野豚をプリマチュア
あたしは走るランドクルーザーの荷台で、周囲の警戒をしていた。周囲には平地が広がり、ところどころで低木や丈のある草が生い茂り視界を遮っている。ミュニオやジュニパーによれば、敵らしき反応はない。何の警戒をしているかといえば、だ。
「シェーナ、右二十メートル。あの二本並んだ木の陰」
「けっこう遠いな、ちょっと寄ってくれる?」
「りょーかい」
ジュニパーがハンドルを切り、ゆっくり近付く車体の前に丸っこい生き物が飛び出してきた。体長一メートル半ほどの……たぶん野豚。体高と厚みがハンパない。体重も百キロくらいありそう。
「うぇ……なにあれ怪獣?」
怒りか憎しみか甲高い唸り声を上げて、逃げる気配すら見せず、真っ直ぐこちらに突っ込んできた。
射撃用に気を使って停止してくれたため回避が間に合わず、豚はランクルの側面に刺さる。ゴンと鈍い音がして、車体が激しく揺れた。すまんジュニパー、クルマ大事にしてたのに。
「シェーナ、平気⁉︎」
「だ、だいじょぶ!」
荷台から振り落とされそうになりながらも、あたしはルガー・ラングラーで豚の頭に22口径弾を六発叩き込む。二、三発では暴れながら踠いていた巨体も、五発目で横倒しになる。そのまま足で宙を掻く動きを見せていたが、最後の一発でようやく動かなくなった。
獲物を暴れさせたら肉が不味くなるって聞いてたのにな。肉を傷めないために小口径低威力のラングラーを選択したのに、これじゃ全くの逆効果だ。現れるのがこんな大物だと知ってたら、最初からミュニオにマグナムで頭を撃ってもらうんだった。いまさらだが。
「ふぇえ……なんとか仕留めた。けど、なにこれ。ホントに野豚⁉︎」
「そうだよ、なんで?」
前にジュニパーから聞いた話じゃ、“猪は深い山にいて大型で凶暴、野豚は平地にいて小型で温和”とかいってた気がする。全ッ然、温和じゃねえ。いや、逆に“猪はこんなもんじゃないくらい凶暴”ってことなのか。
「なにはともあれ、けっこうデカい肉を確保できたな」
「うん。これだけ大きいと、十人やそこらでも食べきれないんじゃないかな。ねえ、ヤダルさん……あれヤダルさん?」
ジュニパーは怪訝そうに振り返るけど、虎獣人の姐さんは熟睡中である。気を使って起こさずに食肉調達を始めたんだが、まさか野豚の突撃にも銃声にも反応がないとは思わんかった。
「あんだけ大騒ぎしてんのに、起きる気配もないな」
「たぶん、それだけ疲れてたの」
かもな。あとは、あたしたちが信用されてるってことなのかも。もしかして殺気を感じたら跳ね起きるのかもしれんが、危な過ぎて試す気にはならん。可哀想だし。
どんな夢見てんだか、眠るヤダルさんはときおりニーッと笑みを浮かべたり泣きそうな顔になったりして、素の性格は案外子供っぽい感じがした。
「まあ、いいや。血抜きしてる間、ひと休みしてお茶でも飲もうか」
「手伝うの」
「じゃあ、ぼくがそこに吊るすよ」
草原に点在する潅木に括り付け、頸動脈を切って血を抜く。内臓も抜いて埋めようかと思ったけど、ジュニパーによれば獣人のなかには内臓が大好きなグループも多いという話なので、贈り先の嗜好を聞くまでそのままにしておく。
作業の後で、汚れた手や野豚の周りに、ミュニオが浄化魔法を掛けてくれた。
「やっぱ寄生虫とか、いるのかな」
「焼けば大丈夫だよ」
「虫を“不浄”として扱えば、選別できるかもしれないの」
オアシスの近くで駆け鳥を狩ったとき、ミュニオが試して成功した技だ。浄化魔法で、毛や羽根を“不浄”として扱うんだっけか。便利ではあるが、理屈はよくわからない。
「でも、わたし野豚の虫がどんなのか知らないの」
「知らないものは弾けない?」
「そう。精霊が困っちゃうの」
対象となる寄生虫をミュニオ本人が把握しきれていないと、浄化魔法による寄生虫駆除は出来ない、もしくは確度が落ちるということらしい。やっぱ魔法に必要なのはイマジネーションか。なんでも便利で楽チンとはいかないもんだ。
そういやウサギを撃ってすぐ“収納”できるのか試したことがある。生きてるものは受け付けないのか、完全に死んでからじゃないと無理だったな。その理屈でいえば、肉に混じった寄生虫って排除されないんだろうか。いっぺん試してみるのも良いかも知れない。
ガソリンストーブでお湯を沸かし、ティーバッグで紅茶を入れる。サイモン爺さんから受け取った食料のなかにあったものだ。PGティップスとかいう日本じゃ聞いたことないメーカー。
「美味しいの」
「そういや、こっちのひと、お茶はどんなの飲むんだ?」
「人間は、紅茶に似た感じのだね。こんなティーバッグに入ってるのは初めて見たけど」
「“人間は”って?」
「エルフたちは、香草と薬草を好みで煎じて飲むって聞いてる。ドワーフは身体に良い木の皮を炒ったみたいなのを飲むみたいだし、古い獣人の文化では、豆の煮汁みたいなのを飲んでたらしいよ」
さすがの物知り博士である。木の皮というのはピンとこないけど、杜仲茶みたいな感じか。ジュニパー本人はといえば特に好き嫌いなく、あれば何でも飲むようだ。お茶菓子として出したドライフルーツとナッツをモシャモシャと嬉しそうに頬張る。
「おいし……♪」
ミュニオ姐さんは相変わらずフリーズドライのブロッコリーがお気に入りのようだ。“食べる森林浴”というようなことをいいつつ嬉しそうに食べている。森の味がする、ってグルメリポーターか。
「ヤダルさん、起きないね?」
「いいよ、寝せといて。そんじゃ豚を仕舞って出発しようか」
荷台で寝ているヤダルさんの横に置くのもどうかと思って、木にぶら下げておいた野豚を収納。
その瞬間、心の底から後悔した。目の前にブチ撒けられた粒子と繊維みたいなものが何なのか、気付いたあたしは悲鳴を上げ硬直する。寸前にこうなることは予想できてたのに。結果を想定して回避するくらいは出来たはずだったのに。
「む、しぇぁああああ……ッ!」
「どど、どうしたのシェーナ⁉︎」
ダニとノミと線虫と得体の知れない寄生虫の塊が、収納から弾かれてあたしの腰周りに撒き散らかされた。蠢きながら降り注ぐ大量の虫を浴びて、あたしはクルクル舞い踊りながら悲鳴を上げる。
「ぎいぃいやあぁあああああぁ……ッ‼︎」
強烈な圧を感じて振り返ると、ヤダルさんが両手に刃物を構えてあたしに飛び掛かろうとしていた。




