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なんてったってアイドル(1)

「おいしいっす、これ!」

 前の座席から、流歌の駅弁を食べた感想が聞こえてきた。流歌の声は基本的に大きく、よく響く。元気なのは良いことだが、それも状況による。ゴールデンウィークでほぼ満員の新幹線の中で目立ちたくはなかった。

「森山さん、もう少し静かにしましょう。周りの人の迷惑です」

 浦戸史郎は前の座席へ向けて身を乗り出し、流歌に注意した。

「ご、ごめんなさいっ」

 流歌があわてて小声で謝る。

「すいません」

 流歌の隣に座るフランも頭を下げる。

「テンションが上がるのもわかるんですけどね……」

 史郎が自分の座席に座り直すと、

「引率の先生みたいですね、浦戸さん」

 隣の席の青葉典子あおばのりこが笑って言った。

 青葉典子は『Trick or Treat』のダンスレッスンからデビュー曲の振り付けまで担当してくれているダンサーだ。年齢は三七歳。人外では無くごく普通の人間だが、彼女もまた人外が芸能界に数多く存在するという事実を承知している。だからこそ、社長の浦戸が『Trick or Treat』への指導を依頼したのだ。


 史郎たちは三泊四日の合宿のために長野へと向かう最中である。『Trick or Treat』はデビュー曲のレコーディングこそ完了したが、六月のデビューイベント、さらにその後に予定されている各種イベントに向けて、ダンスの完成度を上げなければならない。また、ダンス以外にも人外アイドルとしてのキャラクター作りについて時間をかけて打ち合わせる必要もある。そのため、今年は五連休となるゴールデンウィークを活用して合宿を行うことになったのだ。

 合宿に参加するのは『Trick or Treat』の三人ほか、マネージャーの史郎、ダンス担当の青葉、そしてボイストレーニング担当の羽後なお美の六人だ。羽後は声優でもあるので、特に真夜に関して引き続きキャラ作りのアドバイスを依頼したのだった。新幹線の座席も真夜と羽後は隣り合っており、何やら話し込んでいる。

「女子が五人もいると、さすがに賑やかになるのは仕方ないですかね」

「ハーレム状態ですよ浦戸さん」

 史郎が駅弁に箸をつけながらぼやくと、青葉が楽しそうに反応した。

「ハーレムといってもねえ、青葉先生と羽後先生は既婚者ですし、三人は担当アイドルですからね。それよりなにより、仕事ですから。華やかでいいとは思いますがね」

 そう、仕事なのである。この合宿でマネージャーの史郎としては、真夜たち三人の世話だけではなく、彼女たちがダンスの特訓で汗を流している間にやっておかなければならない仕事が多々あるのだ。

「マネージャー、マネージャー」

 駅弁を食べ終えたらしき流歌が、前の座席からひょいと顔を出して話しかけてきた。

「前から聞こうと思ってたんすけど、なんで合宿の場所が長野なんすか? 関東でもどこかありそうなのに」

「深い理由はありませんよ。ちょっと都会から離れた方が気分転換になるじゃないですか。それに、社長と個人的に昔からつきあいがある宿があって、安くしてくれたというのが大きいですね」

 流歌は一瞬何か言いたそうな顔をしたが、

「ふうん……」

 とだけ言って、顔をひっこめた。

 史郎は嘘はついていない。だが、事実を包み隠さず伝えたわけでもない。

 まず間違いなく、流歌はこう言いたかったのだろう。『長野に合宿に来たついでに、実家に顔を出せということっすか? 森山は嫌ですけど』と。

 

 森山流歌と実家の関係は悪い。正確には、父親との関係が悪い。流歌の芸能界入りに関して、父親の森山和彦もりやまかずひこは最後まで強硬に反対していたという。最終的には和彦が折れた形になり、流歌は中学二年生にして一人で上京することになったが、その過程で相当激しく喧嘩したらしい。

 年明けから上京し社長である浦戸賢一郎の自宅に居候している流歌は、春休みにも実家に帰らなかった。このゴールデンウィークも、流歌から実家に帰ると言い出せば事務所としても許可するつもりだったのだが、流歌はまったくそんなことを言わなかった。

「できれば、デビューまでにはルカと実家の関係を改善しておきたいよなあ。私もルカのことを娘のように思ってはいるが、それとこれとは別だ。今の状況はルカの将来を考えても良くないよ、やはり」

 賢一郎はそう言って心配していた。

 かくしてデビュー前の合宿を行うにあたり、場所を流歌の地元である長野に設定したのである。地元とは言っても合宿を行うN郡と、流歌の実家があるK市はやや距離がある。流歌が実家に顔を出すと言ってくれば史郎が送り届けてやるつもりだが、今のところそんな様子は無い。数日前には真夜からも流歌へたずねてくれたらしいが、「合宿に集中したいから、帰るつもりはないっす」と笑顔で返されたという。

(これは、俺が動かなきゃいけないだろうな……)

 史郎は高速で流れて行く景色を眺めながら、頭の中で段取りを考え始めていた。


 六人は駅に着くとレンタカーに乗り、史郎の運転で約一時間かけて宿に向かった。三泊することになるのは小さな町にある小さな民宿だが、居心地は良さそうだった。

 宿に着くと一時間ほど休憩した後で全員外へ出て、主にダンスの練習を行うことになる地元のコミュニティセンターへ徒歩で向かう。管理人に挨拶を済ませ、真夜たち『Trick or Treat』と振り付け担当の青葉がTシャツへ着替え終える頃には、午後三時を過ぎていた。

「それでは青葉先生、三人をお願いします」

「ええ、軽くレッスンということにしておきますね」

 青葉は史郎の言葉にうなずくと真夜たち三人に向かって、

「今日は疲れてるでしょうから、確認程度ね」

「はいっ!」

 三人が声を揃えて元気に返事をした。

「明日からが本当の地獄だからね」

「……はい」

 三人の声は揃ってひきつっていた。

 ダンスの練習には直接関係ない羽後なお美はといえば、やや離れた位置で真夜たちを興味深そうに観察している。

「羽後先生はどうされるんですか、この後」

「真夜ちゃんたちの練習をちょっと見学させてもらった後、この辺をお散歩しようかと思ってますよ。浦戸さんは? お仕事ですか?」

「ええ、まあ。いろいろと作らないといけない資料なんかもありまして。宿に戻りますよ」

「大変ですねえ」

 羽後は史郎の言葉を素直に信じてくれているようだ。

「それでは、私はこれでいったん失礼します。皆さん、がんばってくださいね」

「はいっ」

 真夜たちの返事を聞くと、史郎はコミュニティセンターを出て、一〇分ほど歩いて民宿へと帰り着いた。だが玄関ではなく駐車場へ行き、そのまま車に乗り込む。目的地は、K市にある森山流歌の実家だ。

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