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呼び寄せた使い魔の大烏に、目立たないところで降ろしてもらい、深くフードを被って城下町を歩く。魔法使いの多い城下町では、フードを深く被っていても、不審な目で見られることはない。なぜなら、魔法使いという職種についている人間の大半が、外に出るときにはフードで顔を隠しているからだ。特に怪しまれることもなく、エルヴィンは自然に町に溶け込んだ。
エルヴィンが城下町に寄った理由は、リディアへの土産を入手するためだった。
リディアはこの三年間、一度も森の外に出たことがない。何度となくそれと促してみても、リディアは首を横に振る。本人が森から出たくないというなら、それでいいじゃないか、と思うかもしれないが、あの森に娯楽は皆無だ。
おまけに魔法の使えないリディアは、エルヴィンかクレアと一緒でなければ、森の中を自由に散策することすら難しい。なぜならあの森には、対侵入者用のトラップが、これでもかというほど仕掛けられている。
そういうわけで、リディアは籠の鳥状態なのだが、年頃の若い娘を籠の鳥状態にしておくのもなかなか気が引ける。それがたとえ本人の意思であっても、だ。
だから、エルヴィンはこうして時々、城下町で土産を買って帰る。毎回だとリディアが気を遣うので、三か月に一回くらいのペースで。
この前は星の形をしたかわいらしい飴玉の入った瓶を贈った。さて、今回はどういったものがいいのだろう、と当てもなく彷徨っていたら、ふ、とその店が視界に入った。
――宝飾店だ。
エルヴィンは店の前でぴたり、と足を止めた。
宝飾品を贈る、という考えは、これ以上ないくらい良い考えにも思えたし、これ以上ないくらい悪い考えのようにも思えた。ただの同居人に贈られる品物としては、少々重い気がする。
しかし、エルヴィンの足は無意識のうちに店の扉をくぐっていた。
人の良さそうな店員に話しかけられたので、「若い女性が喜びそうなものを」をという注文をつけて、おすすめの品を二、三点出してもらった。
「恋人さんへのプレゼントですか?」と、朗らかな笑みを浮かべた店員に話しかけられたが、エルヴィンは首を横に振った。
「姪が、もうすぐ誕生日なんだ」
平気な顔で、嘘をついた。
店員は納得したような表情を浮かべて、あれやこれや最近の流行を事細かに説明してくれたが、エルヴィンはそれを全て聞き流していた。
――嘘をつくのは、得意だった。昔はあれだけ苦手だったのに。
魔法使いエルラルド・エルヴィンの経歴は、全てが詐称だ。名前も、出身も、何もかも。
エルラルド・エルヴィンの正体に誰も気がつかないことに、いつも笑いそうになる。ああでも、あの勘の良い王子様は薄々感づいている節がある。
『――好きな人でも出来た? エルヴィン』
クリストファーの楽しげな声が、脳内で再生される。うっかりクリストファーのことを考えてしまったせいだろう。頭の中の声を売り払うように、エルヴィンは目の前の品物に意識を集中させた。
店員が出してくれた品物のうちの一つに、エルヴィンの視線は釘づけになった。小粒の宝石をちりばめて、花を形作ってある、華奢な髪留め。
――リディアに似合いそうだな、と思ったら、もう視線が外せなくなった。
「……これを買いたいんだが」
「かしこまりました。姪御さん、喜ばれるといいですね」
「……ああ、そうだな」
購入を決めたものの、エルヴィンにはこれをリディアに渡す気はなかった。
支払いを終え品物を大切にしまうと、近くの菓子屋に寄り、そのあと城下町の外れでエルヴィンは再び大烏を呼んだ。
遅かったですね、と言わんばかりに、地上に降り立った大烏は二回、大きく羽を羽ばたかせた。
「すまん、買い物が長引いた」
大烏は興味なさげな目でエルヴィンを見つめると「早く乗れ」と態度で促してきた。使い魔、といっても、この烏はもともとマロイの森でクレアの片腕として森を守っていた烏だ。形式上はエルヴィンに従っているものの、それはクレアが烏にそうしろ、と言ったからに他ならない。
国一番の魔法使いと謳われていても、マロイの森に帰ればエルヴィンはそんな扱いだ。
世間ではマロイの森の全てをエルヴィンが掌握していると思われているようだったが、それは大きな誤りだ。クレアがいい加減〝化け物退治〟と称して森に侵入しようとする人間を始末するのが面倒だと、エルヴィンを森の外へ放逐し、魔法使いとしての実績を上げさせてから〝マロイの森の化け物〟を打ち取ったことにさせて、挙句「マロイの森を魔法使いエルラルド・エルヴィンの住処にする」と宣言させた。このことによって、マロイの森に手を出せばエルヴィンの怒りを買う、と森への侵入を試みるものはほとんどいなくなった。
けれど実質的には、マロイの森は昔と何ら変わっていない。
マロイの森の絶対的君主はクレアで、クレアがエルヴィンを後継者として育てたから、かろうじてエルヴィンがクレアの下。リディアは……、ちょっとよくわからない。でも、クレアが娘のようにかわいがっているから、序列はかなり上の方だろう。でなければ、たとえ小屋の中にいたとも、身の安全は保障されない。 クレアがリディアを見捨てた瞬間、彼女が獣たちの餌食になるのは間違いない。あの森はそういう森だ。
大烏の背に乗りながら、エルヴィンは胸元にしまった髪飾りを思い出して溜息をついた。
――本当に、保管に困るものを買ってしまった。
髪飾りに使用されていた宝石は、サファイア。何よりも美しい、澄み切った青。その色は、世界で一番リディアが憎悪している色だった。