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空は今日も高く、からっと晴れている。
繁華街では季節をかなり先取りしてクリスマスパーティがショーウィンドウの中で開かれていた。世間はちょっとずつ冬に向かって支度を始めているのだ。
4階建てのこげ茶色のマンションの玄関でインターホンを鳴らすと大川の声がした。
『遅いよ』
「ごめん。野暮用が取り込んで」
『お兄が待ちくたびれてギター弾き出しちゃったから、早く入っておいで』
自動ドアが開く。
1階の突き当たりまで歩くと、がちゃり、と先に扉が開いた。
花柄のパーカー姿で大川が出迎えてくれる。
ここは、慧人さんの住む社宅。
色々とあって大川はここで暮らすことになったらしく、引っ越しが落ち着いたからと招待されたのだ。花村も招かれていたけれど、用事があるからと断っていた。
小さなリビングで慧人さんは小さくギターを鳴らしていた。
「おじゃまします。これ、母から。友人の家に行くと言ったら持ってけって言うんで」
「気を遣わなくていいのに。ありがとう」
栄養失調で3日だけ入院したらしいけれど、慧人さんはすっかり元気になったようで安心した。
「お。林檎と洋梨か。果物はありがたい。冷やしてから剥くね」
「っていうか、ギター、弾いて大丈夫なんですか」
「角部屋だし、音をそんなに出さなければ」
一度だけ共有スペースの掲示板に騒音注意って貼り紙がされたけれど、と慧人さんは笑った。
「あ、それで、今日藤沢くんを呼んだのはこれをあげようと思って」
部屋の奥から持ってきたのは一本のエレキギターだった。
「え? え、えええええ?」
「前に一度、ストラトは持ってるけどテレキャスはないって話してただろう? 俺、そもそもベーシストだし、ギターはあってもそこまでがっつり弾いたりしないから。宝の持ち腐れになる前に、あげようと思って」
「ええええええええ」
驚きすぎて言葉が出ない。
大川が笑いながらスマートフォンのカメラを向けてくる。
「こんな委員長初めて見る。貴重すぎる」
「え、だって、いや、ええと、いいんですか。だってこれ軽く十万円は超えますよ、下手したらうん十万の代物を」
「命を救ってもらったお礼さ」
「いや、そんなつもりでは」
言葉がうまく出ない。
何故かというと。
ボディの裏側に貼られたボロボロのステッカー。ペインフルレインの初期のものだ。
どうしてこれを慧人さんが?
(まさか)
テレキャスターと慧人さんの顔を交互に見比べる。
想像もしなかった。
「あー、ようやく気づいた……」
大川が深く溜息を吐き出す。
「マジか、マジなのか、大川」
「マジです。かつてギタリストの使っていた本物です」
わざと改まって言う、にこにことしている慧人さんからはとても想像がつかなかった。
しかし、はっきりと言葉にはしないものの、ペインフルレインのベーシスト、ケイトさんと慧人さんが同一人物だということは明らかだった。本人とは知らずめちゃくちゃ褒め称えてしまっていた。
「は、恥ずかしい……。気づかずにすみませんでした」
「いやいや、俺も明かすつもりはなかったんだけど。兄妹揃って世話になったからさ。これからも、変わらずに宜しく」
「も、もちろん、です」
「これもあげる。ペインの未発表曲」
「えっ。お兄、それ初めて見るんだけど」
「お蔵入りになった曲だから」
「歌ってよ」
アコースティックギターを手に取ると、慧人さんは楽しそうに歌った。
♪僕らは糸巻きみたいなものだ
生まれたときは何もないのに
少しずつ糸が巻かれていく
青、白、黄色、緑。
太さも長さもバラバラで
だからこそ巻かれる度にこんがらがって
おかしなところで結ばれて
ほどけないのにどんどん巻かれて
がんじがらめになって
いつしか動けなくなってしまう
巻かれた糸を呪ってしまう。
だから、丁寧にほどいてよ
そして君の巻いた
赤い糸を教えてくれないか
それはたしかに、ペインフルレインでよく見るコード進行だった。
歌詞の癖も、ベーシストのケイトさんらしいものだ。
ちょっと違うのは、歌詞が、ほんの少しだけ明るいところ。
「委員長。泣いてるの?」
「……そうだよ」
涙を拭いながら、俺は笑う。
「俺の神さまが、目の前で歌ってくれたんだから」




