3-5
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大きく視界が揺れて、目の前には星穴と同じ空間が広がっていた。
「璃亜の、香りがする」
大川が意味不明なことを呟いた。
「小さな星穴ということか。これが今の奴の限界」
もはやそこはハッピーランドのアトラクションではなく、宇宙人の内側。
何度も確かめた感触が足元を伝わって届く。ぐにぐにと、柔らかいのに硬い。
左手を、壁に触れるか触れないかくらいにして、必要以上の迷子にならないように奥へと入って行く。普通のアトラクションであればそのうち出口に到達するだろうが、ここは宇宙人によって歪められた空間なのだ。
しばらく歩いていると、突然、扉のようなものが現れた。
「花村」
「ああ」
躊躇わずに引く。
教室ほどの大きさの空間には、本当に、まるで教室のように、オーロラ色の黒板と、教卓と、机と椅子が並べられていた。
教卓のところに宇宙人は立っていた。
「来てくれてありがとう」
宇宙人は、笑っていた。
「人間という生き物は、とても脆い」
まるで、授業をするかのような語り口だった。
「あっという間に消化吸収できてしまう。これまで屠ってきた生物のなかで、もっとも容易く摂取できる上に、もっとも好ましい味をしている。どんどん食べて、食べて、食べて。満腹感を得た頃、飽きを知った。そしてふと、面白そうだし、人間のふりをして生活しようと思った。最初は成人。次に幼児。そして、高校生というものに何故か興味を抱き、3回目の春。高校生活にもある程度慣れてきたので、とある高校の1年生として入学してみることにした。思春期という期間にある人間たちは、有限の時間を怒濤の喜怒哀楽にまみれて生きていて、非常に餌を見つけやすかった」
餌。
結局、宇宙人にとっては、人間は餌でしかなかったのか。
僕は奥歯を強く噛みしめる。
「……って、思っていたんだけどね。あたしもいつの間にか、その刹那のなかにいたみたい。短い間だったけれど、とても楽しかった。ダブルデートもできたし。なんちゃって」
否。
今さら同情でも買おうというのだろうか。
そしてそれが僕に通用するとでも思っていたら、誘導は大失敗だ。
「これまであたしに会いにきてくれた存在は、あなたたちが初めて」
ぱん!
僕の放った球によって右肩が弾け飛び、腕がぼとりと落ちた。そのまま床と同化する。
落ちた部分はもう元には戻らない。人間ではないから、流血もない。恐らく、痛みもないのだろう。
宇宙人は笑っている。満面の笑みを浮かべて、左腕を大きく広げた。
永遠を終えようとしている存在には見えない。
とうてい理解できなかった。
「うれしかった。会いに来てほしくて、もう一度会いたくて、ここで待っていた。あたしの最期を、あなたたちなら見つけてくれると信じていたから」
僕は慎重に1歩ずつ近づいて行く。
ぱん! 次は左腕。
宇宙人は一切の抵抗を見せない。
「花村ではちょっと力不足かしら。あたしとしては、藤沢を推しておくわ」
「璃亜。こんなときに何を言っているの」
「あんたに相応しいオトコは、あたしが見定めるから。まぁ、現時点ではどちらも不合格だけど。本当に、譲羽と会えてよかった。今までに出逢った生命体で、いちばん興味深かった。地球に降りてからの7年間の話をしているんじゃない。これまでの、数えたこともないくらいの、悠久の彷徨の話をしているの」
両腕を落としたまま、いつの間にか、血液の代わりにだらだらとオーロラ色の粘着物質を流しながら、宇宙人は語り続ける。
「自らを理解して終われるのは、寂しいけれど本望。あなたもいつか解るときがくるでしょう」
向かい合った僕は宇宙人の目の前で、心臓に向けて銃口を構えなおす。両手でおもちゃのピストルを握りしめる。
――このおもちゃのピストルは、6歳のときのクリスマスプレゼントでサンタクロースから貰ったものだ。
やがてサンタクロースは父親だと知った。両親からの最後のプレゼント。
これですべてを終わらせてやる。
「お前のことに興味はない。お前の永遠と、僕の7年間を比較して共感を得ようなんて思うな」
――そうだ。僕は、ずっと孤独だった。
それでいいと思ってきた。
両親の仇を討つだけの人生でよかった。
立て続けに2発撃つ。
1発目は体を分解する為。頭が吹き飛び、粘着性の物質が僕にかかる。
もう1発は、核を包みこんで爆発させる為の、最終兵器だ。
計画通り――予告通り、宇宙人の核は、音もなく消滅した。
すとん。
傍らで、大川が膝をついて座りこんだ。宇宙人のいた空間を睨んだまま、唇を噛んでいる。瞳には涙が溜まっていた。
徐々に空間が本来あるべき姿へと戻っていく。
ガラス張りの迷路。出口のあるアトラクション。
「終わった、か」
教室は完全に消え去り、僕は宇宙人のいた場所を確認する。見事に塵ひとつ残っていない。力が尽きかけているというのは真実だった。
(だとしたらここまで抵抗することなく、星穴で消滅すればよかったものを)
無駄に抵抗された所為で、こんなところまで来てしまった。
唯一、家族と来たことのあるアミューズメントパーク。
「……璃亜は、消滅した、の?」
大川の声が細く震えている。
「あぁ」
僕はおもちゃのピストルをそっと撫でてから、リュックにしまった。
「これで僕の果たすべきことは終わった」
代わりに、取り出したのは。
「……ちょっと、花村! その大きなナイフは一体、何なの」
弾かれたように大川が叫ぶ。
共感能力の高そうな大川のことだ。
きっと、僕が何をしようとしているのかすぐに理解したのだろう。
「正解だ」
鏡に映った自らの顔を、久しぶりに見た。父親とそっくりな瞳。見ないように前髪を伸ばしてきた。頬がこけてやつれている。それは、記憶のなかの父親とは似ていない。
――あぁ。
笑ったのは、7年ぶりだろうか。
父さん、母さん。
僕もそっちへ行くよ。
「やめて! そんなことして何になるって言うの!」
大川がナイフを奪おうとしてくる。僕は躊躇なく、思いきり大川を突き飛ばした。壁にぶつかって、大川がうずくまる。
僕はナイフを振り下ろす。勢いはあればあるほどいい。
そして切っ先が喉元に触れようとした刹那。
「星大ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」




