揺れる戸板
操船に駆け回っていた水兵たちが、甲板に降り立ったあたしたちを見て警戒の叫び声を上げる。
「後甲板に敵襲!」
「敵襲ぅーッ!」
「水兵抜剣! 殺せ!」
とりあえず船を止めたい。帆桁は大き過ぎて持て余しそうだ。操縦機能はどこにあるかわからん。あたしは風を孕んで推進力を生み出している帆布を収納で奪う。船の後方にあるデカい帆は消えたが、残りは距離があって上手くいかない。前方に向かおうにも、そこには水兵たちが曲刀を抜いて身構えていた。
「ああ、もう……捕まってるひとたちは船倉か⁉︎」
ショットガンに小粒散弾を装填しながら、あたしは傍らのミュニオに尋ねる。
少し探るような表情で船のあちこちを調べていたミュニオが苦悩の表情で首を振る。
「……いないの。たぶん、向こうの船だと思うの」
「じゃあ、離される前にあっちを止めなきゃな。なにか方法はないか」
「待ってて」
彼女はカービン銃を五、六発、並走する大型帆船に向けて発砲する。後方で混乱があったように見えるが、二百メートルほど離れていて状況はわからない。
「操舵輪は破壊したの。でも、帆を潰さないと船足までは止められないの」
「さっさと乗り移る……いや、こっちも動きを止めなきゃダメか」
いまのあたしたちに、こんな巨大なものを確実に破壊する方法はない。容量的な問題か、収納にも弾かれた。ショットガンで穴を開けたところで無意味だろう。
「ミュニオ、援護を頼む。ジュニパー、帆の近くまで乗っけてくれるか」
「わかった」
水棲馬の姐さんはあたしを背に乗せるとすぐ、真っ直ぐ水兵たちに突っ込んで撥ね飛ばす。そのまま前方に駆け抜けて舳先までの敵を一掃した。
あまりの速度に収納が間に合わない。下側の三枚と舳先の一枚は奪ったが、上の方にある四枚がまだだ。折り返して船尾に向かうジュニパーは器用に舷側を蹴って帆桁を駆け上がる。すべての帆布を奪い取って着地した頃には、甲板の敵は一掃されていた。
船内から増援が上がってくるものの、帆桁だけになった上甲板を見てポカンと呆けた顔になる。
「なんだ、手前ぇら!」
「我が名は、ミュニオ・ソルベシア。お前たちが奪った、我らの民を返してもらう」
凛としたミュニオの声に、兵士たちが背筋を強張らせる。腰の曲刀を抜く者もいるが、こちらに踏み出そうとはしない。
「勝手なことほざいてじゃねえ! あれはソルベシアの王が売り払った、俺たちの商品だ!」
この場の指揮官と思われる、老齢の男が吠える。少し整った格好にツバ付きの帽子。どちらもボロボロで、薄汚れていた。もしかしたら何十年か前には海軍士官だったのかもしれんが、下卑た表情も伸び放題のヒゲも、いまでは完全に海賊に成り下がっていた。
「私欲のために、偽王の讒言に乗せられたか」
「死んだ国のお飾りが何だろうと知るか! 奪ったもんはこっちのもんだ!」
ミュニオは静かな表情のまま男を見据え、拳を握り締めた。彼女の考えは、あたしにもわかる。自分が無力なせいで、いままで無関係なひとたちが虐げられてきたのだと思っている。
自分のせいじゃないのに。それでも彼女は責任を感じずにはいられないのだ。自分への被害なら何でも許容するだろうけど。他人のことには譲れない。
「己の愚かさを、水底で悔いることになろう」
ミシッと、妙な音が鳴り始めていた。ふと甲板の隅に目をやると、あちこちに転がった水兵の死体から緑色の光が漏れ出し、紐みたいのが周囲に伸びてくのが見えた。
……なんだ、あれ。魔力光は何度も見てるけど、あの青白い光とは色も雰囲気も違う。嫌な印象はないが……嫌な予感はする。確信に近い警報が頭のなかに鳴り響く。
「ま、待て! おい! 半獣どもの檻は向こうだ! この船には、いねえ!」
悲鳴のような声を絞り出して、必死に抗弁する指揮官。こいつも、ソルベシアを生んだ光景を目にしている世代か。
「シェーナ、ジュニパー」
兵士たちに目を向けたまま、ミュニオが泣きそうな声であたしたちを呼ぶ。
「もう、無理なの。……お願い、逃げて」
「え」
「力が、止められないの。感情に流されちゃう。わたしのことは、いいから……」
「いいわけあるか!」
ジュニパーに目配せして、ミュニオを掻っ攫う。無理やり馬の背に押さえつけて、あたしたちは甲板を走り出した。
「なあ、ここに捕まってるひとはいないんだよな⁉︎」
「ぼくが感知した限り、船内の者はみんな敵意を持ってる!」
「そんじゃ脱出!」
「あああああああぁ……ッ!」
あたしの腕のなかでミュニオが暴れだす。振り解かれないように必死に押さえ込むけど、ちっこい身体からは信じられないほどの力で、しまいにはおかしな緑の光が溢れ出して焦る。
「ミュニオ!」
「シェーナ、つかまって!」
舳先からジャンプしたジュニパーが海面を走り出す。ビクンと痙攣したミュニオが、短い悲鳴のを上げて仰反る。
「うぉい!」
ぽふんと爆風のようなものを感じて振り返ったあたしは、背後の光景にあんぐりと口を開けた。
船から、ジャングルが生えてた。
「なん、だ……そりゃ……⁉︎」
たしか、“恵みの通貨”だっけか。死体を元にして、森を生む力。ソルベシアの本当の王族だけが持ってる力だ。動き出したら誰にも止められない災厄。ドラゴンと変わらんほどの脅威だとか、ヤダルさんはいってたような。
「すごいよ、ミュニオ。やっぱり、王族の力を持ってるんだ」
「……こんなの、……欲しく、なかったの」
そらそうだよな。前いた世界でいえば、権利も自由も住む場所も家族も奪われた上で核兵器のスイッチだけ渡されたみたいなもんだ。復讐は果たせるかもしれんけど、どのみち幸せにはなれない。
「シェーナ、あっちの船の帆を奪える⁉︎」
「近くまで飛んでくれたら、やってみせる!」
「わかった! 真ん中の、上を突っ切るよ!」
もう一隻の船に全速力で突っ込んでいったジュニパーは、大きく力を矯めて海面を蹴る。
飛行機の離陸みたいな重力加速度が掛かって、あたしはプルプルする頬を歪めて笑う。笑うしかない。じゃなきゃ怖くてチビリそう。
「収納!」
気合を入れて叫ぶと、目に入る限りの帆を手当たり次第に奪った。距離があったせいで、船尾と船首にいくらか取りこぼしがある。船を飛び越えたジュニパーは海面を走りながら、大きくターンして再び船に向かう。
「ごめん、全部は無理だった!」
「あのくらいなら、大丈夫! 推進力は止められたよ!」
漂流状態の船と対面して接近したジュニパーは、軽々と飛び上がって舳先に着地する。するりと背から降りて兵たちと対峙するミュニオに、背後からジュニパーが小さな声でささやく。
「ミュニオ、大丈夫?」
「……大丈夫、なの。これは、わたしが……やらなきゃ、いけないことなの」
剣を抜き身構える兵たちの背後で、最初の船がゆっくりと傾いてゆくのが見えた。帆柱も帆桁も船体も緑に染まり、ツタが絡まって緑色のプランターみたいになっている。あれがソルベシアを作った力か。そら災厄扱いもするわな。
途中で強度の限界を超えたのか、船はポフンと粉々の残骸になって弾けた。
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