5
――時刻は、真夜中。クレアは森の巡回を終えて小屋に戻り、リディアは深い眠りについている時間。
エルヴィンは自室の寝台に腰かけ、リディアへの贈り物として買ってきた髪飾りの入った箱を開けて、繰り返し溜息をついていた。買ってきてから数日が経過しているが、まだ隠し場所が定まっていない。エルヴィンの部屋も、クレアの部屋も、掃除をするのはリディアの役目だったから、下手な場所に置いておくと見つかる可能性がある。
エルヴィンの部屋は机と本棚、それから寝台以外に余計なものが置かれていないので何かを隠せそうなスペースがそもそも存在しないのだ。となると机の引き出しに隠しておくのがベターだが(この数日はそうしていた)引き出しは鍵のかからない仕様なので、少々心もとない。リディアが勝手に開けるとは思わないが、エルヴィン自身がなんとなく不安でそわそわしてしまう。
森の中に隠す、という手もないことはなかったが、森の中より手元に置いていた方が安全だろう。そうなると結局、安全な隠し場所が定まらなくなって、エルヴィンは深い溜息を一つ床に落とした。
「――お前さん、それ、渡さないのかい? リディアのために買ってきたんだろう?」
「――――!」
急に声をかけられて危うく、手に持っていたものを落っことすところだった。
なるべく平静を装い、エルヴィンは目の前に立つ人物を鋭い目で睨みつけた。
「驚かさないでください。というか、勝手に部屋に入らないでください。ここは俺の部屋ですよ」
いつの間にか、クレアが勝手に部屋へ侵入してきていた。考え事にだいぶ夢中になりすぎていたらしい。まさか、気がつかないとは。
外に音が漏れないように、クレアがドアを閉めてから、エルヴィンは防音の魔法を施した。これで、隣室で眠っているリディアが起き出してくる心配はない。
「知っているよ。一応声はかけたのだけれど、全く気がつかないから勝手に邪魔したのさ。以前お前さんにやった、クレディオスの薬草学の本があっただろう?」
「――これですか」
クレアの指定した本は、すぐにわかった。クレディオスという著名な学者の記した薬草学の本は、エルヴィンの部屋にある書物の中でも一等古いもので、薬草学の古典といわれるほどに有名なものだった。
エルヴィンは立ち上がり、本棚の一番上の段からそれを引き抜いて、クレアに手渡した。クレアはタイトルを確認すると、「そうそうこれだよ」と言って、本を小脇に挟む。
「悪いがしばらく私が持っていてもいいかい? なんとなく読み返したくなってね」
「別に、もとはあなたの本ですから。好きにしてください。しばらく読み返す予定もありませんし」
「じゃあ遠慮なく借りていくよ。入用になったら声をかけておくれね」
エルヴィンの部屋の書籍の七割が、エルヴィンがここに連れて来られたときからすでにクレアが所有していたものだ。昔聞いた話によると、クレアが一人で生活していた頃は、よく町に赴いて本を買いあさっていたらしい。
『お前さんが来るまでは、獣しか話相手がいなかったからね。私も結構退屈だったのさ』
……という理由でせっせと読書に励んでいたようだが、エルヴィンを拾ったのちは、その書籍のほとんどをエルヴィンに譲った。かつてクレアの部屋を占拠していた本たちは、今はエルヴィンの部屋にごっそり移動している。代わりに、クレアの部屋は粗末な寝台と空っぽの本棚という、なんとも殺風景なものになっていた。もっとも昼は怠惰に寝て暮らし、夜も小屋の外にいる時間の方が長いクレアにとっては、さほど不自由を感じないらしい。寝台一つあれば、それで事足りるのだろう。特に、話相手のいる現在では。
目的のものを手にしたのだから、さっさと出ていってもらえないだろうかという淡い期待を胸に抱いたエルヴィンだったが、案の定、クレアは部屋を出ていこうとはしなかった。寝台に座っているエルヴィンを、赤い双眸が見下ろす。
「――で、話は戻るけれどね」
「戻らなくていいんですが」
「私がこんな面白い出来事をわざわざ見逃すと思うのかい?」
「……思いませんね」
クレアに聞こえるように大きく溜息をついて、「出ていってくれませんか」とエルヴィンが言う。
しかしクレアはどこ吹く風で、つ、と髪飾りを指さした。
「お前さんにしては洒落た品じゃないか。センスがない品物を贈るわけじゃなし、さっさと渡しておしまいよ。折角買って来たんだろう?」
「……渡せるわけがないじゃないですか」
正気ですか、とエルヴィンが問えば、クレアは幼子のように目をぱちくりさせた。普段は目に毒なほどの色香を漂わせているクレアだが、そうしていると幼く見える。
エルヴィンの言っていることが全く理解できない、というように、クレアはエルヴィンに近付いて、髪飾りを取り上げた。それから髪飾りを色んな角度から見つめて、「特に何も問題ないじゃないか」と言う。クレアが確認したのは、悪い魔法の類がかけられていないかということだろうが、そういう問題ではない。とうか、そんなことはすでに自分の手で確かめている。
じゃあどうして――と言いかけたところで、クレアはようやく、エルヴィンの憂いの原因に気がついたようだった。
「――ははん、お前さん、色を気にしているんだね?」
寝台に座るエルヴィンと視線を合わせるようにしてしゃがみこみ、どこか呆れたような声音でクレアが言う。血のように赤いクレアの瞳と闇のように黒いエルヴィンの瞳が、かち合う。
「お前さん、青い色に対して神経質になりすぎだよ。リディアはお前が思うほど、青色のことを気にしちゃいないさ」
「……過剰反応していることは、否定しませんよ」
クレアの手のひらに乗せられている髪飾りに目を落としながら、エルヴィンが答える。目に痛いほど綺麗な、青い色。……エルヴィンはこの色が、リディアに一番似合う色だと密かに思っていた。
「じゃあ渡してしまえばいいよ。それでリディアが拒絶したなら、時期尚早だったというだけの話さ」
「……それは、そうですが」
まだ何か言いたげなエルヴィンに、クレアは髪飾りを手に持ったまま、部屋を立ち去ろうとする。部屋を出ていってくれるのは大変ありがたいのだが、どうか髪飾りの方は置いていってほしい。エルヴィンが口を開くよりも早く、クレアが言葉を紡いだ。
「どうせまだ渡せないんだろう? だったらしばらくの間私が持っていてあげるよ。お前さんのことだから、隠し場所に悩んでいたんだろうしねぇ」
この吸血鬼には、どうやら何もかも見通されているらしい。
それもそうか、とエルヴィンは思う。リディアが来るまで、クレアとエルヴィンは世間から隔絶された森の中、たった二人だけで暮らしていたのだから。お互いがお互いのことを、知りすぎるほど知っているのは、当然のことだった。
「絶対に、クレアには見せないでくださいね」
「はいはい、わかっているよ」
ひらひらとクレアは手を振るけれど、いまいち信用が出来ない。
だけどまあ、クレアに預けていた方が、隠し場所としては安全かもしれない。そう思い、エルヴィンは浮かせた腰を再び戻した。
それから、防音魔法を解除する。
部屋を出る直前、なぜだかクレアがくるりと振り返った。その動きに合わせて、彼の黒衣の裾が揺れる。そして吸血鬼は、真夜中にとんでもない爆弾を投下した。
「ああ、そうそう。今度リディアを連れて街に行こうと思うんだが、お前さんも一緒においで。護衛は多い方がいいからね」
なっ――にを考えてるんですか貴方は! と叫びそうになって、防音魔法を解除したばかりであるということを思い出し、寸前でこらえる。ドアの隙間から見えた吸血鬼は、それはそれは面白そうな顔で、笑っていた。