ヒロインになろうか!(6)
蛇沼の事務所を出て、真夜たちは史郎の運転する自動車に乗り込んだ。すでに午後七時を過ぎている。今日はそれぞれの自宅まで送り届けてもらい、明日から本格的にデビュー曲の練習に入る予定だ。二週間後にはレコーディングが予定されていた。
「君たち、もう仮歌は聴いているかね」
助手席に座った浦戸が、後部座席の三人にたずねてくる。仮歌とは、歌い手がレコーディング前に歌を覚えるため、別の歌い手により録音した歌のことをいう。
「昨日CDに焼いてもらったのを受け取りましたから、何回か聴きましたよ」
「そうかそうか」
真ん中に座る真夜が答え、両隣の流歌とフランがうなずくのを見て、浦戸は満足そうだった。やがて史郎が自動車を発進させると、
「せっかくですから、仮歌を流しながら帰りますか」
カーオーディオを操作する。車中に七〇年代から八〇年代のアイドル曲を思わせるイントロが流れ始めた。『Trick or Treat』のデビュー曲である『モンスターガール』だ。
「今風の曲ではないっすよね、これ」
「そりゃ、そういう風に蛇沼先生にお願いしたからね」
流歌の素直な感想に、浦戸が苦笑した。デビュー曲の『モンスターガール』には、『Trick or Treat』の人外系アイドルという特異なキャラクターを印象付けるという役目がある。曲も歌詞も、おどろおどろしさとかわいさを両立させようとした結果、昔のアイドル歌謡を思わせるものになったのだった。
「でも私は好きですよ、この曲。仮歌さんの声も素敵ですよね」
「そうっすねえ。なんかところどころコブシがきいてて、演歌っぽい歌い方っすよね」
真夜がフォローすると、流歌も乗ってきた。
「……この仮歌を歌ってるの、誰だと思いますか」
史郎が珍しく楽しそうな口調で言った。
「そう聞いてくるということは、私たちの知ってる人ですか?」
真夜は仮歌を注意深く聞いた。どこかで聞き覚えのあるような気もするが、わからない。
「真夜くんはわからないかね。ルカとフランは?」
「わかんないっす」
フランも黙って首を振った。浦戸は笑いをこらえながら、
「ふぶきくんだよ。あのふぶきくんがノリノリで歌っとるんだ」
「うそっ!?」
つい声が出てしまう。ハンドルを握る史郎は笑いながら、
「本当ですよ。あの人は昔、本気で演歌歌手を目指していたらしいですから。外部の歌い手を探そうかとも思ったんですが、経費節減の意味でふぶきさんにお願いしたんです、今回」
「へぇぇぇー。人に歴史ありっすねえ……」
流歌も驚いている。ふと、真夜はフランを見た。ぼうっとしていて、会話に入って来る気配が無い。フランはいつも無口で無表情ではあるが、きちんと周囲を観察しているし、必要なときは会話に入って来る。しかし蛇沼に『以前会ったような気がする』と言われてからずっと心ここにあらずといった様子に見えた。
「……フランちゃん、大丈夫?」
「……えっ? ああ、すまない。考え事をしていた」
「そう……」
それで引き下がろうかと真夜は一瞬思った。が、考え直した。真夜はリーダーなのだ。もう少し突っ込んでいい、はずだ。
「……ねえ、もしかして蛇沼先生が昔フランちゃんに会ったことがあるような気がするっておっしゃってたのが関係してる?」
フランの顔に動揺の色が走った。やがてフランはため息をつくと、真夜ではなく助手席の浦戸に対して、
「……社長、そろそろ真夜とルカに話そうと思う、フランのこと。いつまでも黙っておけない」
はっきりとした声で言った。
「……いいのかい?」
「うん。デビューまでには二人に知っておいてもらいたい」
フランの言葉には意志の固さが感じられた。真夜は流歌と顔を見合わせる。以前ハンバーガー店で少しだけ話題に出た、フランの家族のことが関係しているのだろうか。
「ふむう」
浦戸はちょっと考え込むと、
「明日、事務所で話すことにしないか。映像を見てもらったほうがわかりやすいだろうし、なんならフランのお父上に来てもらってもいい」
「……そうだな。そのほうがいいかもしれない」
フランがうなずいた。
「ちょっとちょっと、さっきからいまいち話が見えてこないっす。フランさんの身の上話を自分たちに教えてくれるってことっすか」
流歌の疑問に浦戸が答える。
「まあ、そういうことだな。身の上話と言うか、もうちょっと具体的に言うとだね……フランが『人造人間』である事情を、君たちに明日全部話そうと思う」
真夜はフランの顔を見た。フランはいつの間にか目を閉じている。『明日まで待ってくれ』と無言で主張されているように思えた。
そこで会話は途切れた。車内にはしばらく、白井ふぶきの無駄にビブラートがかかった歌声だけが流れていた。
翌日の午後五時過ぎ、『デミヒューマン』事務所の会議室で、真夜は流歌とともにぼんやりしながらフランたちの到着を待っていた。
「来ないっすねえ」
「来ないねえ」
真夜も流歌も前日と同様に学校から直行してきたのだが、肝心のフランたちがまだ来ていないのだった。学校で授業を受けている間も、真夜はフランが人造人間である事情が気になって集中できなかった。この後、全部話してくれるというが……真夜には想像もつかない。どう心の準備をしていいのか、わからないままだった。とにかく、どんな事情であっても正面から受け止めるしかないか……。
「よう、待たせてすまない」
そんな声とともに会議室のドアが開き、浦戸とフラン、そして史郎が入って来る。
「おはようございます!」
「おはようございます……あれ?」
三人に続いてもう一人、見慣れない人物が入室してきたことに真夜は驚いた。眼鏡をかけた、ひょろっとした体型の男性だ。髪は真っ白で、六〇歳は過ぎているように見える。
「紹介しよう。フランのお父上……塩田荘八さんだ」
浦戸の言葉を聞いて、真夜は前日に車の中で浦戸が『フランの父に来てもらってもいい』と言っていたことを思い出した。男は真夜たちにぺこりと頭を下げる。
「フランがいつもお世話になっております」
「いえいえ、そんな!」
「こちらこそお世話になってるっす!」
真夜と流歌はあわてて立ち上がった。塩田荘八は懐から名刺入れを取り出すと、
「これ、名刺です」
真夜と流歌に名刺を渡してくる。
「あ、ご丁寧にどうも……」
真夜は名刺を受け取ると書いてある内容を確認し、息を呑んだ。
『錬金術師 塩田荘八』
(露骨に怪しーいっ!)
口に出して突っ込みたくなるのを、真夜は必死に我慢したのだった。




