ヒロインになろうか!(8)
三年前に父の研究室で目覚めた当初、フランは自分のことを塩田蘭だと思っていた。塩田蘭として一五年間生きてきた記憶が残っていたからだ。高速で突っ込んでくる自動車に対する恐怖と、翌日に控えたサンライズ倶楽部の最終選考について考えながら歩いていたせいで自動車に気が付かなかったことに対する後悔。蘭の記憶は、そこで途切れていた。だから、事故に遭って意識を失った後で覚醒したのだと考えるのも当然のことだと言えた。
だが、すぐに父と母により真実を聞かされる。蘭は間違いなく死んだこと。父と母が娘を失ったことを受け入れられず、九年間研究を続けて蘭の遺体からフランを造ったこと。
そして『フラン』という名前も与えられた。父が言うには、『フラン』は『二蘭』であり『不蘭』でもあるとのことだった。
「二人目の蘭ではあるが、蘭そのものではない。だけど、私たちの大切な娘であることには変わりはない。……これから、よろしく頼む」
「……はい」
父にそう言われると、フランは自らの中の『塩田蘭』の記憶をある程度客観的に捉えることができるようになった。フランはあくまで『塩田蘭』とは別の、造られた人間。強いて言うなら『塩田蘭』の妹のようなもの、もしくは生まれ変わり。自らのことをそう定義づけた。
その後、二年ほどは穏やかな生活が続いた。フランの体は一五歳当時の蘭をモデルにして造られており、成長も老化もしない。おまけに、なぜか生まれ持って人間離れした怪力を有していた。普通の人間として生活するには無理がある。フランは自宅兼研究所にこもり、家事や両親の研究の手伝いをして過ごしていた。それだけで満足だった。
生活が変わる契機は、突然やって来た。フランが何気なくテレビで音楽番組を見ていると、サンライズ倶楽部が登場したのだ。すっかり大人っぽくなった有川瀬里奈が、リーダーとして一〇人を超えるメンバーを引き連れ、堂々とトークし、歌い踊っていた。
有川瀬里奈については『塩田蘭』としての記憶にはっきりと残っていた。サンライズ倶楽部のオーディションが進んでいく中で知り合い、ともに三次選考を通過して最終選考まで残った時には「一緒に合格しましょう!」と人懐っこい笑顔を蘭に向けてくれた。蘭の葬式にも出席してくれたという。
もともと、蘭はサンライズ倶楽部の熱心なファンだった。新メンバーオーディションに応募したのもそのせいだが、あくまで軽い気持ちであり、本気で合格できるとは思っていなかった。それが変わったのは、瀬里奈と知り合ったからだ。自分より二つ年下の女の子が、本気でサンライズ倶楽部の一員になろうとしている。その事実に影響されて、蘭は気持ちを切り替えたのだ。最終選考まで進めたのも、瀬里奈のおかげだ。
その瀬里奈が、一〇年経った今もサンライズ倶楽部をやっている。苦しい時期を乗り越えて、アイドルで在り続けている。フランの中の『塩田蘭』が叫んでいた。
アイドルになりたい。いつか瀬里奈と同じ舞台に立ちたい。
フランは自分の中の蘭を抑えられなかった。そして理解した。フランは蘭ではない。だが、全くの別人でもない。塩田蘭は、フランの一部なのだ。
「お父様。フランは、アイドルになりたい」
父にそう告げたのは、ちょうど一年前のことだ。
「それからお父様はいろんなツテを当たって、社長とフランを引き合わせてくれたんだ。そして、フランは普通の中学生としての生活も始めることになった。表向きは、塩田蘭の妹である塩田芙蘭として」
フランは長い話を終え、一息ついている。
「いろいろ……本当にいろいろあったんだね」
真夜は塩田蘭とフランの運命に思いを馳せた。
「でも社長、フランさんがよく普通に中学に通えるようになったもんすね。三年前に生まれたんなら、戸籍とか生年月日とか、なんだか大変そうなんすけど」
「ルカよ、世の中には知らないほうがいいこともあるんだよ。いわゆる大人の事情という奴だ」
流歌の疑問に、浦戸がこれまで見せたことのない迫力で答えた。
「わ、わかったっす! 何も聞きません!」
「よろしい」
少し怯えた様子の流歌を見て、浦戸は満足そうな顔をする。自分もそこには触れないでおこう、と真夜は心に決めた。
「じゃあ社長、昨日蛇沼先生がフランちゃんに見覚えがあるっておっしゃってたのは、塩田蘭さんのことだったんですね」
「そうだろうね。蛇沼先生はサンライズ倶楽部にも何度か楽曲を提供しているから、オーディションの過程で塩田蘭さんに会ったことがあるのかもしれんな」
随分昔に会った気がする、という蛇沼の言葉にも合致する。なんせ一二年前だ。蛇沼がよく覚えていないのも無理はない。真夜は納得した。
「……真夜、ルカ、今まで黙っていてごめんなさい」
フランが唐突に二人に対して頭を下げた。真夜は慌てて、
「な、なんでフランちゃんが謝るの! いいよ、そんなの!」
「そうっすよフランさん! ……自分たち、仲間でしょ」
照れくさそうに流歌が言う。
「うん……」
そう言って顔を上げたフランを見て、真夜はドキリとした。フランが泣きそうな顔をしていたから。この子は決して感情が無いわけではない。表に出すのが少し苦手なだけなのだ。人造人間だからって、それがどうした。真夜と何も変わらないじゃないか。
真夜は失ったものを取り戻すためにアイドルになろうとしている。フランは塩田蘭が叶えることができなかった夢を実現するためにアイドルになろうとしている。意外と似た者同士なのかもしれない。
よし、決めた。
「……皆さん! ちょっと、聞いていただきたいんですけど!」
椅子から立ち上がって叫ぶと、全員の視線が真夜に集まった。
「……私たちって、今はデビューが目の前に迫ってるからそのことでいっぱいいっぱいなんですが、デビュー後の明確な目標が無いんです。CDを何枚売り上げるだとか、どんな会場でライブするとか、どんな番組に出演するとか」
「確かに、今のところは無いですね。大雑把なスケジュールを決めているだけで」
ずっと黙っていた史郎が言った。真夜はうなずき、
「ええ。そこがちょっとだけ心配だったんです。でも、今日フランちゃんの話を聞いて……目標ができたんじゃないかと思うんです。サンライズ倶楽部との共演! これです!」
自分でも驚くほどの明るい声で、真夜はフランを見て言った。フランは困ったような顔で、
「……フランはサンライズ倶楽部と、有川瀬里奈と同じ舞台に立ちたいって思ってる。けど、それはフランの個人的な思いであって……」
「いいんじゃないっすかね。フランさんの思いをみんなの目標にしても」
流歌が言葉を挟んだ。
「ほら、あれっすよ。なんだっけ、ラブオールとか、ホールインワンだとか、そんな感じの……」
「間違い方が体育会系だよルカちゃん! ……でも、そういうことだよフランちゃん」
真夜の言葉を聞いて、フランは黙り込んでしまった。
「異議無し!」
浦戸が言う。史郎とふぶきもうなずいていた。塩田がフランの頭をぽん、と叩く。
「フラン、皆さん良い仲間じゃないか。ほら、何か言うことあるだろう」
やがてフランは澄んだ声で恥ずかしそうに言った。
「あ、ありがとう……」
真夜が初めて見る、フランの満面の笑顔だった。




