二十一世紀頼光四天王!〜今も昔も相変わらず。
發と引き締めた声音が響く、胴。
ギャラリーでは季武が戦慄っと心地よい震えに長い睫毛を下ろした。おお勝ったか、と貞光は微糖ブラックを口元に、自分の手柄のように口の端を吊り上げ、いっそ悪辣に笑った。
わたなべくーん、わたなべせんぱーい、と歓声は無視して、腰を落とした綱は大将の座から引きずり降ろされた屈辱に仲間を剣呑な眼差しで見やり、ふう、と重い息を吐く。礼、これにて終了、と審判員の声に、静かに退出した剣道部はこれで地区予選突破である。
頭髪を下ろし蛇口の下に頭を突っ込んだ痩躯の青年は胴着のまま暫く動かなかった。数名の女子生徒は彼のファンで、きゃあきゃあと姦しく、携帯電話を構えて未だ屯している。
「つーな!」
声に振り返らず投げられたジュース缶をたしんと受け取った綱は、無言で顔を上げるとプルタブを指先に引っ掛け、思いっきり炭酸飲料を被った。
「〜さだ!」
「あっはっは!コーラ滴る好い男、ってな!勝ち上がりは上々か?」
「大将引きずり降ろしやがった。」
「それは地区予選も決勝ですもの、綱。寧ろあの部員達をよく引っ張ったと思います。」
にこにこと季武は綱の勇姿を見届けた上機嫌に微笑み、着替えとタオルをマネージャーさんからお預かりしました、と差し出した。綱は炭酸の抜けたコーラを貞光に投げ、不機嫌に顔を拭い胴着を肌蹴た。きゃあ、と嬌声が上がった。
「綱。」
「幾ら機嫌が悪くても限度あるわ。」
貞光はしかし、そのまま携帯電話のカメラを起動しシャッターを押すと、そのままメッセージアプリで頼光にも金時にもグループ送信してやった。おい待てなにしてんだ、と綱の言い分も御構い無しだ。
「あのっ、お疲れさまです、渡辺先輩!」
振り返れば三人程で徒党を組んだ少し派手な少女らがおり、小さな桃色の紙袋とスポーツ飲料のペットボトルを差し出した。
「・・・どうも。」
武士の素っ気ない礼に、写真一緒に良いですか、ファンです、と押しが強いのは若さが武器なのか、しかし大人しそうな少女らもそわそわと落ち着かない。
「撮って差し上げますよ、渡辺先輩。」
美少年然と微笑んだ季武は綱の不機嫌に、触らぬ鬼斬りに祟りなし、とばかりの変わり身で、碓井先輩そこ写ります、と一通りこなした。観光地の案内人か。
「卜部くん、ほんと渡辺先輩好きね。」
「かっこいいじゃありませんか。当然です。」
学校一の美少年との誉れも高い卜部だが、どうにも渡辺綱贔屓が過ぎる。残念なくらいが丁度いいのか、別段の僻みや揶揄もない、極々普通の男子高校生をやっている。
「たけ、恨むよ。」
「綱になら幾らでも。」
呪詛返しは得意ですから、とその美貌に美しく笑った季武は、後輩の立場って美味しいです、と仲間内には握り拳で語ったことがある。貞光は大人しくもそわそわとしている少女らに目配せしてやり、来い来い、と気安く手を振ってやった。
こちらは白い小さな紙袋を渡され、ファンです、インターハイも頑張ってください、とそれだけを懸命に訴えて去った。
「有難う。」
綱はそれだけ。それでも彼女達には充分であったらしい、やった、よかった、と何度も振り返りお辞儀しながら去っていった。
「こんな無愛想男の何処が良いかね。」
態とらしく肩を竦めた貞光は、駅向こうの都内有数の進学校で理系部の幽霊をしている。たまに顔を出すとこの研究は、この課題は、この薬品は、と教師からまで頓智が迫られる。体力作りに朝早くのロードワークはやっているが、金時や綱には及ばない自覚がある。
「綱、アクエリで良かったんですっけ?」
「水分補給はマネジがやってくれてるから、今は良い。」
「そうですか。・・・あ、いえ、これは捨ててしまったほうが良いですね。」
季武がその手に揺らしているのは普通の500ミリペットボトルなのだが、キャプの形が妙だった。ペットボトルには異物混入を防ぐため、開けたキャップは上下に別れる。その下部が無いことに気付いた季武は、貞光の領域です、とあっさり押し付けた。紙袋の中にはラッピングされたクッキーやマカロンと彩の暴力で、うちの妹でもこんな入れ方しない、と綱は実に素っ気なかった。
「通報しちゃうか、いっそ。」
「無駄ですよ。彼女達、毎回渡辺先輩の応援来てますもの。証拠がありません。」
「でも、写真撮らせたろ?」
「主犯が気付けば良いんですよ。さて、お待ちかねの本命紙袋です!」
やっぱり邪な企みはあったか、と綱は嘆息し、彼の実力を努力を、才能だと言い訳して座から降ろされたり退部していった連中の顔をがふと浮かぶ。
実力を発揮する努力があるから実績がある。
何故彼等はそれを理解しなかったのだろう。綱が遅くまで練習しているのも、不器用ながら後輩と距離を縮め指導してきたことも、また毎朝夕のロードワークと休日でも実家の道場で延々素振りをしている片鱗も、知ろうとなんてしてくれなかった。今生でも思い知ったが、幕末の動乱にも大正の栄華にも、大名と成りきれなかった戦国時代にも、もっと言えば綱の一番の最初の記憶である平安の世の、清和源氏にその腕を見染められた一介の武士にだってそんな眼差しは散々あった。それは羨望と呼ばれるもの。そして嫉妬と呼ばれるもの。愛憎は表裏一体だ。
「おお、こら確かに本命だ。」
「こ、こら!勝手に・・・!」
その清潔な白い紙袋には、スポーツ飲料ではなく未開封の水のペットボトル。ミニカードにが連名で、応援しています!の文字。そして青いラッピングの控えめのミニタオル。
「なるほど、マネージャーさんがドリンク作ってくださいますし、スポーツ飲料の好みも不安。」
「タオルも汎用性の高さ重視。好みの色で無いなら譲ってもらってやって良いぜ?」
「そして、それだけだと唯の義理とも取られませんから、連名での応援カード。良い子達です、好感持てますね、綱。」
うあ、とその表情豊富とは言い難い綱の頬にあどけない朱が差し、有り難く頂戴いたします、と頭を下げてその白い紙袋を受け取った。こっち一回検査してからな、と桃色の紙袋を持って貞光は踵を返し、頼んだ、と声を受けて、応、と手を振った。
「綱、良い加減着替えませんと。」
「おう、そうする。たけは?」
「先輩は?」
途端先輩を慕う後輩の貌になった季武は、ご一緒します、連れてって下さい、とにこにこと、これが少女漫画の一幕であったら明らかに綱の立ち位置は間違っている。
「白山が陸上でこの夏やってみるらしいんだよな。隣のグラウンド。ついてくるか?」
薄いくちびるが幽かな弧を描く。人情薄いと言われる綱の美貌はしかし、何時の時代でも美しい男だった。季武は時代時代の流行の顔に生まれるので如何にもそれが、兎に角羨ましい。
「はい、お待ちしております。着替えとミーティングですね?」
「いや、ミーテ追い出された。」
はぁ?と美少年も台無しな大口を開けてしまった季武を揶揄うように綱は肩を竦め。
「怒鳴った。中途半端な仕合しやがって、つって。」
そうして顧問に追い出されて今であるらしい。溜め込み過ぎるきらいのある先輩は、先程爆発した自己嫌悪を水に流していたらしい。
「・・・なんと言いましょうねぇ。」
裾を慣れた様子で捌いて体育館に向かう綱は早速頂き物の青いタオルで首筋を拭い、凛と背筋を伸ばしてうつくしい後ろ姿は普段と変わら無い。
「ご武運を。」
体育館の扉というのは全国でもってこのような大仰な音がするのだろうか、と季武はぼんやりと考える。
「応援しています、先輩。」
その祈りは、届くだろうか。