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セツナリウム  作者: shinobu | 偲 凪生
第2話【藤沢悟】
20/28

2-10


 空は今日も高く、からっと晴れている。

 繁華街では季節をかなり先取りしてクリスマスパーティがショーウィンドウの中で開かれていた。世間はちょっとずつ冬に向かって支度を始めているのだ。

 4階建てのこげ茶色のマンションの玄関でインターホンを鳴らすと大川の声がした。

『遅いよ』

「ごめん。野暮用が取り込んで」

『お兄が待ちくたびれてギター弾き出しちゃったから、早く入っておいで』

 自動ドアが開く。

 1階の突き当たりまで歩くと、がちゃり、と先に扉が開いた。

 花柄のパーカー姿で大川が出迎えてくれる。

 ここは、慧人さんの住む社宅。

 色々とあって大川はここで暮らすことになったらしく、引っ越しが落ち着いたからと招待されたのだ。花村も招かれていたけれど、用事があるからと断っていた。


 小さなリビングで慧人さんは小さくギターを鳴らしていた。

「おじゃまします。これ、母から。友人の家に行くと言ったら持ってけって言うんで」

「気を遣わなくていいのに。ありがとう」

 栄養失調で3日だけ入院したらしいけれど、慧人さんはすっかり元気になったようで安心した。

「お。林檎と洋梨か。果物はありがたい。冷やしてから剥くね」

「っていうか、ギター、弾いて大丈夫なんですか」

「角部屋だし、音をそんなに出さなければ」

 一度だけ共有スペースの掲示板に騒音注意って貼り紙がされたけれど、と慧人さんは笑った。

「あ、それで、今日藤沢くんを呼んだのはこれをあげようと思って」

 部屋の奥から持ってきたのは一本のエレキギターだった。

「え? え、えええええ?」

「前に一度、ストラトは持ってるけどテレキャスはないって話してただろう? 俺、そもそもベーシストだし、ギターはあってもそこまでがっつり弾いたりしないから。宝の持ち腐れになる前に、あげようと思って」

「ええええええええ」

 驚きすぎて言葉が出ない。

 大川が笑いながらスマートフォンのカメラを向けてくる。

「こんな委員長初めて見る。貴重すぎる」

「え、だって、いや、ええと、いいんですか。だってこれ軽く十万円は超えますよ、下手したらうん十万の代物を」

「命を救ってもらったお礼さ」

「いや、そんなつもりでは」

 言葉がうまく出ない。

 何故かというと。

 ボディの裏側に貼られたボロボロのステッカー。ペインフルレインの初期のものだ。

 どうしてこれを慧人さんが?

(まさか)

 テレキャスターと慧人さんの顔を交互に見比べる。

 想像もしなかった。

「あー、ようやく気づいた……」

 大川が深く溜息を吐き出す。

「マジか、マジなのか、大川」

「マジです。かつてギタリストの使っていた本物です」

 わざと改まって言う、にこにことしている慧人さんからはとても想像がつかなかった。

 しかし、はっきりと言葉にはしないものの、ペインフルレインのベーシスト、ケイトさんと慧人さんが同一人物だということは明らかだった。本人とは知らずめちゃくちゃ褒め称えてしまっていた。

「は、恥ずかしい……。気づかずにすみませんでした」

「いやいや、俺も明かすつもりはなかったんだけど。兄妹揃って世話になったからさ。これからも、変わらずに宜しく」

「も、もちろん、です」

「これもあげる。ペインの未発表曲」

「えっ。お兄、それ初めて見るんだけど」

「お蔵入りになった曲だから」

「歌ってよ」

 アコースティックギターを手に取ると、慧人さんは楽しそうに歌った。


♪僕らは糸巻きみたいなものだ

 生まれたときは何もないのに

 少しずつ糸が巻かれていく

 青、白、黄色、緑。

 太さも長さもバラバラで

 だからこそ巻かれる度にこんがらがって

 おかしなところで結ばれて

 ほどけないのにどんどん巻かれて

 がんじがらめになって

 いつしか動けなくなってしまう

 巻かれた糸を呪ってしまう。

 だから、丁寧にほどいてよ

 そして君の巻いた

 赤い糸を教えてくれないか


 それはたしかに、ペインフルレインでよく見るコード進行だった。

 歌詞の癖も、ベーシストのケイトさんらしいものだ。

 ちょっと違うのは、歌詞が、ほんの少しだけ明るいところ。


「委員長。泣いてるの?」

「……そうだよ」

 涙を拭いながら、俺は笑う。

「俺の神さまが、目の前で歌ってくれたんだから」

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