なんてったってアイドル(3)
列車が目的地に着いたことを確認して、響介は座席から立ち上がった。
「ほら、着いたぞ。行くぞ」
「着いた―?」
「行くー」
初めて来る町の風景を見るのに夢中な光と満を連れて、列車を降りる。七歳になる双子の弟たちは元気な盛りで、片時も目が離せない。弟たちがついてきているかこまめに確認しながら、響介は小さな駅の改札口を出た。あの男は駅前で待ってくれていると言っていたが……。
「響介くん、こっちです」
響介を呼ぶ声に振り向くと、昨日知り合ったばかりの男が手を振っていた。ワイシャツ姿で眼鏡をかけたその男は、浦戸史郎という。響介の妹である流歌が所属する芸能事務所の人間だ。いや、正確には響介同様に人間ではないが……。
「どうも」
響介は浦戸史郎に軽く会釈した。光と満も、兄の真似をしてぺこりと頭を下げる。
「じゃ、さっそくですが行きましょうか」
「はい」
流歌が練習をしているコミュニティセンターは徒歩で数分の距離にあるらしい。響介と弟たちは史郎に連れられて、昼下がりの田舎町を歩く。N郡は響介の暮らすK市からは電車で一時間ほどかかり、特に有名な観光地というわけでもない。やって来たのは初めてだった。光と満は物珍しそうにきょろきょろしながら歩いている。響介は弟たちの動きに注意しながら、前日に史郎が自宅にやってきたときのことを思い出していた。
ゴールデンウィークの夕方だというのに、響介は弟たちと自宅でゲームをして過ごしていた。本当なら家族でどこかへ遠出するか、せめて友人と遊びに行きたいところだが、あいにく両親は店の仕事があるし、それでいて幼い弟たちの世話を誰かがする必要がある。妹の流歌がいない今、必然的に響介がその役目を負わされることになったのだった。
(光と満と遊ぶのは嫌いじゃないから、別にいいけどさ……)
幼い弟たちと協力して画面の中のモンスターを狩りながら、響介が自らの境遇を心の中で軽く嘆いていると、玄関のチャイムが鳴った。ゲームを中断した響介が扉を開けると、眼鏡をかけた男が立っていた。
「突然すみません。森山……響介くんですか?」
なぜ響介の名前を知っているのか。響介は怪しみながら、
「……どちら様ですか?」
「失礼しました。私、森山流歌さんが所属する『デミヒューマン』の浦戸と申します」
そう言って、男は名刺を響介へ渡してくる。名刺を観察すると、確かに『浦戸史郎』という名前とともに流歌が所属する芸能事務所名が書いてあった。
浦戸史郎と名乗った男は、流歌がN郡で合宿を行っていること、事務所としては流歌と家族の関係改善を図っていることを響介に説明したうえで、
「流歌さんはせっかく長野まで来たのに実家に帰る気があまり無いようで……。だったら、ご家族の方から流歌さんに会いに来ていただいてはどうかと思いましてね」
父と流歌の折り合いが悪いことはすでに承知しているのだろう。まずは響介と弟たちだけでも流歌と久しぶりに会ってみてはどうかと浦戸史郎は提案してきた。森山家の事情をよく調べているようだ。大型連休に事前連絡も無しにやってきたのも、父がコンビニエンスストアを経営している以上、家族が揃って不在という可能性が低いと考えたからかもしれない。
浦戸史郎は「響介くんがその気になったら私に連絡をください」とだけ言い残して帰って行った。夜、父には内緒で母に相談すると、
「会いに行ってあげなさいよ。あの子もお父さんとは顔を合わせづらいかもしれないけど、あんたとなら大丈夫でしょ。それに、光と満もあの子に会いたいでしょうしね」
二人の弟は、響介よりもずっと流歌に懐いていた。年明けに流歌が家を出てしばらくの間は沈んでいたものだ。響介自身はどうだろう。……二つ違いの妹とは喧嘩ばかりしていたが、なんだかんだで仲は悪くない、と思う。流歌が東京に出てからも、月に数回は連絡を取り合っている(話題は主に弟たちのことだが)。
(……家族なのに半年近くも会っていないって現状は良くないよな)
心を決めた響介は、名刺を見ながら浦戸史郎の携帯電話に連絡を入れたのだった。
史郎に連れられて響介たちがコミュニティセンターへ着くと、午後二時を過ぎていた。
「この小ホールで流歌さんたちはダンスの練習をしています。そろそろ休憩に入るんじゃないかな。練習しているところ、見てみますか?」
玄関先で史郎がたずねてきた。
「でも、部外者ですよ俺たち。勝手に入って集中を乱したりしたら悪いんじゃないですか」
「響介くん、彼女たちは人に見られる仕事を始めようとしているんですよ。練習の途中で人が入ってきたくらいで集中が切れたら、その方が問題です。気にすることはありませんよ」
史郎が笑って言った。そういうものなのか。響介が感心していると、
「ここに姉ちゃんがいるのかー?」
「行くぞー」
目を離した隙に、光と満が二人がかりで小ホールの扉を開け始めていた。
「おいおい……まあ、いいか」
響介は弟たちが扉を開けるのを見守ることにした。扉が開くと、音楽が聞こえてきた。同時に、Tシャツ姿の少女たちが踊っている様子が目に入る。光と満がためらいもせずに室内へ入って行った。
「行きましょう、響介くん」
「は、はい」
史郎の後を追って、響介も小ホールに入る。当然ながら、部屋の外よりも音楽はより大きく響いて聞こえてくる。やや懐かしい印象を受ける曲だった。そして響介の目に飛び込んできたのは、響介や弟たちに全く気が付かないままポニーテールを振り乱して踊り続ける流歌の姿だった。姿かたちは響介が知る流歌と変わっていない。だが、表情は違う。流歌の表情はいつになく真剣だった。ここまで集中している流歌の顔を響介は見たことが無い。
……あれは本当に流歌だろうか。響介は、踊っている妹を黙って見ていることしかできなかった。光と満も、声をかけられずにいるようだった。
やがて音楽が止まり、三人の少女のダンスも終わると、
「はい、じゃあいったん休憩」
指導者らしき女性が言った。ほぼ同時に、少女たちが床に座り込む。
「ああぁぁ、疲れたっすっ!」
流歌が大きな声をあげた。……やっぱり流歌だな、と響介は思った。
「姉ちゃんっ」
「姉ちゃーーーん!」
流歌に負けないほどの大きさで、光と満の声がホールに響いた。
「……光! 満も!」
弟たちにやっと気が付いた流歌が、目を輝かせた。すぐに立ち上がって元に駆け寄ると、両腕で二人を抱きしめる。
「来てくれたのかー、二人とも!」
「うん!」
「姉ちゃん、久しぶりー」
「姉ちゃんも会いたかったぞー!」
三人とも顔をくしゃくしゃにして笑っている。やがて流歌は顔を上げると史郎の方を見て、
「ひょっとしてマネージャーが連れてきてくれたんですか? ありがとうございますっ」
「いえいえ……」
史郎が微笑を浮かべている。そろそろ、響介も声をかけなければいけないだろう。
「元気そうだな」
「……なんだ、兄ちゃんもいたの」
途端に流歌が無愛想になった。
「お前、その態度の違いはなぁ……」
響介が流歌に文句をつけようとしたときだった。
「ルカちゃ……ルカのご家族の方ですか?」
その声の主を見た瞬間、響介は眩暈を覚えた。
Tシャツを着た天使がいる、と思った。大袈裟でなく。




