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作者: 田村まめ

人間不信とは違うのかな。

右耳と左耳にそれぞれ二つずつピアスを開けている彼女は唐突に言った。



「私はさあ、本当に好きな人にはイヤリングをあげたいんだよね」



自分はファッション雑誌を寝転がって読みながら、二人分の食器を洗っている俺に。食べてすぐ寝転がるなんて、牛になるぞって。きっとこの習慣をやめたら、ヨガなんてやる必要がなくなる。

「ふうん」

「もーう、冷たいなあ」

さっき食べたばかりの安売りの豚肉の味を思い出して、焦げた鍋底とかもう剥げてしまっただろうフッ素加工とか、それはきっとイヤリングなんかより重大な問題だ。

きゅ、とお湯を止める。

かちゃかちゃと重なる食器を拭きながら、うーんと唸る彼女の声とテレビから聞こえるお笑い芸人の笑い声と、ぐるぐる混ざり合うそれらに耳をすませた。

つーか好きな人にイヤリングって。イヤリングをつける男なんてあまりいないでしょうよと思いながら、とりあえず、一応、聞いてみた。

「それで?」

「イヤリングってつけてると痛くなるでしょ。でもさあ好きな人からもらったやつなら、つけ続けてくれるじゃん。痛いのを我慢して頑張ってつけてくれるの、なんか興奮する」

「馬鹿じゃないっすか」

「そうかもしれません」



そう言った次の日に、彼女はいなくなったのだ。

残していったのは、十字架のイヤリングと買ったばかりの新しいギターだけだった。





彼女のことをもう少し話すなら、彼女はたったひとりのバンドマンだったということを言わなければならない。マン、いや、ウーマンなのか。

ギターをかき鳴らして声を枯らしたり、時々裏返したりしながら、歌うのだ。透明感のない、誰彼構わず殴りつけているような、縋りつくような歌声。弦を切るためと言っても過言ではないくらい強く激しく鳴らされるギター。聴く人を選ぶような彼女の曲が、俺は何故だかとても好きだった。

ドラムもベースも存在しない彼女のバンドは、本当はバンドではないけれど、ただの『彼女』なのだけど、何故だかひたすら彼女はバンドなのだと譲らなかった。



彼女が俺のもとに戻ってくることは、ない。



そう確信しながら、でもイヤリングをくれたのだから彼女が本当に好きなのは俺、と思いながら、やっぱりちょっと寂しかった。

嘘だ。

かなり寂しかった。ちょっと泣いた。



例えば別れたカップルみたいに、お互いを好きな気持ちが消えるとかお互いを憎むとか、そんなことにはならないだろうし、彼女を好きな気持ちが消えることは絶対にない、と思う。彼女に永遠に恋していられる、なんて、なんてしあわせなのだろうか。きっと麻痺しているのだ、とはそれでも思いながら、今日も俺は一人分のご飯をせっせと作る。自分では料理ができないくせに好き嫌いだけは無駄に多い彼女がいなくなったのだから、もう少し男飯寄りになってもいいとは思うのだが、彩りとか見た目とかそんなものにも気をつけてしまう。折角だし、いつもはやらない呟きサイトに写真を載せてみる。

『今日の夜ご飯〈写真添付〉』

結局、次の日になっても誰からも反応が来なかった。いいね、って誰でもいいし嘘でもいいから言っておくれよ。



「……帰ってきて欲しいなあ」

無理だなあそんなこと、とわかってはいても、思ってしまうのは仕方がない。自分の女々しさにちょっと呆れながら、もそもそと朝ごはんの味噌汁とご飯をかきこむ。これは男飯と言えるかもしれない。





彼女のこだわりというか、意地というか、とりあえずそれはハッキリとしていたし、なかなかのクズ野郎だった。

環境が変わればメールアドレスを変え無料通話アプリのアカウントを削除する。理由はもう連絡とらないのに意味がないから。でも本当は、連絡先を知っていながらちょっとしたことで呼び出すにも躊躇してしまうくらい距離が離れてしまっただいすきな人たちの存在を実感するのが寂しいからなのだということを知っている。

ただそれはすなわち、だいすきな人たちが自分から離れていってしまうと思っている、つまりは信用していないということで、彼女は面倒くさいやつだった。臆病なのだと自分で言っていたけど、確かにそのとおりだった。

それに拍車がかかって、自分がここまでと決めたラインを超えて仲良くなってしまった人とは進んで距離を置いていた。これ以上仲良くなったら何かあった時に立ち直れない、と。それで人との縁を切っていくのはどうかと思うけれど、彼女なりの自己防衛だったのだ。


そして。

「……次は俺かよ……自分勝手め」







イ:なるほど。じゃあ、その彼女さんに向けてギターを始めた、というわけですね。


――ええと、ちょっと違うんです。俺がバンドマン、バンドという形をとっているのは、バンドっていうなかで、俺だけに注目してほしい、ほかの誰にも目を向けないでほしいということで。でも人がたくさんいたら目移りしちゃうでしょ。


イ:シンガーソングライターではだめだったんですか?


――そうですね。やっぱり、バンドがよかったんです。響きとかもかっこいいし(笑)


イ:そのギター、もしかして彼女さんの……?


――違います。彼女が置いていったギターは彼女の分身みたいなものだから、あれ使ったら彼女とふたりのデュオになっちゃうじゃないですか(笑)あ、でもそれもいいかも。今度考えてみます。


イ:なんだか拘りが結構ありますね。いつもつけているそのイヤリングにも何か拘りが?


――はい。イヤリングって痛いじゃないですか。でもこの痛さを我慢していると、興奮するんですよね。






彼女が好きなのは“自分のことを好きじゃない人”。

だから告白されても付き合わないし、もし付き合ったとしても長くは続かない。


「彼女には払わせられないって奢られたから」

「たまには俺からデートに誘うよって言われたから」

「人前で手をつながれたから」


理由はさまざまだったけど、思っていた以上に彼女の線引きは厳格だ。とはいえ誰と仲良くなるにしても、初めは彼女から声をかけて友達になるし、遊びに誘ったりプレゼントをあげたり、ぐいぐい距離を縮めていくのは彼女だった。



俺に課せられた線はどこまでだったのだろう。付き合うのはよかった。奢ったのも、デートに誘うのも、手をつなぐのも大丈夫だった。きっと彼女に関わった人たちのなかでは一番近づけた、とは傲慢にも思っておく。

「……さすがに後追いは線を超えるな」

超えようとした屋上のフェンスは案外低かったけれど、見えない線が邪魔をする。

もういっか、と思って、彼女の粉々の、ほんとうに粉みたいな骨を手のひらに広げて。


「おら、好きなとこ、行けっ!」


びゅう、と吹く風の割に、それらは少しも飛んでいかなかった。

ハッピーエンドはタグ詐欺かも。すみません。

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