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ヒロインになろうか!(5)

「おはようございますっ」

 真夜が事務所のドアを開けると、

「おはようございます、真夜さん!」

「おはよう」

 先に来ていた流歌とフランが挨拶を返してくれた。

「私が最後だったんだねー。ごめんね」

「真夜さんの学校はちょっと遠いから、仕方ないっすよ」

 制服姿の流歌がそう言って笑う。今日は『Trick or Treat』のデビュー曲を担当してくれた作曲家・蛇沼へびぬまれいへ挨拶しに行くことになっていた。相手の都合もあり、三人集まってから蛇沼のオフィスへ向かう予定だ。時間に余裕がないため、三人とも学校から事務所へ直行してきている。そのおかげで、皆制服姿のままだ。

「あれ? フランちゃん、流歌ちゃんとお揃いの制服じゃないね」

 フランと流歌は同じ学校に通っているはずで、真夜の高校にやってきたときも二人は同じブレザーの制服を着ていた。だが、今二人の着ている制服はブレザーではあるが微妙に違う。流歌は以前と同じものを着ているが、フランの着ているブレザーは胸元がリボンからネクタイに変わっていた、

「高等部に進んだから。中等部はリボンだが、高等部はネクタイになるんだ」

「あ、なるほど」

 真夜はフランのシンプルな答えにうなずいた。

 四月に入り、当然ながら三人とも進級した。真夜は高校二年生に、流歌は中学三年生に。そしてフランは高校一年生になった。それまで通っていた堀川学院の中等部から高等部へ、エスカレーター式に進学したのだ。

「おお、真夜くん来たね」

 社長室から出てきた浦戸が声をかけてきた。マネージャーの史郎も一緒だ。

「社長、マネージャー、おはようございます」

 真夜は浦戸史郎のことを『マネージャー』と呼んでいた。『浦戸さん』では社長の賢一郎と区別がつかなくなってしまうし、『史郎さん』と呼ぶのは気恥ずかしい。よそよそしいかもしれないとは思いつつ、消去法でそうしたのだった。

「ああ、おはよう」

「おはようございます……」

 浦戸史郎は相変わらず暗かった。これが史郎の通常モードで、スイッチが入るとテンションが上がり饒舌になるのだということを、真夜はこの一ヶ月の付き合いで理解している。

「さあ、それでは全員揃ったことだし、蛇沼さんの事務所に向かおうではないか。運転頼むぞ、史郎」

 甥っ子と対照的にいつもテンションが高い浦戸が言った。

「あれ? 社長も一緒に行かれるんすか?」

「ああ、蛇沼先生とは古い付き合いだし、君らのことをよろしく頼もうと思ってね」

 流歌の疑問に浦戸が答える。蛇沼れい子はベテランの作曲家だ。アイドルやアーティストへの楽曲提供から映画やドラマ、アニメのBGMまで広く手掛けている。超大物作曲家というわけではないが、音楽に詳しくない真夜でも以前から名前は知っていた。

「よく私たちみたいな新人アイドルのデビュー曲を作ってくれましたよね……。やっぱり社長のコネのおかげですか」

 真夜が言うと浦戸は嬉しそうに、

「ふっふっふ、うちは小さい事務所だからカネは無いが、コネはあるからね。芸能活動は人脈がものを言うのだ。いや、この場合は人外脈と言った方が適切かもしれんが」

「人外脈? ……ひょっとして、蛇沼先生も」

「お察しの通りだよ、真夜くん。蛇沼れい子先生もまた、人間ではないのだ」

 浦戸が楽しそうに言った。


「浦戸さーん! お久しぶりです!」

 真夜たちが事務所に訪れると、蛇沼れい子はすぐにそう叫んで浦戸に駆け寄ってきた。

「はっはっは、お変わりないようですね、先生は」

「ええ、いつも通りですわ。浦戸さんは社長になられて、大変じゃありませんか」

「まあねえ。一国一城の主になりますと、いろいろありますよ」

 蛇沼はスラリとした体型の中年女性だった。外見で特徴的なのは、激しくウェーブがかった黒髪と、大きなサングラスをかけていることだ。浦戸の話によれば、彼女はメデゥーサの末裔だという。メデゥーサといえば、頭髪が蛇で、睨んだ相手を石にしてしまう眼の持ち主だ。

 真夜が蛇沼の容姿にどことなくメデゥーサらしさを感じて納得していると、いつの間にか蛇沼が正面に立っていた。

「あなたたちが『Trick or Treat』ね。資料は拝見していたけど、お会いするのは初めてね」

「は、はい! 神村真夜です。よろしくお願いします! デビュー曲を書いてくださって、ありがとうございました」

 真夜が緊張気味に挨拶すると蛇沼はにこやかに笑って、

「うんうん、よろしくね。普通の人間なのに、吸血鬼のふりするんでしょう? 大変ねえ」

「いえ……」

「でも、確かに吸血鬼に見えなくもないわねえ。大丈夫よ、かわいいもの。うん、本当にかわいい……かわいいわ……」

 そう言いながら、息がかかるほどの距離まで蛇沼が近付いてきた。

「あ、あの」

 真夜は戸惑いながら距離を取ろうとした。だが、なぜか足が思うように動かない。

(なんで!? まさか……メデゥーサの能力!?)

 蛇沼の右手が真夜の頬に触れた。

「ひぇっ」

 そのまま右手で頬を撫で、左手は腰に回してきた。

「あの、あの……」

「ああん、新鮮な反応。かわいいかわいい」

 蛇沼が舌なめずりしている。真夜が身の危険を感じた時、

「ちょっとちょっとー! うらやま……けしからんことはそこまでにしてほしいっす!」

 流歌が割り込んできた。

「蛇沼先生、神村さんも困っていますから」

 さすがに史郎も止めてくれた。

「あら、ごめんなさい。かわいい子を見て嬉しくなるとついやっちゃうんだ☆」

「『やっちゃうんだ☆』じゃないっす!」

「だって真夜ちゃん、綺麗だし、お肌すべすべだし、その割に隙だらけなんですもの。触らずにいられないわ」

「気持ちはわかるっす!」

「わからないでよルカちゃん!」


 そのまま蛇沼は真夜から離れ、流歌やフランと話し始めた。体も動くようになったので、真夜はホッとした。

「蛇沼先生に気に入られたみたいだね」

 浦戸が他の人間に聞こえない程度の小声でささやきかけてきた。

「あんまり嬉しくはないです……」

「まあ彼女はお気に入りの娘に対するスキンシップがちょっと過剰なだけで、害はないから。安心したまえ」

「はあ……」

 流歌やフランと話している蛇沼を見ると、彼女たちに対しては身体的接触をしていない。真夜だけが蛇沼の標的にされたようだ。

(うう、ルカちゃんもよく手を握ってきたり抱きついたりしてくるし……人外に好かれやすい体質なのかな、私)

 真夜が頭を抱えていると、

「では我々はそろそろこれで失礼いたします。蛇沼先生のお邪魔をしてもいけませんので……」

 史郎が話を切り上げようとしていた。

「あら残念」

 蛇沼はそう言うと真夜のもとへ再びやってきて手をしっかりと握ると、

「真夜ちゃん、またね。これからもよろしくね」

「は、はい……よろしくお願いします」

「あなたたちもよろしくね」

 真夜の手を握ったまま、流歌とフランの方を振り返って軽く言う。流歌は複雑そうな顔をしてお辞儀をし、フランはいつも通りの無表情で「はい」と答えた。

「それにしても、フランちゃんとはどこかで会った気がするのよね……。思い出せないんだけど。随分昔だったような……五年前? 一〇年前? それくらいに」

 蛇沼は不思議そうな表情をしてフランを見た。

「……そんなに昔だったら、フランは子どものはずですよ、蛇沼先生」

「そうですよねえ。ごめんなさいね、変なこと言っちゃって」

 浦戸の言葉を聞き、真夜と手を繋いだままで蛇沼が謝った。フランは「いえ」とだけ答える。フランが何を考えているのか、真夜にはわからなかった。

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