2-7
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慧人さんを寝かせたまま、俺たちはさらに奥へ向かうことにした。ホールのような空間は歩いても歩いても終わりがなくて、説明しようとするならば、俺たちが想像しうるものとは別の概念で造られているようだった。広い空間そのものが迷路のようだった。
残りのピンポン球はあとみっつ。
(使わないで済むならいいのだけど)
そっと、大川が、明らかに女性の顔の凹凸に触れた。
「7年間で、宇宙人に食べられてしまったひとたちは、全員が行方不明になったっていうことだよね。家族とか友だちとか恋人とか、ずっと、探しているんだと思うと」
「思うと?」
「せつない」
恐らくその表現は、近くても、選びたかったものではない。
瞳を伏せる。睫毛が、長い。
もしも自分の兄が戻ってこなかったら、と考えているのだろう。
「宇宙人を殺す、なんて物騒なことは言わない。だけどここにある体を返したい。帰るべき場所に。だから、わたしは宇宙人と話したい」
――それは、大川の決意なのだろう。
自分で決めたことに誠実であろうとする強さ。結果として辛い目にも遭ったりしただろうけれど、その強さに救われた俺みたいな人間もいる。
「そうだな。大川? どうした?」
壁に耳をつけたまま大川が眉を顰めた。
「ひとの声がする」
俺も真似をする。たしかに、壁の向こうで、話し声が聞こえるような気がする。
2人で顔を見合わせた。考えていることはおそらく同じだろう。
「3発目を使おう。さっきみたいにタイミングは一瞬だ。2人でこじあけよう」
「うん」
「せーのっ!」
壁の下の方にピストルを打つ。すぐにピストルをポケットに突っ込む。ピンポン球が当たると、ぐにゃり、と穴が開いてねじ曲がる。ふたりで穴に手をかけて思いきり広げる。力任せに、全力で、とにかく。
「行けっ!」
やっと通れそうなくらいまで穴が広がったところで小柄な大川が飛びこむ。俺も無理やり体を差しこんだ。
――そして、目の前にあったのは、夜――
辺り一帯が薄暗い。
何故か俺たちは星穴の入り口へ向かう、窪みの上に戻ってきていた。
(違う)
目を凝らすとそれが間違いであることが解った。さっきはオーロラ色だったけれど、今度は薄闇の空間に来てしまった。何もかもが存在せず、足元さえも意識しておかないと覚束ない。音も、匂いも存在しない。簡単にイメージするならば、宇宙。
「はな、むら」
震えた視線の先を追う。
大川の動揺は、これまでとはまったく異なるものだった。ここまで散々ファンタジーな展開を受け入れてきたのに、もっと信じられないものがあるのか?
穴の最も低いところで、オーロラ色の発光体が蠢いていた。脈打ち方がオーロラ色の壁と似ている。
よくない存在だ。本能とか、直感で理解できた。背筋が粟立つ。見続けてはいけないけれど、釘付けになってしまう。
「もしかして、あれが宇宙人」
対峙しているのはおもちゃのピストルを持った花村。睨みつけて、微動だにしない。機会を窺っているのだろう。
「ま、待って。まずは話をしたい。宇宙人と」
「落ち着け、大川」
飛び出していこうとする大川の腕を掴む。
「ゆず!」
どこからともなく走ってきた結城が、俺の反対側から大川に抱きついてきた。
体を離してふたりが向き合う。結城は大川の両肩に手を置いて、瞳を潤ませた。
「ゆず、どこにいたの? 探したんだよ」
「どこって、委員長と一緒に璃亜たちを探してたんだけど。よかった。璃亜は花村といたのね」
「うん」
結城が笑みを浮かべる。
何故だか、宇宙人らしい物体を見たときと同じように戦慄している自分がいた。同時に花村の言葉が――気をつけろという忠告が浮かんで反射的にピストルを取り出す。
「大川、伏せろ!」
先に叫んだのは花村だった。
きょとん、と大川が花村の方を向いた瞬間だった。結城の背中からオーロラ色の発光体が飛び出る。発光体が大川に向かう。俺は発光体を撃つ。花村は結城を目がけて撃つ。俺たちは、迷うことなく――さっきまで行動を共にしてきた少女を攻撃した。
ぶしゃあ!
被弾した結城が飛び散って粘着質の何かになる。頭上の発光体は霧散。
なんとか伏せられた大川の背中に粘着質の物体が降りかかる。俺は発光体を吸いこんでむせる。手で、霧を払う。
「おいおい、冗談だろう……?」
心拍数が上がってきているのが自分でも判る。
霧が消えて、まずはマンガのような台詞を言わずにはいられなかった。
花村の対峙していた発光体が。
段々と、人間のかたちをとって。
結城になっていく。それも、一糸まとわぬ姿で。
うそ。と、足元から、掠れ声。
「璃亜も宇宙人の犠牲者だったの……?」
「違う!」
花村が否定する。
「結城璃亜こそが、この街に巣くう宇宙人の正体だ」
発光体、宇宙人、結城は、ゆらゆらと揺れている。
「大川のおかげで宇宙人をあぶり出すことができた。感謝している
まるで悪役のように、花村が口角をわずかに上げてみせた。
……大川は立ちあがることができないでいる。
俺は最後の1発をどう使うべきか考えあぐねている。さっきまで仲間だった存在に向けて大声で問いかけた。
「花村の言っていることは、本当なのか? 結城は、人間じゃなくて、宇宙人なのか」
宇宙人は輪郭を発光させながら、ゆらゆらと動く。声は口からではなく空間に響いた。
『人間の定義とは?』
それはたしかに、エコーがかかっているけれど結城の声と同じ音だった。口は動いていない。ただ、音が響くのみ。
『社会性を有していること? 決まった発情期がないこと? 喜怒哀楽があること?』
誰も答えなかった。
『だとしたら我も人間といえるのではないか?』
ぐにぐにと宇宙人が動く。気体なのか固体なのか、判別がつかない。もしかしたら液体なのかもしれない。
『宇宙を彷徨う中、かくも美味なる生物があると噂を受けて地球に降りたのはほんの気まぐれだった。しかし、多種多様な食事をするうちに、我は興味を抱いたのだ。人間というものに。教えてくれ、我は完璧な人間となれていたか?』
結城璃亜。
あんなに表情豊かで情に厚い、そしてちょっと変わった女子高生だと思っていたのに。
『今まで出会ったなかで最も興味深い人間だわ。弱いのに、強い。強くて、脆い』
大川を評する言葉の不自然さをようやく理解する。
──自らは人間ではないから。
人間を装って、演じていたから。
元々は餌だったのに、何かしらのきっかけで、人間になりたくなったと仮定して。
大川譲羽を観察していたと、仮定して。
今この瞬間でさえ、完全に信じられないでいる。
結城が宇宙人だったなんて。人間を模倣しようとしていだだなんて。
そして問うている。評価を、求めている。
きっとそれは、大川にとって結城璃亜がどんな存在だったか、という質問でもあるのだろう。




