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ひとりじゃないの(2)

 入浴を済ませて自室に戻ると、来栖蛍は荒々しくドアを閉めた。バタン! という音が響く。下の階にいる母親は驚くかもしれないが、どうでもいい。

 Tシャツにショートパンツという服装の蛍はベッドに腰掛け、子どもの頃から部屋にある巨大なクマのぬいぐるみを自らの傍らに配置した。それから録画機器の電源を入れ、数時間前まで放送されていたテレビ番組を再生する。『3×3CROSS』選抜総選挙の結果速報番組である。

 CDに付属した投票券により行われる『3×3CROSS』選抜総選挙。得票数上位一〇名が、次のシングルでボーカルを担当することができるというものだ。そして、ドーム球場で行われた選抜総選挙の結果発表を中継し、それをスタジオで芸能人たちが好き勝手にコメントする形式の特別番組が、今年も実に四時間にわたって放送されたのである。

 自らの順位が発表された『3×3CROSS』のメンバーたちが順番に登壇し、感想をスピーチしていく。大抵はファンやメンバー、家族への感謝の言葉だ。中には感極まって泣き出す者もいる。が、その場にいた蛍にとって、そんな茶番を今改めて見る意味は無い。蛍はクマのぬいぐるみを抱きしめながら、リモコンを操作して早送りした。

 今、蛍が確認したいのは蛍自身の結果発表時の様子と、それに対するスタジオの反応だ。自らの順位はわかっている。蛍の一つ下の順位のメンバーによるスピーチが終わったところで、早送りを止めた。

「続きまして、第一二位! 来栖蛍!」

 男性司会者の声が球場に響く。詰めかけた五万人を超えるファンがどよめく。すぐにステージ上で待機していた蛍の顔が大写しになった。……ほんの一瞬だが、苦渋の表情が浮かんだのが自分でもわかる。画面の中の蛍はすぐに朗らかな顔になり、スピーチをするため椅子から立ち上がってステージ中央へと向かう。

「来栖蛍です! 皆さん、ありがとうございます! わたしのような新参者にこんな多くのご支持をいただいて……本当に、本当にありがとうございます!」

 明るく、笑顔で、自分の『3×3CROSS』内の立場をわきまえ、決して完璧ではなくところどころで適度に詰まる、アイドルとして万人に好かれるスピーチが続く。こうして客観的に見ても、問題は無いと思う。すぐに頭を切り替えられたのは良かった。

 スピーチが終わり、会場の中継からスタジオへと切り替わると、芸能人たちによる蛍の結果へのコメントが始まった。

「ほたるん一二位でしたかー! 『3×3CROSS』に加入してわずか二ヶ月でのこの結果、いかがでしょう皆さん」

「素晴らしい結果ですよね。これまでの『3×3CROSS』でこんなにすぐに結果を出した子は他にいませんよ!」

「でも、子役時代からの人気と実力があるからこそですよね」

「それはそうですが……」

「どうせなら一〇位以内に入って次のシングルの選抜メンバーになるところまで行ってほしかったなあ。かつて一時代を築いた人気子役だったことを思えば、この結果は物足りないですよ」

「えー。じゅうぶんじゃないですか」

「だいたいね、彼女は芸能界での経験が豊かすぎて、完成されてしまってるんですよ。未熟なところからの成長を見守ることが、アイドルを応援する楽しみでもあると」

 そこで蛍はリモコンの停止ボタンを押した。

 ふぅ、と一息つく。そして、叫び出したい衝動を抑えながら……左手でしっかりとクマのぬいぐるみを抱いたうえで、腹部を右の拳で殴りつけた。

(うるさいんだよハゲッ! そんなことは自分でもわかってるんだよハゲッ!)

 番組の中で蛍に手厳しいコメントをした、カツラ疑惑で有名なタレントを心の中で罵りながら、何度も何度もクマにボディーブローをする。幼い頃からのストレス解消法だった。クマの柔らかな体は、何度殴っても音が出ないのがいい。

(私が一〇位圏外。ありえない。ありえない。以前の私の人気を思えば、ありえない結果だ)

 ボディーブローから頭部への裏拳に切り替えた。テレビが消えた静かな部屋の中で、ボスン、ボスン、というかすかな打撃音だけが聞こえる。

 やがて落ち着いてきた蛍は打撃を止め、ベッドへ寝転がった。クマの首を両脚で挟み、ギリギリと締め上げながら考える。

 高校生に成長してしまったから、人気が無いのか? かつて蛍のファンだった層はやっぱりロリコンだったのか? いや、それなら『3×3CROSS』のファンからもっと人気が出てもいいはずだ。二〇代の人気メンバーだって大勢いる。そして外見や歌やダンスやトークの実力が蛍と互角かそれ以上のメンバーは、『3×3CROSS』の中でも数える程しかいない。

 なのになぜ、人気が出ない? もちろん加入二ヶ月しか経っていないことを思えばじゅうぶんだと考えることもできる。だが、蛍は満足できない。大衆の支持を得て、頂点に立つには何かが足りないのだ、何かが……。

 ある程度怒りが収まると、すぐに冷静に分析を始めるのが来栖蛍だ。だが、今回は答えがすぐには出ない。アイドルという人気商売は一筋縄ではいかないのだ、やはり。今まで通りの努力を続けていれば、時間さえ経てば人気が出てくるのだろうか……?

 蛍がそう結論付けようとしていた時、テーブルの上に置いた携帯電話が鳴った。クマの首から脚を外し、ベッドから立ち上がって携帯電話を取った。液晶画面には『豚』と表示されていた。今はあまり声を聞きたくない相手だ。が、一応プロデューサーである。出ないわけにもいかない。

「……もしもし」

『やあ、蛍ちゃん。元気無さそうな声だね』

 冬月悟の能天気な声が聞こえてきた。

「プロデューサーは元気ですね。もう夜中だっていうのに」

『あれ、もしかして寝てた?』

「そろそろ寝ようとは思っていました」

『そうか、そりゃ悪かった。だったら手短にいこう。蛍ちゃん、今日の総選挙の結果について、どう感じている?』

 直球な問いかけだ。この男には嘘は付けない。蛍は迷わず答えた。

「……満足できません。自分の中でも納得がいきません」

『ほほう』

「何かが私に足りないような気がします。でも、それが何かわかりません」

『なるほどね。……僕も、その答えは持っていないよ。そんなのがわかりゃ苦労はしない』

「ええ。あなたには教えてもらいたくもありません。自分で見つけます」

『あっはっは! そうかい! ひっひっ、ふっふっふ!』

 何が面白いのか、冬月はひとしきりラマーズ法のように笑った後、

『でも、そのヒントになりそうな仕事のオファーなら来てるんだよ。総選挙が終わったら伝えようと思っていたんで、今こうして電話をしているわけ』

「えっ」

『知りたい? 知りたい?』

「……」

 ウザい、と蛍は思った。

『ウザいと思ったね今』

「わかります?」

『そりゃね……。ええと、じゃあ言います。有川瀬里奈がMCやってる音楽番組から、出演依頼が来ているんだ。数多いメンバーの中でも蛍ちゃんを名指しでね』

「へえ」

 『3×3CROSS』のライバルである老舗アイドルグループ『サンライズ倶楽部』。そのリーダーである有川瀬里奈の番組に呼ばれるとは。『3×3CROSS』と『サンライズ倶楽部』の共演はゼロではないが、かなり珍しい。貴重な仕事かもしれない。

『でも、それだけじゃない。共演者が……例の人外アイドルユニットなんだ。あのシャンプーだかトリートメントだか言う』

「神村真夜も出るんですか」

 蛍は間髪入れず確認した。

『つっこんでよ、さびしいなあ。……出るよ、当然。それだけじゃない。番組側は、神村真夜と蛍ちゃんの久しぶりの共演を全面的に押し出して話題にしたいと言ってきている。かつてドラマで社会現象を起こした二人が、今度はアイドルとして同じフィールドで争うんだ。盛り上がるだろうねえ。どうする? 受けるかい?』

 蛍の答えは決まっていた。

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