波の上の螺旋
救出したエルフたちを降ろした後、あたしたちはパトロールボートで北上を始める。
海岸線がかろうじて見えるくらい距離を取って、ジュニパーはテオってオッサンに教わった“急いでないときの速度”、巡航速度を維持していた。
「それじゃ目的地は、その半島かな」
「だね」
エルフたちから聞いた元軍港やら元商都やらがどうなってるのかも、港湾要塞からの連絡方法があるのかも不明だ。なんにしろ向かう先は新旧敵対勢力の占領地なんだから、敵が待ち受けてる前提で考えた方がいい。
「なあ、ジュニパー。二百四十キロって……この船だと、どのくらい掛かる?」
「この速度だと六時間弱、急げば三時間くらいかな」
急ぐ必要はない。それは、ジュニパーとミュニオも理解してる。あんまり飛ばすと燃料の消費も激しいだろうしな。彼女たちが気にしてるのは時間じゃなく、時刻だ。
「急がないと、到着する頃には日が暮れてるの」
それな。いっそ夜の闇に紛れて襲撃するのはどうかと思い付きで提案してみたけど、ジュニパーにやんわりと止められた。
「敵を混乱させて掻き回すだけならともかく、乗り込むには危険も大きいよ。初めての場所だから、地の利は向こうにある。安全な方法を取った方が良いんじゃないかな」
「うん。ジュニパーが正しいな。急ぐのもナシ。このままの速度で進んで、夜になったらどこかで休もう」
北上するうちに、ボートの揺れが大きくなってきた。単に速度が上がったせいかと思ってたけど、波が高くなってる気がする。東側の水平線近くに、暗い色の雲が低く厚く垂れ込めている。
「あの雲、嫌な感じだな」
「こっちに来そうなの。この湿って生温かい風、少し荒れるかもしれないの」
「うへぇ……」
波飛沫が掛かるので、あたしとミュニオも後甲板の見張りを切り上げ操舵室に入る。しばらく視界は前方だけになるけど、敵は帆船だから速度と武装を考えて後ろから追いつかれる心配は少ないだろう。
いくぶん跳ねながら航行するパトロールボートの船内で軽く食事を取り、水分も補給しておく。火は使えないので携行食と菓子類とペットボトルのミネラルウォーターだ。
「ジュニパー、燃料はどのくらいある?」
「大丈夫、まだ最初の目盛りくらいしか減ってないよ」
我らが操舵手は、並んでいる計器のひとつを指す。燃料はディーゼルで、タンク容量は二千リットルだそうな。船の燃費なんて全くわからんから、どのくらいで給油の必要が出てくるのかは読めんけどな。
「半分以下になったら補充しろって、テオさんはいってたよ。修羅場ってのは、気付いたときには突っ込んでるもんだからって」
妙に含蓄に富んだ話だな。あの爺さんの護衛なんだから、そらオッサンも波乱万丈な経験を積んできたんだろうさ。
「“ずべちゅだ”、っていうんだって」
「なにが」
「ホラこれ、この船の、“えんじん”作ったひとの名前だって」
ひとというか、会社な。ジュニパーの指す先には、諸元を記入したネームプレートがある。英語じゃないので正確にはわからん。ズヴェツダ、と読むのかな?
「……ジュニパー」
振り返るとミュニオが小首を傾げ、遠くを見るような目をしていた。
視線は窓を向いていない。あたしには知覚できない何かを察知しているようだ。
「右手の遠くに、何かいるの」
さっき見た、暗雲が広がっていた方角だ。でも雰囲気からして、彼女が気にしているのは天候ではないような気がした。
「敵? ぼくには見えないけど。避けられそうな相手なら、航路を岸辺側に寄せる?」
「何なのかまでは、わからないの。でも、生き物だとしたら、かなり大きいの」
「……え? もしかして、それ、海棲の魔物?」
自分は水棲馬だというのに、ジュニパーは少し困った顔をする。
前にもヒッポなんだか……海棲馬という彼女のお仲間がいるって話は聞いた。ただジュニパーさん他の魔物とは面識はないみたい。人当たりはいいのに、魔物にはいくぶん苦手意識を持ってるっぽくもある。
「なあミュニオ、それって海中?」
「そうなの。ゆっくり、近付いてきてるの」
重機関銃が効く相手かな。他には船内に、DP-64という敵ダイバー掃討用のグレネードランチャーが装備されてる。巨大な魔物に有効かといわれると、どちらも正直ちょっと怪しい。
荒れた海面がうねる。ジュニパーが大きく舵を切って、エンジンの出力を上げる。大きな波に乗って船体が持ち上げられる。東側の海面で、巨大な渦が巻いているのが見えた。直径は数百メートル、いやもっとか。
「あの渦の下に、何かの魔物がいるのか。それとも……」
「違うの。あれが、魔物なの」
「うええぇ……もう、冗談でしょ? こんなところで?」
ミュニオの声に、逃れようと必死で操縦しながらジュニパーがゲンナリした声を上げる。彼女たちの知識は、その魔物の正体を導き出したらしい。
「なんなんだ、あれ?」
「災渦潮流。なんでも呑み込む渦潮の怪物だよ」




