その気にさせないで(5)
困った。
「どういうつもりなの、あなたたち。中学生なんでしょ? どこの学校?」
「ええと……それはっすね……その……」
「黙っていても、制服から調べればわかるのよ。その前に正直に言わなければ学校に連絡します」
「堀川っす! 堀川学院の中等部っす!」
「よろしい」
森山流歌はフランとともに校門前で女性教師につかまり、問い詰められていた。
神村真夜に会うべくフランとともに真夜の高校へやってきたまでは良かった。そこから先を全く考えていなかった。
人狼である流歌の嗅覚は人間の約一〇〇万倍である。おかげで真夜がまだ校内にいることはわかったので、とりあえず大声で呼んでみたのだが……当然真夜以外の人間にもその声が聞こえることに頭が回らなかったのである。
「……バカ」
「フランさんも止めなかったじゃないすかー!」
隣で一緒に怒られているフランが呟いたので、流歌は怒鳴った。
「喧嘩しないの。それで? 神村さんとはどういう関係なの? お友達?」
女性教師がたずねてきたので、
「そうっす! 神村さんは友達っす!」
流歌はあわてて取り繕った。が、
「……友達なら普通、ケータイで連絡取るんじゃないの?」
「ああっ! あうあう、ええっとぉ……」
再びしどろもどろになってしまう。もう全部正直に話してしまうか? いや、それでは真夜に迷惑をかけるかもしれない……(もうじゅうぶん迷惑をかけている気もするが)。
流歌が悩んでいると、当の真夜がもう一人の生徒とともにこちらへ走って来るのが見えた。
「森山さんっ!」
「神村さーん!」
真夜が息を切らして流歌へ駆け寄ってくる。良かった、これで解放される!
教師は真夜たちの姿を確認すると、
「神村さん。この子、あなたの名前を呼んでたけど……お友達?」
「え? いえあの、お友達というか、なんというか……私のことを狙ってるというか……」
「誤解を招くような言い方はやめてほしいっす!」
「いやあ、助かったっす! 神村さんの友達さんのおかげっす」
「村田だよ。村田路美」
「そう、村田さん! ありがとうございました!」
「いや……」
流歌に両手を握られて感謝され、村田路美は照れくさそうだ。
流歌たち四人は中庭にあるベンチへ移動していた。
教師の追及に対し、村田路美が『真夜の知り合いの中学生が明日に迫った受験に備えて下見に来たところ、テンションが上がって叫んでしまった』という苦しいながらもそれなりに筋の通ったストーリーをでっち上げて、なんとか説得することに成功したのだった。教師は流歌たちを怪しみながらも、校舎内に入らなければ午後一時までは学校の敷地内にいてもよいと許可してくれた。
「路美、演劇部の脚本家だもんね。作り話は得意なんだよね」
真夜がにこやかに言った。
「へえ、そうだったんすか」
「あたしのことはいいから! ……あなたたち、真夜に用があったんじゃないの?」
路美が流歌たちに話を振ってきた。
「そうでした! ……神村さん」
流歌は真夜に向き直った。
「は、はい」
「この間お会いした時は社長に任せきりでしたけど、今度は自分の言葉で言います。自分たちと一緒に、アイドルやってください。お願いします!」
真夜に頭を下げながら、流歌は浦戸に言われたことを思い出す。
一週間前にファミレスで神村真夜と別れた後、帰りのタクシーの中で流歌は浦戸に問いかけた。
「社長、神村さんに断られちゃいましたけど、どうするんですか?」
「一度拒否されたくらいであきらめはせんよ。ただまあ、あまりしつこいと嫌われるからね。しばらく間を空けようとは思う。押してダメなら引いてみろ、だ」
「そうすか……」
「君たちの気持ちはどうなんだ? 神村くんをメンバーとして迎えたいと本気で思っているのか?」
「え……」
流歌とフランは後部座席で一瞬顔を見合わせた。フランに目で促され、流歌は口を開いた。
「……正直、よくわかんなくなったっす。神村さんに会う前は、単純に『天使の学園』の栞ちゃんと組めるかもしれないんだ! って、ワクワクしてました。でも実際会ったら、すごくかわいいし、いい人そうなんですけど、本人が乗り気じゃないみたいじゃないっすか。『天使の学園』でいろいろあったみたいですし……」
ファミレスでの神村真夜の様子は、尋常ではなかった。無神経に立ち入っていいものだろうか。
「あまり強引に誘うのも、どうかなって……」
流歌の言葉に、フランも黙って何度もうなずいている。
「そうか。……私は、あえて今日神村くんと顔合わせさせるまで、君たちに彼女の情報を必要最小限しか与えなかった。さっきも言ったが、私はしばらく神村くんとの接触は控える。その間、神村くんについて自分で調べてみてはどうかな。そのうえで、神村くんをリーダーに迎えたいかどうか、もう一度よく考えてみればいい」
「調べるって……どうやってっすか?」
「それも自分たちで考えなさいよ。なんでも大人に頼ろうとするんじゃあない」
浦戸は諭すように言った。
流歌は頭を上げて、真夜を直視した。金髪の美少女は口をもごもごさせ、何か言おうとしているが、言葉が出てこないようだった。
彼女は悩んでいる。きっぱり拒否されたファミレスの時とは感触が違う。いけるかもしれない、と思った流歌は直球勝負に出た。
「……あの後、『天使の学園』のDVDを事務所から借りて、何年かぶりに全話見直したんです。神村さんすごいなって、改めて思いました」
当時小学生だった神村真夜の演技が上手だったかと言えば、そうでもないと流歌は思う。初めてのドラマ出演だけあって、人気子役だった主演の来栖蛍の演技力に及ぶべくもない。しかし、役が乗り移ったような、鬼気迫るものがあった。
自らは手を下さず、取り巻きを使って主人公を執拗にいじめ、傍らで冷たく笑う。いじめに感付いた担任教師すら罠にはめ、上から目線で脅迫する。最終回ではいじめが露見し、それまで表に出さなかった感情を爆発させ、主人公と和解もせずに姿を消す……。
ぞっとするほど美しい金髪の少女には、悪の魅力があった。テレビ放送当時、いじめに抵抗する主人公を応援し、真夜が演じる栞を憎たらしく感じながら、どうしても目が離せなかったことを流歌は思い出した。
「でも、ドラマが面白くて、神村さんも魅力的で、大ヒットして、話題になって……だからこそ、辛い思いをされたんすね」
真夜が下を向いた。自分は真夜の古傷を抉ろうとしている。申し訳ないと思うが、流歌には真正面からぶつかることしかできない。
「古本屋さんを巡って、四年前のいろんな雑誌を片っ端から読んでみたっす。自分は当時小学四年生だったからそんなのよく知りませんでしたけど……今読むと、ひどいもんですね。いい大人が小学生に対して、興味本位であることないこと書き立てて」
フランも横から加わった。
「匿名掲示板の過去ログや当時の個人ブログなんかも当たってみた。……吐きそうになった」
そうした雑誌やネットでの真夜に対する中傷を読んだとき、流歌は激しい怒りを覚えた。
『あんな根性が捻じ曲がった役を演じる子は、きっと性格が悪い』という勝手な想像。
『ドラマがヒットしたのは自分のおかげだと家族揃って吹聴している』という真実味の無い情報。
『ハーフでちょっとかわいいからおいしい役がたまたま回ってきただけで、演技は下手なのにいい気になっている』という醜い嫉妬。
『あの子のおかげで主役の蛍ちゃんが全然目立たない。死んでほしい』という気軽な殺意まであった。
一つ一つはごく小さく軽い悪意であっても、寄り集まると巨大な流れができてしまう。真夜を称賛、弁護する声も当然あったが、どうしたって悪意の方が強い。真夜自身は当時その手の悪意を直接目にすることは無かったかもしれないが、周囲の人間たちは否応なく影響を受けただろう。
まだ小学生だった真夜の身にどんなことが起きたのか流歌に真実を知る術は無いが、彼女が芸能界から姿を消したという結果から想像することはできる。大人の俳優であれば、悪役としての評判を糧にすることもできるのだろう。だが、ドラマ初出演で、芸能界でずっと生きていく覚悟もできていない小学生にはあまりに酷だった……。
黙って下を向いている真夜がどんな表情をしているのか流歌からは見えないものの、ファミレスのときのように声をあげる様子は無さそうだった。友人の村田路美に怒られるかと思ったが、彼女は何も言わず流歌たちを見ていた。その目は『続けて』と言っている。流歌は話を続けた。
「とても理不尽だと思いました。自分ではなく、役のせいで叩かれるって……」
ここからだ。ここから、流歌も覚悟を決めなければならない。
「でも、それが芸で生きていくってことなんですよね。自分は歌うことが大好きで、歌を仕事にできたらいいなって思ったから今の事務所のお世話になって、アイドルを目指そうとしているんですけど……そんな簡単なもんじゃないって思いました。自分の仕事が、想像もできないような影響を世の中に与えてしまうことがあるって」
一息ついて、真夜を見た。真夜はまだ下を向いている。
前を向いてくれ、と念じながら流歌は続けた。
「だけど、だからこそ、神村さんはやっぱりすごいって思うんです。世の中を巻き込む何かを、子どもなのに持ってたってことっすよ。いや、持ってたんじゃなく、今だって持ってると思うんです。見た目のかわいさだけじゃない……この人を放っとけないって思わせる何かを! それを使いましょうよ、神村さん。もったいないっすよ!」
「かっ……!」
真夜がやっと顔を上げた。白い肌が紅潮している。
「か、か、勝手なことばっかり言わないでっ! アイドルになんてなっちゃったら、きっとまた叩かれる……。例え吸血鬼キャラだなんだって設定作っても、すぐにバレる!」
「はい。きっとバレるし、叩かれると思うっす。バカにもされるだろうし、笑われもするでしょうね。人外アイドルなんて、イロモノですし」
「えっ」
流歌のあっさりした返事に、真夜は拍子抜けしたようだった。流歌は笑って、
「それでも、いいじゃないっすか。今度は神村さん一人じゃないんです。自分たちが一緒です。嫌な思いは単純計算すると三分の一で済むんすよ。そのうえ、嬉しいことは三倍っすよ。良いことずくめじゃないっすか」
真夜の顔から力が抜けた。
すると、それまで黙っていたフランが口を開く。
「それに社長も言っていたことだが、アイドルとしての神村真夜で、小学生だった頃の『神村真夜』を上書きするべき。芸で受けた傷は、芸で乗り越えるしかない。フランも流歌も、その手伝いはいくらでもする。もちろん、逆にフランたちに力を貸してほしいとも思う」
淡々とした調子のフランの言葉を聞きながら流歌はうんうんとうなずいたが、真夜はと言えばまた下を向いている。大丈夫だろうか。
「神村さん……」
流歌が声をかけると真夜は小声で、
「お……」
「お?」
聞き返すと今度は大声で、
「お手洗いに行ってくるぅぅぅぅーーっ!!」
そう叫びながら、いきなり校舎へと走り出して行った。