3-6
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右手に強い痛み。衝撃でナイフが落ちる。拾おうとして屈む。僕を誰かが勢いよく蹴り飛ばす。鈍い音。僕も壁にぶつかる。痛い。痛い。軽い金属音。粗い呼吸音。
ゆっくりと、顔を、上げた。
「ふざけんな!」
目の前に立っていたのは、――お節介な、正義の味方だった。
「復讐を遂げて自分も家族の後を追うだなんてどこのお涙頂戴物語だよ!」
藤沢は、僕の貸したおもちゃのピストルではなくて、何故だかぼろぼろの卓球のラケットを持っていた。
ラケットでサーブするように球を打ったというのか? 正義の味方としては、ちぐはぐな武器だった。
「俺は、きっと大川もだけど、そんな結末に感動して泣いたりしないからな」
奥の方で頷いて立ちあがった大川の両手には、僕の手放したナイフが握られている。
手の甲が赤く腫れて、じんじんと痛みを訴えてくる。
きっとおもちゃのピストルで撃たれるよりもずっと痛い。
「……だけど」
(やめろ。違う。そうじゃない)
言葉が、勝手に出てくる。
「もう、ないんだ。生きる意味が」
涙が、勝手に溢れてくる。
なんだ、これは。
どうして。
言葉が、勝手に零れてくる。
「生きていく意味がないから、僕はもう、死ぬしかないんだ」
「知ってるか」
藤沢がかがんで僕の顔を覗きこんだ。
「死にたいってのは、時々、助けてほしいっていうのと同じ意味になるんだってさ」
(ちくしょう。どうして)
涙だけでなく、いつしか、鼻水も勝手に流れてくる。
感情なんて捨てた筈なのに。
全身が、どこかに置いてきた筈の心が、痛い。
「……手が痛いから泣いてるんだ。骨が折れてたら、お前の所為だからな」
「すまん。おもちゃのピストルじゃ威力が不安だったから、家から掘り出してきた。とりあえず病院でも行くか」
「馬鹿じゃないのか。今日は休日だからどこもやってない」
「病院、行く気あるじゃん」
にやり。藤沢が笑う。
僕はきっと、しまった、と顔で言っていたにちがいない。
嬉しそうににやにやとしながら、藤沢はぽんと僕の頭を撫でてきた。まるで子どもをあやすように。
「とりあえず、帰るか。現実に」
◆
1ヶ月後。
「美味しそう、の基準は何だったんだろう」
「知るか。興味もない」
「希望に満ちあふれている、とか、ファンタジーの鉄板じゃないか?」
「それだったら絶望した人間ってのもよくあるよね。あ、でも、お兄は……うーん」
口を尖らせる大川を僕は一蹴する。
「お兄さんが何を考えていたかなんて、本人しか分からないだろう」
「……そうだね」
強制的に、僕は生まれて初めてライブハウスというものに連れてこられていた。
教室の半分くらいのフロアは想像以上に狭いし、薄暗いし、煙草の臭いがするし、正直なところすぐにでも出てしまいたい。
しかし大川のお兄さんが久しぶりにベースを弾くから来てほしいと大川に懇願され、さらに藤沢にいたっては家の前まで迎えに来たので、観念したのだ。
隅のドリンクカウンターで、入場時に500円を払って受け取った紙のチケットとウーロン茶を交換する。
大川はここに中学生の頃から通っているようで、店員と談笑していた。
「で、どっちが彼氏?」
「どっちも違います」
ジンジャーエールを飲んでいた藤沢が吹き出す。
くだらない。僕は表情を崩さず、コメントもしない。後ろの方に設置されたテーブルにドリンクのカップを置く。
「慧人さんのベース、楽しみだな。スラップがめちゃくちゃかっこいいんだぜ」
「お前は大川のお兄さんが本当に好きだな」
「そりゃそうだよ。今度、文化祭の発表も観に来てくれるって言ってくれたんだ。あ、星大も来てくれるだろう?」
「決めつけるな」
この2人は、本当に僕の懐へ勝手に踏み込んでこようとしてくる。
手の甲が、まだ痛い、ような気がして左手で押さえた。
(死のうって思っていたくせに)
くだらない。
人間も、人生も、くだらないことばかりだ。
瞳を閉じれば両親は何度でも殺されるし、幻聴だってなくなっていない。
人間は1人で死んでいくというのに。
何故だろう。
ほんの少しだけ、絶対に認めたくはないけれど、ただのウーロン茶がこんなに美味しいと感じたのは初めてだ。




