〜大川譲羽〜
「不思議な経験をしたり、世界を救えるのは、物語の主人公だけなんだから」
小学校3年生のとき、県境の山のふもとに隕石が落ちた。
そのときわたしは家で算数の計算ドリルをやっていた。丸つけをしようと水色のペンケースから赤ペンを取り出したところで突然揺れを感じて、びっくりしてテレビをつけた。ニュースの速報でそれが地震ではなくて隕石が落ちたせいだと知った。
残念なことに隕石は発見されなかったけれど推定落下地点にはぽっかりと大きな穴が空いた。奇跡的に撮影されたらしい動画は繰り返しテレビで流れた。マスコミや研究者、とにかく色んな人間が隕石について取り上げたり調べたりした。分析の結果、日本で2番目の隕石クレーターと認められた。宇宙人の存在についても議論されて、世の中はちょっとした隕石ブームになった。その年の流行語大賞は『隕石』だった。
――危険なので子どもは行ってはいけません。
親や先生が禁止したからって子どもの好奇心が収まる訳なんてない。わたしも例に漏れず、友人たちとバスに乗って、隕石の落ちたという山へ向かった。県内とはいえ子どもたちだけでバスに乗って遠出するのは初めての経験で、それだけで昂揚感は高まっていた。
――もしかしたら宇宙人に会えるかもしれない!
未知との遭遇に期待して胸を膨らませていたものの、山の入り口には立ち入り禁止のロープが張られ、多くの警察官が立っていた。結局、目的地には近づくことすらできなかった。
一緒に行った友人たちは口を揃えてつまんないとか宇宙人を見たかったなどとぼやいていた。
わたしは相づちを打たずにぼんやりと考えていた。
不思議なことなんて簡単には起きない。
それは物語のなかにしかない。
だから、そんな言葉が口をついて出た。
「へぇ」
わたしの話にじっと耳を傾けていた目の前の色白な少女は、ゆるくパーマをかけたような癖毛のショートボブを軽く揺らしてから、にやりと瞳を輝かせた。
「それでも『星降り』の自由研究で市長賞を貰ったんでしょう? 不思議なことが起きてほしいって、思い続けていたんじゃないの?」
「よく覚えてたね、そんな話」
ドーナツを囓ると、表面にたっぷりまぶされていた砂糖の甘さで舌が痺れた。
「だって、夏休み中ずっと、降ってくる星が酸性かアルカリ性か調べたって、なかなかできないことよ」
「小学生の頃は変なところで真面目だったの。結局、親の離婚もあったし、いじめの被害者にもなったし、人間は心に対して鈍感に振る舞うべきだということをわたしはわたし自身から学んだのでございます。この15年で」
「鈍感、ねぇ」
彼女は眉を少し下げた。
紺色のブレザーに紅色の細いリボン。シャツの第一ボタンをきちんと留めている以外は、わたしも、同じ恰好をしている。
どこからどう見ても、普通の女子高生がふたり、ドーナツショップでお喋りをしているだけだ。
砂糖を控えめに入れたカフェオレで砂糖の甘さを洗い流す。今度は逆に口の中に苦みが広がった。しまった、カフェオレには砂糖をしっかり入れておくべきだった。
「わたしはわたしの心に怠惰に生きていく」
高校に入学して最初に出来たこの友人は、わたしのひねくれた考えをどれだけ聞いても批判や非難を向けてくることがない。
「興味深いわね、人間という生き物は!」
「あんただって人間のくせに何を言うか、璃亜」
それもそうね、と結城璃亜が呟く。そして、ねぇ、と続けた。
「もしも大川が不思議な力を手に入れたとして、誰かを救えるのだとしたら、あんたは力を使う?」
「まさか。面倒なことはもうこりごり」
「いいや、きっと大川譲羽は救う側の人間。あたしはそう思う」
「残念でした。その前提がそもそもありえないから。わたしはただの女子高生なんだから」
ただの女子高生、という言葉を強調してみせる。
璃亜は氷だけになったアイスコーヒーに突き刺したままのストローをぐしゃっと噛み、笑った。
「ただの女子高生が案外、最強だったりするものよ」
先週買ったばかりの艶ありリップを塗った唇の奥に八重歯がちらりと見えた。
「はいはい。万が一わたしに不思議な力があったとしたらまず実力テストを消滅させるわ」
適当にあしらって、ドーナツとカフェオレの乗ったトレイをテーブルの脇によける。座ってからずっと開きっぱなしの現代国語の問題集は1問も手をつけていない。
「テストが終わったら校外学習か。芋掘り、楽しみだなぁ」
気が早い。既に璃亜のなかでは実力テストが終わっているようだ。
「高校生にもなって土まみれになるのを喜ぶ人間がいるとは思わなかった」
「あ、でも、どこかへ一緒にお出かけもしたいね。ハッピーランドなんてどう! 観覧車!」
「えー? やだよあんなしょぼいところ。芋掘りとレベルが同じだよ。女ふたりで行ってもちっとも楽しくないって」
「彼氏でもつくる?」
「好きなひとがいない」
わざとらしく頬を膨らませてみせると、璃亜は指で頬をつついてきた。
「あんたと恋仲になる相手は、付き合う前にまずあたしが審査するから」
「なにそれ」
顔を見合わせて、ふたり、同じタイミングで吹き出した。
他愛のない女子高生の会話だ。
そう。
わたしは、普通の女子高生で。
これから始まることなんて知る由もなかった。
なにひとつ。