天女、山を出す?
「助けてくれて、ありがとうございます。早緑さん」
「気軽に初春って呼んでくれなー」
「あ、はい。初春、さん」
初春さんが差し出した手を握り返す。
ごつごつとした男性特有の手だった。
料亭 霞染 亭主、早緑 初春さんとの出会いはちょっと衝撃的なものでした。
……初春さんは日々女性を追っかけまわしているみたいです。
「それじゃあ、天女様の名前でも聞こうかね」
「えっと、私は月夜野 小町と言います。小町、と呼んでくだされば」
「ほーほー、小町ちゃんね。可愛いねえ~」
「はいぃ?」
「初春様?これ以上小町様に手を出したら……どうなるか分かってますね?」
……怖いいいいい!
怖いよ松島さん!!
絶対零度の笑みだよソレ!!
初春さん凍っちゃうよ、初春さんまだ少ししか喋ってないのに凍っちゃうよ!!
でも、そんな絶対零度の笑みで微笑まれた初春さんはビクともせず、普通に笑いながらやり過ごしていた。
……これ初春さん絶対慣れてるよね、日常茶飯事だって言われてたもんね。
その初春さんのスルースキルに少し凄いと思っている自分がいる。
松島さんを怒らせないようにしよう、そう思っていた時どうやら霞染も忙しいらしく、松島さんは仕事へ戻っていった。
部屋には初春さんと私の2人だけ。
微笑んでいる初春さんは私に振り向き直すと、先程の笑みは消え真面目な顔になって話し始めた。
「さて天女様、もとい小町ちゃん、そして異分子のお嬢ちゃん。改めて霞染へようこそ。そして、この世界へようこそ」
「……え?」
「君も薄らとは気付いているんじゃないの?小町ちゃんがいた所とは、どこかが違うって」
「そ、そりゃ違うなーっては思ってましたけど、せっ、世界?って明らかに大袈裟すぎじゃあ……」
「大袈裟じゃないさ」
しっかり私の目を見て話す初春さん。
まるで吸い込まれるかのように話す彼に、私は顔を反らすことが出来ない。
料亭の雰囲気とか、今目の前にいる“人”は、私の知っているものと大差ない。
それに、いつの間にか霞染にいた。
さっき言った通り、私の部屋には移動要素なんて欠片もないのだ。
「まさか、トリップ……って奴?」
憶測は、時に現実となる。
呟いた私の言葉に、初春さんは深く頷いた。
トリップ、電子関係などの言葉だったり、短い旅行って意味だったり、様々あるけど、この場合は違う。
「え、ホントのホントにトリップ!?」
「そうだね。小町ちゃんの言ってるトリップは、次元を超えて違う世界へ飛ぶことだ。そして小町ちゃんは今それを体感した後ってなる」
「じゃあ、ここは私がいた所とは違う世界……!?」
私には漫画が好きな友人がいる。
その友人が好きな漫画について調べていたら“夢小説”というものに辿り着いて、気付けば夢女子に変わっていた。
そして友人が私に夢小説を教え、ハマりはしなかったものの読むようになったり理解できるようになったりしてしまった。
夢小説の作品傾向に多い“異世界トリップ”……どうやら私は異世界トリップをしてしまったらしい。
なんてこった、こんな夢小説的体験を夢女子とは断言できない私なんかがしてよろしいのか?
基本は死んで転生してトリップするパターンが多いが、私の場合は死んでいないだけホッとした。
なんとなく事実を受け入れられたのは、私が夢小説と異世界トリップについて知っていたからだと思う。
……教えてくれた友人に少し感謝しよう。
「小町ちゃん、いきなりにこちらの世界に来て困惑しているだろうが、君には頼みたいことがある」
「……頼みたい事、ですか?」
「そう。この世界にかつてあった“山”をもう一度出現させてほしいだ」
「や、山ぁ!?」
私は驚いて大声を出してしまった。
どういうことなの……。
山と言えば、富士山とかエベレストとかの“山”しか思い浮かべないけど……。
その山のことを言っているの!?
「山を出現させるって、グワワワーって地面を盛り上げろって言うんですか?そんなの、一般人の私には到底無理ですよ!?」
「……かつてあった、とは言っても もう何十年も昔の話のことでね。山があることでこの世界は平和に保たれていたんだ」
「……山があることで平和になる?」
なんか予想以上に壮大な話になってきたぞ……?
「そう。この世界には邪気と呼ばれる……簡単に言えば“悪いもの”なんだが、山が邪気を抑える役割をしていた。だが、ある満月の夜に邪気が暴走してしまって山そのものを消してしまった」
「山が、消えた……」
「その証拠がある。ちょっと窓の外を見てごらん」
私は初春さんに連れていかれ、窓の前に立った。
外は曇っていて、雪がしんしんと降り積もっているけど、不思議と寒い!とは思わなかった。
目の前にあるのは、大きな壁。
壁がそびえ立っていた。
壁に囲まれているかのような圧迫感を感じる。
「壁しか見えなんですけど……」
「壁の向こうに山があったんだけどねぇ」
初春さん曰く、本来ならば山頂が壁よりも少し高くて、壁が出来たとしても山が顔を出すくらいの高さだったという。
「山が消えたと同時にぽっかり穴が開いてしまったんだ。穴に落ちないように壁を作って、転落防止を防いでいる」
「本当に、山が消えちゃったんですね……」
「因みにこの穴の事を、雲みたいな霧が覆って下が見えないことから“雲海”って呼んでいる。ああ、落ちたら死ぬから」
「しっ……!?」
平気で物騒なことをサラリと言ってしまった初春さんに絶句した。
どうでもいいけれど、私は絶叫マシーンでは絶叫できないタイプだ。
怖くて声を出せず、絶句してしまうから私の中では絶叫マシーンではなく絶句マシーンの間違いだと毎回思う。
さっき死ぬって軽々しく言ったけど、前例があるからこそ言えたのかな。
心の中で合掌しておく。
「おかげ様で、ある人はこの世界をこう例えた。山がなく、月が良く見える世界……“月見里世界[やまなしせかい]”と。毎日、月見し放題なのは嬉しいけれども、失った代償は大きいさ」
「失った代償ってのが、山なんですよね」
「うむ。月見はいくらでも出来るからね。邪気に対応できるのも一部だけだから、月見なんかより山の方が重要なんだよ。更にある伝説が月見里世界に伝わっている。その伝説に関わるのが天女様である君だよ、小町ちゃん」
「私が?」
ゴクリと唾を飲んだ。
なんとかギリギリ理解は出来てるんだけど、やっぱり夢を見ている感覚だ。
でも、正座をして足が痺れる感覚や、さっき飲んだ唾も喉の奥に行っている。
目の前の人物は話しているし、夢にしてはリアルすぎる。
……私は、夢のようだけどちゃんとした現実にいるんだ。
「月見里世界にはこんな伝説が伝わっているんだ。『ある天女、十三の供物を捧げん時、雲海にて山現る。天女、山を登りし時、羽衣用いて天に帰る』」
「13の供物?羽衣?どういう意味ですか?」
「悪いけど、それは私にもよくわからない。そうだ、小町ちゃんを見つけた時にこれも一緒に落ちてきたから君のだと思うけど……違う?」
「あっ、私のリュック!!」
初春さんが手にしていた物は、間違いなく私のリュックだった。
通学用として使っている、赤いリュック。
高校入学してから使い始めたから、1年以上は経っている私の相棒でもある。
中身を見てみると、携帯だとか学校からの連絡用紙だとか、いらないけど私がトリップ前に苦戦してすぐ諦めた数学の週末課題が入っていた。
リュックの中身は、私が学校から帰った時の物がそのままだ。
週末課題はあの時机に広げたままで本当だったらリュックには入っていないはず……って考えると、やっぱり私が椅子に座る前のリュックの中身がそのまま月見里世界にやってきたようだ。
携帯も動いているし、充電器も一応持って置いたし心配はないだろう。
問題なのは、電波が圏外になっていることだけど。
「あれ、これ私の部屋に置いたまんまだったはずなのに……」
ガサゴソと初春さんの部屋で中身を広げていると、学校には持って行っていないはずのある物が出てきた。