(閑話)サイモンの残照
「サー・サイモン・メドベージェフ。お茶のお代わりはいかがですか」
「……ああ、頼む」
あれこれ御高説を垂れた後で国家安全情報局のエージェント・マクネアが帰ると、俺は彼女の言葉を反芻する。
“喫緊の問題でいえば、要人保護プログラムに沿った速やかな潜伏です。いま最強度の圧力で、外部から軍民官の協働による干渉が加えられようとしていますから”
裏で国が動いていたせいか、“軍”と“官”はこちらの生活圏に入り込んではいない。ただし協働の結果なのか単体での成果なのかは不明ながらも、“民”についてはいくつか報告が上がっている。
数年前から、この辺りでは聞き慣れない訛りと風貌のグループを、いくつか見かけるようになっていた。見たところ出身地はそれぞれバラバラで、入れ替わり立ち替わり現れる彼らは、手腕も接近も隠蔽も雑だ。複数の勢力が送り込んだ雑魚だろうが、それはいつの間にやら姿を消していた。それは、まあいい。
問題は俺の家系と同じく、この国に馴染んですっかり現地化している連中。いわゆる潜伏工作員だ。浸透に手間も時間も掛け、技術も資金も人脈もある。本国との連携の痕跡は見えない。それどころか、こちらの国の中枢にまで入り込んでいたりもするようだ。つまり、そのうちのひとつが……
「父祖の国、か」
我がメドベージェフ家の源流は、どこだったか。東欧だか極東だか。親父の話は酔っ払いの戯言と聞き流して忘れた。どこか寒い国だ。気候的にも、経済的にも。そして現地に親類縁者も係累も、少なくとも俺の面識がある人間は残っていない。
ただの見知らぬ国。いまさら関わることなどありえない。
「サー・サイモン・メドベージェフ。お荷物が届いております」
お茶を運んできた執事が、こちらに小さな箱を見せる。ドーナッツでも入ってるような安っぽい紙箱。もちろん、そんなものを届けられる覚えはない。俺に手渡すということは、既に金属探知機とX線検査で安全が確認されたものだろう。
それにしては、ミハエルの表情が険しい。
「国家安全情報局は、これを把握してるか?」
「いいえ。屋敷に持ち込んできたのはコールマンの息子です。小銭を渡されて、届けるように頼まれたと」
日に一度、徒歩で配達に来るパン屋の小倅。たしか、まだ学校にも行ってない年齢だ。愛嬌はあるが、まだ犬より少しマシというレベルのお使いしかできない。工作員の息が掛かってないのは保証できる。
箱を切り開けて中身を見た俺は、どうしたもんかと頭を捻る。送ってきた相手が誰なのかも、どういう意図なのかも計りかねる。さらにいえば、その詮索にあまり興味もない。
「テオを呼べ」
「は」
書斎の机をひっくり返して、使えるものはないかと引き出しを漁る。目当てのものを見付けたところで老いぼれのチンピラが入ってきた。下男のテオ。使用人のお仕着せを身にまとってはいるが、その上に羽織った牛の死骸みたいな革ジャケットで台無しになっている。
「アニキ、出入りか?」
こいつの知能程度はコールマンのガキと大差ない。年齢は十倍近いってのにな。呆れながらも、いま必要なのはアタマではないと思い直す。俺が頷くと、テオは嬉しそうに笑う。ジャケットのポケットが膨らんでるのは、荒事と察して持ち出した愛用の殴打用革筒だろう。こいつは昔から、なんでか銃を好まない。俺が予備弾倉を持たないのと似てる。
こういうところは、いくつになっても成長しない。こいつも、たぶん俺もだ。
「少しばかり厄介そうな相手だぞ。手札は相手持ちで、こっちを待ち構えてる」
「任してくれ。車は乗り捨て用を回す。それで、行き先は?」
ベルトに挟んだ小さな自動拳銃は、老いぼれの腰回りでひどく緩々と泳いだ。何から何まで年寄りの冷や水だ。締まらないこと、この上ない。それでも愚かな高ぶりを抑え切れず、俺はテオに向かって片眉を上げる。
「荒野のウェスタンだ」