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「きみねぇ、僕一応第三王子なんだから、ちょっとは手加減して負けるとかしたらどうなの?」
あー負け、僕の負けだよ。はい、降参。
金髪碧眼の麗しい美貌の青年が、そう言いながらチェスの最後の駒を置いた。
対戦相手だった黒髪黒目の青年は立ち上がり、椅子にかけていたローブを羽織ると「では俺はこれで」と立ち去ろうとした。
すると、ばたん、というやや乱暴な音とともに扉が開き、第二王子がずかずかと部屋に入りこんできた。なぜだか片手に、アップルパイののった皿を持って。
第二王子と、第二王子が持ってきたアップルパイを交互に見遣って、黒目黒髪の青年は露骨に嫌そうな顔をした。
「おい、アップルパイが出来上がったぞ。どうせだから食べていけ」
……どうしてこの城の連中は、明らかに帰りたがっている人間を引き留めようとするのだろう。
黒髪黒目の青年、この国一番の魔法使いと謡われるエルヴィンは深い溜息をついて、首を横に振った。
「別にアップルパイは好きじゃありませんし、俺はこれで帰りますよ」
「せっかくなんだから食べていきなよ。それくらいの時間はあるでしょう?」
「そうだぞ。大体、滞在時間が短すぎては意味がないだろうが。この阿呆」
白い軍服を着た第三王子と、黒い軍服を着た第二王子に引き留められて、エルヴィンはあからさまにうんざりした顔をした。
仕方なくソファーに座り直し、第二王子が切り分けたアップルパイをフォークでつつく。流石に王城で働く料理人の作なだけあって味は一級品とも呼べるものだったが、甘党ではないエルヴィンは特に感動することもなく、ただ事務的にアップルパイを咀嚼する。
余計な口を利くこともなく、ただ淡々と食べ進めていくエルヴィンは、あっという間にアップルパイを完食する。エルヴィンの真向かいに座っていた第二王子がそれを見咎めて、
「おい、エルヴィン。お前、もっとゆっくり食え。そんなに早食いするんだったら、残り全部食わせるぞ」
と言った。
「要りませんよ、そんなにたくさん。というか、とっとと帰りたいんですが」
エルヴィンがそう言うと、
「エルヴィンは本当に城が嫌いだよねぇ。どうでもいいから早く帰らせろよこの野郎って顔してる」
不敬だねぇ、と、くすくす第三王子が笑う。白い軍服を着た第三王子のクリストファーは、女の子の理想の王子様を具現化したような男だが、おっとりと上品でいるように見えて、ただそれだけの男ではないことをエルヴィンはよく知っていた。
「だけどさ、エルヴィン。きみが毎日出仕するのはいやだってだだをこねたから、月に一回の城への訪問で見逃してあげてるんだよ? それなのに、来て一時間足らずで帰ろうとするなんてダメでしょう。国一番の魔法使いであるエルラルド・エルヴィンが王に恭順している姿勢を見せることが大事なのに」
短時間で帰っちゃったら、不仲だと思われちゃうよ? きみは国民に人気がある分、貴族たちからは嫌われてるんだから、王族に従っているフリでもしてないといつかきみ自身が攻撃されてしまうよ。
さくり、とクリストファーの操るフォークが、アップルパイを切り崩していく。
馬鹿馬鹿しい、とエルヴィンは首を横に振った。
「一応外面はよくしているので、そんな心配はご無用ですよ」
「あはは、だって、兄さん」
どう思う?
話を振られた第二王子のカルロスは「何がだ」と答えた。
「だから、エルヴィンの外面がいいかどうかっていう話」
「……いや、そこまで良くないだろ」
「だよねぇ。僕もそう思うよ。――あ、でも昔よりはだいぶ丸くなったよねぇ。なんか、雰囲気柔らかくなった気がする。三年前くらいかなぁ? きみの雰囲気が変わり始めたのって」
「ああ、それは思ったな。前よりトゲトゲしてないというか。……なんかあったのか?」
「――好きな人でも出来た? エルヴィン」
にっこりと、クリストファーが極上の笑みを浮かべてエルヴィンに訊ねる。
話がいやな方向に進んできたと感じたエルヴィンは、すっくと立ちあがって使い魔の大烏を呼んだ。逃げるが勝ち、と踏んだのだ。
数分もしないうちに、部屋のバルコニーに大烏が姿を現した。高さ三メートルはあろうかという、巨大な烏だ。その背中に乗り、エルヴィンは無言で王城を後にした。
エルヴィンの大烏が空高く飛んでいくのを眺めながら、カルロスが「エルヴィンで遊び過ぎだ」と弟をたしなめた。
「だって兄さん、エルヴィンはなんでもすぐ顔に出るから、からかいがいがあるでしょう?」
「エルヴィンが機嫌を損ねて、マロイの森から出て来なくなったらどうする? お前はエルヴィンにああ言ったが、エルヴィンに引きこもられて困るのはこっちの方だぞ? 最強の魔法使い、エルラルド・エルヴィンが王家に味方しているという事実に安堵している国民は多いんだからな」
マロイの森に棲む恐ろしい化け物を退治して、そこを己の居住地として定めたエルラルド・エルヴィン。かつて〝死の森〟として恐れられたマロイの森は、もはや違う意味で手が出せない森になっている。この何十年間、あの森に棲んでいた化け物を退治出来たものはいなかったから、エルヴィンは国民に人気があった。もっとも、森に引きこもって普段は誰とも会おうとしないので、そこが気に入らないという貴族や魔法使いも多いのだが。
大丈夫だよ、兄さん、とクリストファーは確信に満ちた響きで返事した。
「今のエルヴィンにはきっと、守りたい存在がいるだろうからね。多少僕がからかったところで、へそを曲げて僕たちに手を貸さなくなるだなんてこと、ありはしないよ」