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ヒロインになろうか!(4)

 浦戸史郎は胃が痛かった。『デミヒューマン』の会議室で一人、大量の資料に目を通しながら真夜たちの到着を待つ。今日の打ち合わせでユニット名と神村真夜の芸名を決めてしまわなければ、今後のスケジュールに支障をきたす。すでにデビュー曲の製作は佳境に差し掛かっているのだ。来月にはレコーディングが控えている。

 人外系アイドルユニットの活動にあたり、他のアイドルのように大きな発言力を持つプロデューサーがいるわけではない。敢えて言えばデミヒューマン社長である浦戸賢一郎が近い存在だが、芸能界を知り尽くしている伯父も年齢のせいか最近のアイドル事情にまで精通しているとは言い難く、本人もそれを理解している。最終的な決定権は握っているとはいえ、かなりの部分についての判断は史郎に任せてくれている。

 しかし史郎もマネージャー業務に五年以上携わってきたとはいえ、アイドルに関わるのは初めての経験だ。アイドルマニアではあるが、自分の仕事となるとどう進めていくか、わからないことだらけだった。机の上の資料同様に、問題は山積みだ。

 そんな中で史郎がただ一つ心に決めていることは『アイドル自身の意思を極力尊重する』ということだった。事務所の言いなりに動くようなアイドルはいらない。自分で自分をプロデュースできるアイドル。それが理想だと考えている。

 だからキャラクター設定やユニット名についても本人たちにある程度任せたわけだが……今になって不安になってきたのだった。特殊な経歴の持ち主ではあっても、彼女たちはまだ高校生と中学生だ。大丈夫なのだろうか……。

 そんなことを考えながら史郎が吸血鬼らしく缶入りのトマトジュースを飲んだとき、ノートパソコンを抱えた白井ふぶきが入室してきた。

「いつにも増して暗い顔をしてるね、史郎くん」

 ふぶきは落ち着いた調子で言った。史郎がボルケーノに在籍していた頃から、ふぶきは『史郎くん』と呼ぶ。ふぶきが史郎の先輩だからであるが、何年先輩なのかは教えてくれない。

「心配事だらけでね。これから先が不安で不安で仕方ないですよ」

「ネガティブが悪いってわけじゃないと思うけど、少しは社長を見習ってもいいんじゃないかな」

「あの人は前向き過ぎるんですよ!」

 伯父である賢一郎の明るさやバイタリティは尊敬している。尊敬しているが、自分がああなるのは無理だ。

「まあねえ。ちょっとどうかしてるんじゃないかってくらいポジティブよねえ」

「ふぶきくん、そんなに褒めてくれるなよ」

 ふぶきの背後から、当の賢一郎が突然現れて声をかけてきた。その後ろには真夜たち三人もいる。ふぶきは顔色一つ変えず、

「あら社長、おはようございます。真夜ちゃんたちも、今日の会議がんばりましょうね」

 全く動じていない。胆が座った先輩だ、と史郎はつくづく思った。


 会議は、神村真夜の芸名を決めることから始まった。

「社長や、今日はいらっしゃらない羽後先生からいただいた資料も参考に、私なりに考えたんですが……」

 少し緊張した様子で、真夜がホワイトボードに名前を書く。


黒姫くろひめカーミラ』


「ど、どうでしょう」

 顔が赤くなっている。やはり自分で自分の芸名を考えるというのは、気恥ずかしいものなのかもしれない。

「カーミラって、小説に出てくる有名な吸血鬼の名前ですね」

 史郎がそう言うと、

「そうです! 私がこんな外見ですから、外国人っぽい名前の方が自然だろうなって思って、吸血鬼の女の子が出てくるものをいろいろ参考にしたんですけど……やっぱり一番有名な女吸血鬼から名前をいただくのがいいかな、と」

 真夜は由来を言い当てられて嬉しそうだ。

「有名なんすか? 森山は全然知りませんでした。どういう小説なんです?」

 森山流歌が純粋な疑問をぶつけてきたので、

「百合です」

 史郎は一言で答えてやった。

「ゆり? 花の?」

 流歌がきょとんとしている。何も知らないようだ。

「百合とは、女性同士の」

「ストーップ!」

 フランが丁寧に解説しそうになるのを、真夜が止めた。

「ルカちゃん、また後で説明してあげるから、今はここまで。ね?」

「え、ええ。わかったっす。真夜さんがそう言うなら……」

 あっさりそう言った流歌を見て、真夜はホッとしたようだった。


 芸名については賢一郎も異議は無く、神村真夜は『黒姫カーミラ』として活動することが決まった。そして吸血鬼としての設定についても、真夜は意外と考えてきていた。

「変に奇抜な設定を練る必要はないと思うんです。私の外見なら、髪型や衣装さえそれっぽくすれば吸血鬼らしく見えるということはわかりました。あとは話し方さえお嬢様っぽくすればいいかな……と。そのためには羽後先生に指導してもらったり、話し方のレッスンを受けたりしないといけないかもですけど」

「なるほどねえ。神村くんの意向はわかった。よく考えておこう」

 賢一郎がうんうん頷いている。

「それから年齢設定なんですけど、女の子の姿なのに数百年生きているっていう設定のキャラクターが多いんですよね。そこで悩んでいるんですが……」

 そこまで言うと、真夜は恐る恐るといった様子で賢一郎と史郎を見て、

「あのう、参考にお聞きしたいんですが、社長さんとマネージャーさんも吸血鬼なんですよね?」

「うむ」

「はい」

「失礼かもしれませんが……お歳を聞いてもいいでしょうか? もしかして、何百年も生きていらっしゃるのかなって……」

「はっはっは、そんなことか。私は今年で五八だよ。史郎は何歳だったっけ?」

「二七歳です」

 史郎は素直に答えた。

「あれ、普通なんすね。見た目通りじゃないすか」

「つまんない」

 流歌とフランが退屈そうな声で言った。

「君たち……。まあいい。もっと昔、我々のご先祖の吸血鬼は数百年生きていた者もいたそうだがね。私の父も九〇で普通に病気で亡くなったし……まあ多少長生きではあるが……私たちも普通の人間と大して変わらず老いていくだろうね」

「へえ……」

 賢一郎の言葉に真夜が考え込んでしまっているので、史郎はさらに詳しく解説することにした。

「純血の吸血鬼はともかく、世代を重ねて人間との混血が進んでいますからね、私たちは。どんどん人間に近くなっているんです。昼間だってやや元気は無くなるものの活動できますし、ニンニクは食べようと思えば食べられますし。たまに血が欲しくなるときもありますが、トマトジュースでの代用が可能です」

「そ、そうだったんですか。だったら、私も年齢は普通に一六歳でいいのかなあ」

 真夜の頭の中では、設定が固まりつつあるようだった。


 キャラクター設定についての議論はスムーズに進んだものの、難航したのはユニット名だった。

 真夜たち三人が考えてきたユニット名を手当たり次第に検討したが、『セイレーン』『くらやみproject』『魔界っ娘倶楽部』『怪異少女隊』『じんがい魔境』いずれも誰かから異議が出て、決定には至らなかった。

「人外というかオカルトっぽいイメージをユニット名に取り入れるという点では全員の意見は一致しているんですが、難しいですねえ」

 史郎はため息をついた。

「森山は『魔界っ娘倶楽部』好きなんだけどなー。ダサいけど、ちょっとダサいくらいがちょうど良くないっすか、ユニット名って」

 流歌がやや不満そうに言う。

「プロレスラーっぽくなっちゃいますから……。それにさっきも言いましたが、『クラブ』とつくのはもっと大人数のアイドルの方がふさわしいと思うんですよね。森山さんたちは三人ですから」

「うーん、わかります。だからあきらめますよ、森山」

 史郎の言葉に流歌は納得してくれた。だが、史郎にユニット名の案があるかといえば、特に無い。

「ほらほら君たち、そんなんでいいのかな~? もし今日決められなければ、私の『オカルティック・スリー』で決定しちゃうぞ~」

 悩む史郎たちを見て、賢一郎が楽しそうに煽ってくる。

(このオヤジは……)

 心の中で毒を吐きながら、史郎は真夜たちを見て言った。

「……ユニット名については後回しにして、今後のスケジュールについて簡単に説明しておきましょうか」

 真夜たちがうなずくのを確認し、史郎は続けた。

「デビュー曲のリリースは夏……具体的には六月末頃を予定しています。やはりオカルト的なものといえば、夏がシーズンですからね。そこから逆算して、四月にはレコーディングを行うことになるでしょう。六月にデビューイベントをこなし、夏休みを利用して七月と八月に営業のため地方を回る予定です」

「そうですね、学校があるんだから休みじゃないと地方まではいけませんよね……」

 真夜が呟いた。

「そして、デビュー曲はもちろん大事ですが……ある意味それ以上に大事なのが二曲目だと考えています」

「なんでっすか?」

 流歌の疑問に答えてやる。

「デビュー曲がリリースしていきなり売れるということはまずありえないからです。事前にガンガン宣伝活動できれば可能かもしれませんが、そんな予算はうちの事務所にはありません。大手から独立したばかりの弱小ですから」

「あら。でも、そうっすよね……。流石に森山でもわかります」

「デビュー曲発売後に地道に宣伝活動を行うことでじわじわとユニットと曲の知名度を上げていければ良いかと思っています。そしてその頑張りの結果がわかるのが、二曲目の売上だと考えています」

「なるほど」

「二曲目のリリース時期は一〇月を予定しています。ハロウィンがありますからね。ハロウィンもまた、オカルト的なものが盛り上がる時期ですから。利用しない手はありません」

「ハロウィンかあ」

「ハロウィンいいっすねぇ! いろんなイベントもできそう」

 真夜と流歌が楽しそうな声を出す中、フランだけが何か考え込んでいた。

「ハロウィン……ハロウィン……」

 と、小声でブツブツ言っている。

「どうしたの? フランちゃん」

 真夜が声をかけるとフランは全員を見回し、言った。

「ユニット名の話に戻ってしまうが、ハロウィンと聞いて思いついた。『Trick or Treat』って、どうだ」

「!」

 その場にいる全員がはっとした。史郎は考える。言うまでもなく、『Trick or Treat』はハロウィンの決まり文句だ。ということは、ハロウィンが近付くにつれ、誰もがその名を聞くことになる。勝手にユニット名が宣伝されるわけだ。

 しかしユニット名にしては長くないか? いやいや、それは『トリトリ』とか『TOT』などと略せば問題ない。そしてハロウィンの決まり文句なのだから、オカルト要素はじゅうぶんある……。

 史郎は顔を上げた。その場にいる全員が史郎を見ている。賢一郎が言った。

「史郎、異議はあるか」

「いえ……」

「よし。議論が行き詰ったときは、往々にしてこんな形であっさり決まるものだ。決まりだ! 今日から君たちは『Trick or Treat』だー!」

 会議室に賢一郎の声が響き渡った。

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