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セツナリウム  作者: shinobu | 偲 凪生
第1話【大川譲羽】
2/28

1-1


 天気予報通りのどんよりとした空の色に、当たる筈ないとたかをくくっていたわたしは眉をひそめた。

 傘が、ない。

 晴れているから大丈夫だと変な自信を抱いていた朝の自分に舌打ちをすると途端に虚しくなってくる。

 スマートフォンを確認すると16時半をまわったところだった。約束まではまだたっぷりと時間があるから、止むのを待とうか。それとも諦めてこのまま外に出ようか。少しの間、ぐるぐると考えていたら急に視界が塞がれた。

「……僕のを使いな」

 聞いたことのない暗くて低い声が降ってくる。

 黒くて大きくて質素な、明らかに男物の傘。骨ばっていて少し血管の浮き出た大きな手。

 差し出された右側を見るとブレザー姿の男子が立っていた。ネクタイは紅色なので、同じ学年だ。

「でも」

「ないんだろ」

 だけど1学期中には見たことのない男子だ。

 幸薄そうって言ったら失礼かもしれない。ちょっと儚げで頼りなさそうな線の細さだ。背丈はわたしよりも頭ふたつ分高い。さらさらで長くて黒い前髪の下から黒縁の眼鏡が見えた。

 行動は紳士的だけど乏しい表情からは感情を読み取りづらい。

(どうしてわたしに傘を?)

「僕はいいから」

 男子は無理やり傘をわたしに押しつけて昇降口から出て行った。

 変わった奴だ。


 ――空からは、大粒の『星』が降ってきているというのに。


 隕石が落ちてから、天気に種類が増えた。

 『星』。きらきらと虹色に光る粒は空から降ってきて、雨のように染みこんで消える。

 小学3年生のとき子どもなりに調べたおかげで、降っているときは固体で、何かに触れると液体となるということや、その性質が酸性でもアルカリ性でもないことは知っている。味がないことも確かめた。人体に有害性はないことも、科学者の研究で発表されている。ただ雨でも雪でも雹でもない、不思議な何かが降ってくるのだ。気象庁はそれを『虹粒』と名付けた。だけど皆、言いにくいからって、隕石にちなんで『星』と呼ぶ。


 星が降っていても、平然と帰って行く男子の背中をなんとも言えない気持ちで見つめる。もう少し顔がかっこよければ運命的な出会いになったかもしれないのに、なんて勝手なことを考えながら。

 貸してくれた傘はしっかりとした布でできていて、柄もごつごつとした立派な木でできていて、星に当たらなくて済みそうだった。



「一緒に住まないか」

 わたしは思わず飲んでいたオレンジジュースを噴きそうになった。

「真剣に言ってるんだぞ」

「いや、大事な話があるって言うから何かと思えば」

 ちょっと高校生には敷居の高い立派なファミリーレストランには穏やかなBGMが流れていて、周りの話し声もとても静かだ。品の良さそうな店員さんがハンバーグをわたしの前に置いてくれる。

 向かいに座っているスーツ姿の青年は、じっとわたしの顔を覗きこんできた。

「あの家にいたって、あのひとと一緒にいたって、ゆずが駄目になるだけだ」

「お兄、本気なの?」

「ゆずが首を縦に振ってくれたらすぐにでもあのひとに話をつけに行くくらいには」

 10歳離れた苗字の違う実の兄、大宮慧人は、わたしとほぼ同じ形の少し吊り上がった瞳で真剣に訴える。2ヶ月ぶりに会った兄は、髪の毛を黒に染めて、短く刈り込んでいた。母親譲りのすっとした鼻筋が強調されている。

「ようやく安定した収入も見込めるようになってくる。住むのは会社の寮だけど、社長はゆずと一緒に暮らすなら、2人用の部屋を用意してもいいって言ってくれてるんだ」

 今日は、兄からめでたく社員になれたので晩ご飯を奢ってあげようと言われたから来たのだ。アルバイト先の社長に気に入られて特例で契約社員となり、さらに勤勉であれば正社員にもしてもらえるのだという。

 両親はわたしが12歳のときに離婚した。そのとき既に成人していた兄には、どちら側についていくかという陳腐な選択肢は提示されなかった。ただ定職には就かずに、バンドを組んでベースを弾いていた。

 昨年そのバンドがメジャーデビューしたタイミングで脱退して就職したので、おかしいとは思っていたのだ。どうして夢を追い続けなかったのか、と。

 その思考回路が表情に表れていたらしい。

「勘違いするなよ。就職したのは、ゆずが心配だったからじゃなくて、俺がきちんとした人生を歩もうって思ったからだ。結局、俺たちはニルヴァーナにはなれなかったんだ」

 ニルヴァーナというのは兄がこよなく愛しているロックバンドだ。

「当たり前だよ。お兄に死なれたら困る」

「俺はヴォーカルじゃないから大丈夫だよ」

 淡々と言いながら兄はスプーンの上でフォークにパスタをくるくる巻きつける。

「それに、バンドマンは職業じゃないから」

「なに、それ」

 段々とオレンジジュースの味がしなくなっていく、ような気がした。

「大昔、付き合ってた彼女に言われた」

 別れたときに、というニュアンスが含まれているようで、なんとなく言及するのはやめておく。

「でも、メジャーデビューしたら生活だって安定するんじゃないの」

「そんな単純なもんじゃない」

「だってペインの曲はほとんどお兄がつくってたし、メジャーデビュー曲だって」

「今はペインフルレインじゃないから」

 兄が、今度はオムライスを大きな口で頬張る。

 ペインフルレイン。略してペインというのが、兄がベーシストだったときのバンド名。「死にたい」とか、「消えてしまいたい」なんていう後ろ向きの歌詞が多くて、とにかく暗くて、じめじめとしたメロディーと、憂鬱さを売りとするロックバンドだった。メジャーデビューした今は、名前を変えてリバースディという。

「……わたしは『アンチヒーロー』を弾いてるときのお兄が好きだったよ」

「サビの前で客を煽る為に左手を挙げるのが意味分かんないって散々言ってたじゃないか」

「いや、それは今だって思ってるけど」

 冷めかけた大きなハンバーグをナイフで少しずつ切り分けて口に運ぶ。よかった。味がする。

「とにかく一度、真面目に考えてほしいんだ。高校卒業後の進路を、あのひとには任せっぱなしにはできない」

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