度まで上がってきている。とはいえ、潮風って案外冷えるのな。海水まで被って、風邪引きそう。
「火を起こすなら、そこに灯りを隠せそうな場所があるの」
ミュニオが指したのは、海岸から二十メートルほど内陸に進んだところにある岩場。海面より十メートルほど高くなっているから、潮が満ちても水没することはなさそう。
エリの親父さんと会ったときに知ったけど、暗いなかで火を焚くと思った以上に遠くから目に付く。周辺に敵対勢力がいるかもしれない状況では可能な限り避けといた方が良い。
「じゃあ、真っ暗になる前に……あ、待って」
ジュニパーがどこかに駆けて行って、すぐ戻ってきた。両手に数本ずつ、大きな木の枝を持っている。
「これは?」
「煙とか光を遮るのに良いかなって」
なるほど。枝が広く葉が厚く、しかも密生した感じの枝だから案外いけるかも。
煙が立つ焚き火はやめて、加熱はガソリンストーブ。火は絞り気味にする。手早く刻んだウサギ肉と根菜類を寸胴に突っ込んで煮込み、スープストックで味付きの乾燥ミックスベジタブルをザラッと入れる。
カレーやガーリックパウダーは匂いが強いので、敵地の近くでは念のため避けておいた。
「美味しいの」
「“にんじん”、いっぱい♪」
あたしたちは暗がりで寄り添いながら食事を取る。具沢山スープとクラッカー。器の中身はあんま見えんけど、味は悪くない。身体を内側から温めると、気持ちも上向いてくるというもんだ。
「ここから先、隠れながら進むとしたら携行食になるかもな」
「大丈夫だよ、シェーナ。どこか敵の拠点を占拠したら、しばらく休めるよ」
「ジュニパー隠れる気ないだろ」
「……あんまり」
ミュニオが笑いながら、でもジュニパーの意見に賛成する。
「わたしたちなら、守るより攻めた方が安全だと思うの」
「う〜ん……たしかに、そうかもな」
食後のお茶を飲んでいると、ミュニオとジュニパーがモゾモゾし始めた。
「どうした?」
「妙な気配が近付いてきてる。なんだろ」
「魔物? それとも敵?」
キョロキョロしていたふたりが周囲を警戒しながら首を傾げる。ポタリと水滴が落ちる音に、目を上げると、隠れていた岩の上でいくつもの目が光っているのが見えた。暗闇のなか、あたしと視線が合った気がした。
押し殺した唸り声と飛び掛かってきそうな気配。大型リボルバーを抜きかけたあたしに気付いてミュニオとジュニパーが叫んだ。
「「シェーナ、だめッ!」」