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藤沢の前で、声に出すと思っていたよりいらついた。
「あれは、僕の母親の顔だった。最初から疑わしいと思っていた理由はそれだ」
「そうだったの、か」
「あぁ。入学してからずっと、あの女について調べていた」
僕は今、人生初のハンバーガーを口にしている。
学校帰りに寄り道をすることも、ファストフード店に入るのも、生まれて初めてだ。
(口の中がざらつく)
飲み物で流し込まないと正直なところ完食は難しそうだ。
しかし同じテーブルで藤沢は種類の違うハンバーガーを5個並べて、軽快に食べ進めている。
「花村は小食だよな」
スピードの遅さに気づいたのか、藤沢が手を止めた。
「あまり、食事をしたいと思ったことがないんだ」
「だから骨っぽいのか? 気胸には気をつけろよ」
フライドポテトも油っこくて、塩気がききすぎていて、美味しいかどうか答えられるレベルではない。もう二度と来ることはないだろう。
ウーロン茶で油を胃まで押しやる。
店内も油の臭いで充満していて意識すると吐き気をもよおしそうだった。藤沢が平然としているのが信じられない。
「藤沢は、苦手なものが、あるか?」
人望も厚く、文武両道な級友。正義の味方然とした男にも、脆いところなんてあるのかどうか。
「嬉しいな。俺に質問をしてくれたのは初めてじゃないか?」
「うるさい。さっさと答えろ」
「そうだな。建前ばかりの教師と、……女性」
僕は息を呑んだ。
初めて見たのだ。
いつでもクラスの中心にいるような明るい男。
そう認識していた、藤沢悟の。
瞳の奥が笑っていない、表情を。
背筋が粟立つ。質問するのではなかったとほんの少し後悔した。
「中3のとき、大人とか世の中に絶望して、髪の毛を金色に染めて教室で暴れたことがある。おかげで内申は最悪になったけれど、筆記試験とそれまでの積み重ねとで、ぎりぎり西高に入れた」
意外な事実だし、信じがたい。
だけど藤沢は豪快に笑った。
「筆記試験が全教科満点じゃなかったら西高は危うかっただろうな」
「……女性、っていうのは?」
「この話をしたのは今が初めてだ。どう言えばいいかな。……呼び出されたらいつでもどこでも行ったし、何でも応じた。それが贖罪だと信じていたから。おかげで最近気づいたんだけど、どんな女性でも普通に話してる分には平気なのに、距離を詰められると眩暈がする」
意味が分からない。
「気にしないでくれ。俺が、誰かに告白したかったんだよ。大川にはとても言えないから」
「そういうものなのか」
「うん。話すと、案外楽になるもんだな。ありがとう」
やはり意味が分からないが、満足そうにしているので、まぁいいかと思った。
「幸せになれるもんならなりたいけど、俺にはとうてい難しそうだ」
「……藤沢が幸せになれないなら僕は人生の最後まで地獄の底だ」
「ばーか。そうならないように、行くんだろう。幸せの国」
そうだ。打ち合わせをしなければならない。
洋礼室に置かれていたハッピーランドのパンフレットを見せる。丸印がついている。
「奴はメリーゴーランドと観覧車に乗りたかったらしい」
「地図に印をつけるのが好きなんだな」
「は?」
「いや、星穴に行くときも、意気揚々と地図に線を書き込んでたなぁって思って」
「そうだったか?」
「うん。あ、で、話を戻して。大川に聞いたんだけど、基本的に花村と大川がアトラクションに乗って、俺が何かあったときの為に外で待機するっていう方針なんだって?」
「話が早すぎる」
「あいつ、すぐに連絡してくるから。マメなんだよ」
嬉しそうだ。
数分前には女性が苦手だと発言していなかったか?
人間の感情というのは複雑なものすぎて、とうの昔に放棄した僕には、分からないことが多すぎる。
◆
今にも星が降り出しそうな曇り空だからか、元々そういうものなのか、休日だというのにハッピーランドは閑散としていた。
入場は無料で、アトラクションに乗るときに百円単位のチケットを買って使うらしい。奥の方には動物園があって、餌やり体験ができると、入り口で説明された。
「やっぱりしょぼい」
ぼそっと大川が呟く。星穴に行ったときと似たような動きやすい恰好をしている。
その隣で藤沢が苦笑していた。
「しょぼいとか言うなよ」
「しょぼいから行きたくないなんて話してたんだよね。あの子、こんなところに来たかったんだな」
そうか、と藤沢は呟いた。
僕にとってはどうでもいいことだ。
宇宙人がいるのかいないのか。
いたとして、あぶり出せるかどうか。それだけだ。
「まずはメリーゴーランドに乗る」
ふたりを置いてどんどんと進む。
園内の中央に、コーヒーカップと子ども向けのジェットコースター乗り場と、メリーゴーランドがあった。
サーカスのような派手な装飾の屋根。インペリアル・イースターエッグにも見える。その下に馬や馬車の形をした座席が設置されている。親子が一組乗っているだけであとは空いていた。
「行ってくるね」
100円券を3枚。藤沢を置いて僕と大川は馬車に乗り込む。
今日は藤沢だけでなく大川にも改良した武器を渡してある。
(性格上、大川が使うことはないだろうが)
宇宙人に触れるとゲル状に変化して包み込み、内側で爆発するような球体に仕上げた。今度こそ仕留めてやる。
ゆっくりと回るメリーゴーランド。かぼちゃの馬車。シンデレラ、だっただろうか?
4人掛けに、大川と斜め向かい合って座る。特に話すこともないので黙っている。
外を眺めていると藤沢が僕たちに合わせて歩いている。
「あのさ」
沈黙に耐えかねたのか大川が口を開く。
「ひとつ、お願いがあるんだけど」
僕は黙ったまま大川を見た。膝の上で両の拳をかたく握りしめている。
「璃亜に会えたら、食べてしまった人間のなにか……どんなものでもいいから、あるべきところへ返してほしいって言いたい。7年分すべて。宇宙人の力があれば何かしらできると思うんだ。だって、花村も会いたい……よね?」
(考えたことも、なかった)
というか大川は知らないのだ、あいつがどうやって人間を喰おうとするのか。
正直、腹が立った。頭ごなしに否定してやろうかという衝動にも駆られたけれど、踏みとどまる。
「会いたいと思ったことはない。死んだ人間は生き返らない。降りる準備をしよう」
立ちあがりかけたときだった。
「もう1周しない?」
「……!」
反射的におもちゃのピストルを取り出して構える。
大川の隣にいつの間にか座っていたのは、星穴で対峙したときと同じ恰好の宇宙人だった。
「ちょっと! こんな楽しいところで武器だなんてやめてちょうだい」
しゅるしゅるっと宇宙人の背中から触手が伸びてきてピストルに絡みつく。そしてリュックに戻される。
「何のつもりだ……!」
「大川、ありがとう。あたしがハッピーランドに行きたいって言ったの覚えててくれて」
宇宙人が隣に座っている大川に抱きつく。大川は驚きのあまり硬直していた。
外から、藤沢が何かを叫んでいるが、届かない。
「大川はもうあたしのことなんて、ただの人喰い宇宙人だって思ってる?」
「大川から離れろ」
「あたしは大川と話をしているの。ねぇ?」
「……璃亜は、璃亜だよ。お願い、聞いてほしい話がある」
「嬉しい。せっかくだし、今日は一日遊びましょう?」
「璃亜」
会話が成立していない。
今すぐにでも改良版を撃ち込んでやりたいのに、僕は僕で触手によって席に座らされている。
「そうと決まったら行きましょう!」
宇宙人は大川を立ちあがらせてコーヒーカップから飛び出した。
「待てっ!」
藤沢が宇宙人へ球を打ち込もうとするがかわされてしまう。あっという間に視界から消え去ってしまった。
メリーゴーランドに乗ってきた藤沢は触手部分に球を打ち、僕を解放してくれる。
「……すまない。礼を言う。すぐに追いかけるぞ」
「おぅ。結城の意図がまったく読めない。大川に危害が加えられる前に救出しないと」
手がかりがないか、僕たちはくまなく探し回った。しかし30分経っても成果は得られなかった。
「こうなったら手分けして探すしかないか。見つけたら、電話してくれ。俺は東の方へ行ってみる」
言い残すと藤沢は動物園の方へ走って行った。
(ようやく1人になれた)




