青春のいじわる(5)
塩田荘八はパソコンの前で腕組みして座っていた。『Trick or Treat』のデビューイベントの様子が配信されるのを待っているのだ。
「まだ始まらないんですか?」
妻の百合子が声をかけてきた。
「まだみたいだね」
予定の開演時間になったところだが、画面には照明が消されて薄暗い会場の様子が映し出されているだけだ。どんな公演でも数分の遅れはよくあることなので、気にすることはない。
会場の様子の隣には、配信の来場者数が表示されている。一三〇人。新人アイドルだと思えば、こんなものなのだろう。
ふと百合子のほうを見る。彼女は蘭の写真を両手に抱えてソファに座り、心配そうにパソコンを眺めていた。百合子は塩田の視線に気が付くと、
「蘭も見たいだろうと思って」
「……そうだね」
フランがアイドルとしてステージに立つ。それは蘭の願いでもある。
「お、始まったようだぞ」
会場が少しずつ明るくなっていく様子が画面に映る。同時に、『きた』『はじまた』というコメントが画面に流れ始めた。
黒いドレスを着た少女たちの立ち姿が徐々にはっきりと見えてくる。三人はポーズを取り、目を閉じている。マントを羽織った神村真夜が、狼の耳と尾を生やした森山流歌が、そして頭にネジをつけたフランが映し出される。
やがてイントロが流れ始めた。どうやら、いきなりライブから始まるようだ。
(がんばれ、フラン。神村さんも、森山さんも……)
塩田は百合子が抱える蘭の写真に目をやった。写真の中の娘は、にこやかにフランたちの晴れ舞台を見守っていた。
☆ ☆ ☆
モンスターガール 作詞:川沢正志 作曲・編曲:蛇沼れい子
ああ おはよう! Mid Nightにお目覚め
さあ 出かけましょ! 眠らぬ街へ
わたし あなたに早く逢いたい
常夜の国のお嬢さま
さあ 踊りましょ! Full Moonがスポットライト
そう 遊ばなきゃ! 夏の夜だもの
あなた わたしの愛しい獲物
スキあらばかみつきたいっ
☆ ☆ ☆
森山響介は家族共用のパソコンを使って『Trick or Treat』のデビューイベントを視聴していた。両親は店に出ていて不在だ。そのため、祖母と幼い弟たちと一緒に妹のアイドルデビューを見ることになったのだが、
「響介、あの白い字が右から流れてくるのはなんなの?」
「見てる人がコメントを打ち込んでるんだよ」
「8888……というのはなに?」
「パチパチパチパチって音と似てるから、拍手代わりなんだよ」
「はあ、なるほどねえ」
「おー、姉ちゃんが踊っとるー」
「フランちゃんも、金髪のでっかいお姉ちゃんも踊っとるー」
「もう、ばあちゃんも光も満も静かにしてくれ! 聴こえねーじゃん!」
響介はそう叫ぶと、マウスを操作してボリュームを上げた。
画面の中では流歌たちが歌い踊っている。かなり緊張しているのではないかと心配していたが、三人とも微笑を浮かべて楽しそうな顔をしていたので響介はホッとした。
画面を流れるコメントの内容は様々だった。
『かわいいけどダンスはまだまだだね』という評論的なもの。『タイトルからしてモンスターがコンセプトなのか。イロモノだなあw』と面白がるもの。『すべってる感じがする。見てて辛い』という手厳しいもの。
(順風満帆というわけにはいかないんだろうな、やっぱり)
普段そこまでアイドルに興味が無い響介からすると、流歌たちのダンスはじゅうぶんクオリティが高いもののように感じられる。だが目の肥えたアイドルファンが見ると、また違うのかもしれない。
では、歌の方はどうなのだろうか。
「ばあちゃん、もうすぐ流歌のソロのパートだぞ」
「そうなのかい?」
合宿の際に練習を見学した響介は『モンスターガール』の構成を覚えていた。流歌が得意とするのは、やはりダンスよりも歌だ。なんせ人狼だ。声量だけなら高いレベルにあるのではないか。どんな反応をされるのか、気になった。
☆ ☆ ☆
夜明けまではまだまだ長い 明日のことなんて考えないで
そらさないでルビーの瞳 繋いだままで冷たいこの手を
☆ ☆ ☆
流歌が一人で歌い上げると『猫耳の子うめええええ』『声量すげええええ』『まあまあかな』等々、好意的なコメントが流れてきた。
「よっしゃあ見たかー! 猫耳じゃないけど!」
響介は思わず喜びの声をあげた。一方、画面の中の流歌も手応えを感じたのか、満面の笑みを浮かべている。さらに勢い余って真夜に抱きつき『あら^~』『キマシ』『キマシタワ―』といったコメントが流れ始めた。
「お前、真夜さんから離れろやー!」
響介は妹に対する怒りの声をあげた。
「あんたが一番うるさいよ……。喜んだり怒ったり忙しい子だねえ」
祖母の声も響介の耳には入らなかった。
☆ ☆ ☆
恋しちゃったの ねえ 一緒に行きましょ闇の中へ
わたしモンスターガール
☆ ☆ ☆
村田路美は自室のパソコンを使い、真夜たちのデビューイベントを見守っていた。舞台上では、デビュー曲を歌い終えた三人が満足げな表情をしている。
親友というひいき目を抜きにしても、真夜たち三人のパフォーマンスはなかなかのものだったのではないかと思う。真夜の美しさを褒めるコメントもけっこうな数が流れていた。
しかし、と路美は考える。来場者数の表示を見た。開演後から少しずつ増えてはきたが、いまだ二〇〇人に満たない。アニメ関連イベントの配信に数万人の来場者がいる場合もあることを知っているだけに、路美としては歯痒さを感じる。
(最初はこんなものなんだろうなあ。これからどうやって宣伝して、ファンを増やしていくかが大事なんだ、きっと)
路美のような身内を除けば、どんな人がこの配信を見ているのだろうかと想像する。新たにデビューする新人をチェックしに来たアイドルマニアや、動画サイトのトップページに小さく表示された『人外系アイドルユニットデビュー!』という文字に興味を惹かれた人たちだろうか。『Trick or Treat』は彼らの心をつかめたのだろうか……?
そんなことを考えていた路美は、画面に映し出された光景に気が付くと、思わず息を呑んだ。いつの間にか、舞台上の真夜たちではなく、客席の様子に切り替わっている。
恐ろしく閑散としている。一〇人程度しか人がいない。マスコミ関係者しか呼んでいないと聞いてはいたが、流石にこれは……。
コメントでも『うわあ……』『人少ねえええええ』『ガラガラやん』『惨めやな』『もうちょっと取材呼んでやれよ、かわいそうだろ。これは事務所が無能』など、真夜たちを哀れむようなものが寄せられていた。
路美は反射的にキーボードを叩いていた。
『こんな状況でも笑顔を絶やさずに歌い続けたあの子たちって、実はすごいんじゃない?』
すごいよ、真夜は。真夜たちは……。
やがて、舞台上にスタッフによって机と椅子が運ばれてくる様子が見えた。数少ない取材陣による『Trick or Treat』へのインタビューが始まるのだろう。
どうやらその様子も配信してくれるらしい。人外アイドルという設定上、ライブ以上に大事になってくるかもしれない。路美は祈るような気持ちで画面を見つめた。




