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呪手記  作者: 青黒水龍
呪手記 ―Ancient documents of a nightmare and hope―
9/21

共眠

 霧夜はどうも、飛香に嫌われたようだ。声をかけても反応はなく、時には暴れだす始末で、そのあとはかなり長い時間ベッドの中から顔も出さなくなる。

 優璃愛に対してもまだまだ心を閉ざした状態の続く彼女は、治療を受けるのも嫌がっている。挙句の果てには舌を噛み切ろうとしたこともあるので、今は睡眠薬を投与して眠らせている。ぐっすり眠ってはいるが、その間に治療法を練ることが難しいと霧夜も優璃愛も感じていた。


「予想外だわね……」

「記憶が無い感じだった。もしかしたら、屋敷での生活のショックで飛んでしまったのかもしれない」

「岩瀬は優秀な呪術師だったわ、記憶操作したのかもしれないわね」


 優璃愛は岩瀬の記憶操作を疑っている。彼女ほどの呪術師であれば、可能性の引き出しは非常に数多くあるだろう。索敵術などの、陰陽道の時代から存在する呪術に限っては霧夜よりも一歩後れを取っているものの、西洋から入って呪術化したものに関しては霧夜など優璃愛の足元にも及ばない。今まで、彼女よりも強力な呪術師は、軍人として日本中を見てきた霧夜でさえも見たことが無かった。

 彼の視線は飛香に注がれている。それに追随するように優璃愛の視線も飛香に注がれていた。


「すぅ……すぅ……」

「見た目は可愛いんだがなぁ……」

「きっ、霧夜ッ!?」


 霧夜が寝ている飛香の頭を撫でてそう言うと、優璃愛が狼狽した声で彼に詰め寄った。あまりにも近くまで詰め寄られたので、一歩下がると彼女は一歩詰め寄った。


「な、なぁ優璃愛……。ちょっと近すぎないか……?」


 瞬く間に壁際まで追い詰められ、鼻先十センチの位置に彼女の視線を受けている。霧夜はこれ以上下がれないのに優璃愛はどんどん詰めていくので、彼は押し倒されそうになっていた。霧夜が両手を上に上げて降参の意思を示すと、優璃愛は顔を真っ赤にして飛び退いた。


「ご、ごめんなさい……ちょっと混乱していただけなのよ」

「落ち着いてくれよ、飛香が起きてしまう」


 霧夜がベッドに視線を向けると、飛香はさっきと同じ姿勢で寝ていた。呼吸は薄く、僅かに唇が動いている。下唇の左端に腐った血の溜まったふくらみがあり、黒ずんでいた。


「なんで、こんな傷があるんだろうって感じないか?」

「感じるわね。特にこのできものみたいな血溜まり。どうやってできるのかしら」

「さあなぁ」


 霧夜は困ったように眉を寄せて言った。腐った血溜まりは早々に除去しておきたいのだが、メスが無いのである。ガーゼくらいはあるものの、メスが無ければ安全に切り取ることもできない。


「ん……」

「霧夜、外に出ていて」


 飛香が体を震わせて伸びをした。また暴れられては敵わないし、彼女にとっても良くないので、霧夜はおとなしくテントから外に出た。


「…………」


 目を覚まして早々優璃愛を睨む飛香の視線は、信用など欠片も無かった。冷酷で、感情の抜け落ちた色褪せた瞳を見ているのが辛くなった優璃愛は「ちょっと飲み物でも飲んだら?」とキッチンに歩いて行った。テントの端には巨大なクーラーボックスが置いてあって、そこから緑茶の入ったペットボトルを取り出す。


「飲む?」

「いらない。施しなんて受けない」

「どうして、そう強情なの? 霧夜は貴女を助けない一心で、傷だらけになって岩瀬と戦ったのよ?」

「そんなの関係ない。あの男もいずれ本性を現す。どうせ、男なんてみんな一緒」


 飛香はそう言うと、優璃愛に背を向けてしまった。それ以降は優璃愛がなんと言おうと、返事一つしなかった。心の中でため息をついて、霧夜を侮辱したことを怒鳴りたい衝動は抑えてテントから出た。まだ精神的に不安定なのだから、と自分を落ちつけながら、水辺で寝転がっている霧夜の横に腰を下ろした。ヒールを脱いで素足を水につけると、ひんやりとした感触が伝わってきた。


「飛香は……どうなんだ?」


 霧夜は視線を空に固定したまま、期待のなさそうな乾いた声で優璃愛に問うた。


「ダメね。精神が不安定で……霧夜の事も何も覚えてないらしいわ。まだ、全然信用されていないわね」

「仕方ないな。飛香は、あの屋敷で岩瀬や貴族の玩具にされていたんだ。連れ去ったという点では……俺達も似たようなものなんだろう。信用してもらえなくて当然だ。少しずつ誤解を解いてくれよ? 俺じゃあ無理そうだから、優璃愛に頼むしかないんだ」

「う、うん。頑張るわ。このまま霧夜が怪しい男扱いじゃ可哀そうだもの。あ、ねぇ霧夜。ずっとソファじゃ体痛くなっちゃうでしょう? 今日くらいベッドで寝て」

「うん? えーと……じゃあ優璃愛がソファに寝ることになってしまうじゃないか。風邪ひくぞ。俺は慣れっこだから気にしないで」

「そうじゃないわよ」優璃愛は顔を赤くして指で雑草をいじりながら言った。「そ、その、えっと……寝ているとき、手繋いでほしいのよ。わたしの、隣で」

「ええっ!?」


 霧夜の声が裏返り、ややかすれてしまった。しかし、彼女の言っていることの意味することを紐解けば仕方ないかもしれない。

 つまり、優璃愛は今夜は霧夜と一緒に寝たいと言っているのだ。平常心でいる方が無理難題である。


「飛香ね……『男はみんな一緒』とか『あの男もいずれ本性を現す』って言ってたのよ。それが悔しくてたまらないの。でもね、わたしは霧夜がそんな見境のない人じゃないって信じているわ。だからこうやって一緒にいてほしいなんて言えるのよ。お願い、理解してくれるかしら?」


 優璃愛は霧夜に寄り添って呟くように言った。彼は体を起こし、肩を抱き寄せる。


「みんな一緒さ。大抵の奴は飛香の言うとおりだよ。勿論、俺だって例外じゃない。だけど、傷つけたくない特別な人だけは違うね。俺は、飛香や優璃愛をそんなことで傷つけたくない。二人ともすごく大事だ。君が一緒にいたいって求めるなら俺はいくらでも傍にいるよ」

「嬉しいけど、霧夜は違うわよ。そんなに優しくて、それでいて無理をする人だわ。だからたまにはリラックスしなさい。ほら、もう日暮れよ」


 優璃愛が指差した先には、オレンジ色に輝く太陽が半分以上も地平線に潜っている光景だった。年々夏の日照時間が伸びている今なら、時刻は午後の八時過ぎくらいだろう。


「夕焼けを見るの久しぶりだわ。前見たときは霧夜が重傷で落ち着かなかったことだけ覚えてる」

「俺は……戦場で退却寸前の夕日を見たな。もう敗色濃厚、七つの小隊に分けられた特殊部隊はそのうちの五つが全滅、残りの二つも指揮官を失って崩壊していた。その時生き残っていた同胞も退却中に亡くなって……っと暗い話になってしまったな」

「そうよ。もっと明るい話題は無いのかしら? わたしは――霧夜と一晩一緒に入れるのが一番明るい話題かしらね」


 霧夜が立ち上がると、優璃愛も立ち上がって彼と手を繋いだ。前は避けていたものの、今日は霧夜も彼女の手を優しく包む。


「晩御飯はもう用意しているから、早く食べましょう。お腹すいたわ」


●●●


 このご時世、一日の中で一番食べるはずの夕食でさえも、サンドイッチなどの軽食で済ませてしまうことが多い。慢性的な食糧不足は改善されたとは言いづらく、最近の自治体は閉鎖的な傾向があるのも相まって旅人などは食糧を入手しにくいのだ。

 そんな状態で、優璃愛は霧夜と二人だけの鍋の席を設けた。豆腐と鶏肉とネギと白菜が入って、ポン酢が用意してある。ごまだれは最近需要が増大して入手が難しくなっていた。


「へぇ……温かいものなんて、第三艦隊で食べたカレー以来だな」

「たくさん食べてね? こんなことできるの……たまにしかないんだから」


 白米が欲しいわね、と優璃愛は僅かに愚痴を零して鶏肉を口に運んだ。霧夜もそれに倣って白菜を口に運ぶ。その後はお互いの箸が当たらないように気を配りつつ取り合いを始めて行った。……豆腐以外は、である。豆腐だけは箸で取りにくいので、後退で水切りを使っていた。

 最初に鶏肉が無くなり、次に豆腐が無くなり、白菜が無くなってネギも無くなり、最後には昆布とだし汁だけが残った。その汁は優璃愛が廃棄し、鍋はテントの外すぐに流れる川に浮かべた。流れは少しあるが、石を積み重ねてその流れを塞いでいる。

 その後飛香が起きたので優璃愛が食事を勧めたが、彼女は今回も拒絶した。枕元に置いてあるペットボトルの茶も減っておらず、点滴の針を無理矢理引き抜いた日から脱水症状が起こっているように見えた。それでも優璃愛は笑顔で枕元の茶を交換し、リンゴを切って皿に乗せ、サクランボを添えて茶の隣に置いた。その時飛香は既に眠っていた。

 優璃愛は軽く手を振って「おやすみ」と言い、霧夜がいる自分のテントに向かった。


●●●


 霧夜は、優璃愛のテントの中にある彼女のベッドに腰掛けていた。華美な装飾の一切ない、一人用のベッドだ。優璃愛はいつもここで寝ているが、彼女一人でも『やや余裕がある』程度の大きさだ。二人が寝ようと思えばすぐそばまで密着しないとどちらかが落ちてしまうだろう。

 そこまで考えて、彼は自分が焦っていることに気づいた。心臓の鼓動がいつもより遥かに大きい。意識するな、ただ手を繋いで眠りに落ちるだけだろうが、と自分を叱咤しても、何の効果も無かった。そして、気持ちが落ち着かない内に優璃愛が入ってきた。


「お待たせ……霧夜」


 優璃愛の恰好は寝るときに蒸れないように薄手だったが、霧夜にはそれがとても官能的に見えた。体のラインが淡く表れ、ふくらみがその服を押し上げている。


「何見てるのよ……」


 彼女が両腕で体を隠すと、彼は慌てて目を逸らした。優璃愛に促されて、霧夜が先にベッドに入って壁際に寄った。その後で優璃愛が潜りこみ、霧夜の手に彼女の手を絡める。


「温かい……やっぱり、霧夜は温かいわ……」

「なぁ、少しずつ寄ってきてるよな? 体温、思いっきり感じるんだけど」

「そうよ? だって……霧夜のそばにいたいから、仕方ないじゃない。今日だけでいいのよ、暑いと思うけど一緒にいて」


 優璃愛は霧夜の胸板に両手と頬を乗せ、上半身を乗り上げた。その途端、彼の体が硬直した。視線を向けると、目を閉じて幸せそうに彷彿とした彼女の顔が見える。それよりも、柔らかな感触は理性が飛んでしまいそうなほどの威力があった。


「ゆっ、優璃愛……」

「霧夜も、温めて。貴方も男なら嫌じゃないんでしょう?」

「悪い気はしないけど……こうか?」

「そうそう。はぁ……」


 霧夜が彼女の背中、肩甲骨の間に手を回して押さえると、気持ちの籠った暖かな吐息が彼の喉元にかかった。同時に柔らかな感触も強くなった。

 何も見えない暗闇は、余計に雰囲気を作り出して二人の気持ちを高揚させた。優璃愛は手探りで霧夜の体を触り、肩を見つけてからは彼の体に抱き着いた。霧夜も彼女の背中に手を回して抱き着く。


「うああ……暑いわね……」

「な? 所詮男なんてみんな一緒なんだよ。俺だって君に手を出さないと言っていたけど、今こうやって君の体温を感じてる」


 霧夜は、優璃愛と横に並んで抱き合っているこの状況を自虐的に笑いながら言い、彼女の頬にキスをした。


「違うわよ、霧夜は。こんなに優しいじゃない。わたし、気持ち良くて、痛くないもの」


 暗闇に目が慣れてきた頃だったので、彼は優璃愛の顔に朱が差していることが丸わかりだった。体全体を密着させているので、汗が溜まって仕方がない。優璃愛の服は汗を吸ってその美しいラインを露わにしていた。霧夜は着ている二枚の服の上を脱いで、汗を吸ったシャツ一枚になった。


「でも、優璃愛。これ以上は……」

「これ以上は求めないわよ、安心して」

「そうじゃなくて、俺の理性をあまり過信しないでくれるかな? さっきも言ったように、男なんてみんな一緒なんだよ。君が泣かない内に離した方がいいな」

「霧夜にはわたしを泣かせるなんてできないわよ。だって、わたし、霧夜に何されても大丈夫だもの。それに、霧夜はそんな、わたしを力づくで押し倒して汚すような乱暴な真似しないでしょう? わかってるわよ、幼馴染で、昔の貴方も今の貴方も見ているんだから。悲しいけどね」


 優璃愛は霧夜の耳元で、最後の言葉を言った。意味深すぎるよ、と返しても彼女はクスリと笑うだけだった。


「それにしても、ああ暑い……。外で涼まないかしら?」

「いいよ。君が先に出てね」

「はいはい」


 優璃愛がベッドから出て、テントから出る。それに続いて霧夜も外に出た。

 彼女は彼を待たずにどこかへ行ってしまったらしい。おそらくは夕方にいた水辺なのだろう。あそこは川が流れている影響で涼しいのだ。霧夜は真っ直ぐに水辺へと向かった。夜風が汗を吸った服でさらに冷やされてとても涼しい。

 そして、予想は違わず優璃愛はそこにいた。夕方と同じように風を受け、足を水に入れている。彼を見つけると、右手を上げて振った。


「こっちよ。隣に来て涼んだら?」

「そうする。はぁ……涼しいな。俺今日はここで寝ようかな」

「あっ、良いわね」


 霧夜も夕方と同じように草むらの上に寝転がった。そこで目を閉じると、先程まで優璃愛と絡んでいたせいかすぐに眠くなった。隣にいる優璃愛もそこに倒れ込んですやすやと寝息を立てる。あくまで、霧夜に抱き着いて、だが。彼も胸板に置かれている彼女の頭を撫でて、肩甲骨の間に手を当てて抑える。そうして、夜風で汗を乾かしながら二人は眠りに落ちた。

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