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呪手記  作者: 青黒水龍
呪手記 ―Ancient documents of a nightmare and hope―
4/21

救出 ‐中編‐

 扉は封印されていた。何か、見せられないものが奥に存在している証拠だ。これは探すしかない。霧夜の探索系呪術の腕は優璃愛よりも二段は上だ。

 優璃愛が攻撃性の呪術を発動させ、封印を力づくで破る。衝撃で扉が外れ、奥側に倒れた。扉の奥からは、意外なことに風が吹き出されていた。霧夜はその風を浴びて、すぐに顔をしかめた。


「酷い臭い……」


 優璃愛も、手で口と鼻を塞いでいる。綺麗好きな彼女からすれば耐え難いものだろう。

 吹き込んでくる風には肉を腐らせたような悪臭が混じっていて、微妙に湿気ているせいでその臭いがさらにきつくなっていた。また、風が吹いていると言うことはどこかで外と繋がっているはずなのだが、弱く吹き付けてくる風は生ぬるく澱んでいて、衛生的にも非常に悪いことが窺えた。長く換気がなされていないらしい。入口の時点で既に鼠の死骸が見受けられる時点で優璃愛の表情が暗くなっている。


「でも、この奥なのよね……」

「はぁ、これは……。仕方ないか。汚いのは見かけだけじゃないし、行こう」


 追跡していた髪留めはこの奥へ行こうとしていた。少し、いやかなり気が引けるが、霧夜を先頭にして奥に進んでいく。これは正式な依頼。仕方がないのだ、と自分を説得した。

 どうやら、地下室のようだ。灯りはまばらにある蝋燭のみで、地下室の床全体を照らしてはくれなかった。幸い霧夜は夜目が効くので、どうにかそのまま進むことができている。そして、予想通り地下室には悪霊が潜んでいた。物陰からいきなり襲ってくる妖魔に対しては、霧夜の最も得意とする、《実体化》の呪術が効果を発揮する。

 霊力を溜めこんだ宝石に、実体化と念じることによって、その宝石が武具に変化する。遠距離性の呪術を苦手とする霧夜だが、接近戦となればその実力を如何なく発揮できる。

 襲い来る妖魔はひとくくりにしたら悪霊だ。その中でも死霊と呼ばれる種類ばかりが存在している。死霊は、恨みが多い場所に出現する。そればかり出てくると言うことは、地下室には何らかの恨みが積もっていると断定できる。

(何があるんだ……?)

 優璃愛といえば、その真逆だ。結界や調査といった類の呪術を苦手としているものの、遠距離性の呪術は殆どどの間合いでも対応できる。しかし、どうしても奇襲を受けると式を唱える時間も無く、攻撃されてしまうと言うことが過去にもあった。彼らはそれぞれで弱点を補い合う事ができている。

 時折襲ってくる妖魔を屠り、着々と奥へ進んで行った。道中、分岐路がいくつかあり、殆どはすぐに行き止まりとなっていた。その殆どに属さない――具体的に言うと、二か所――行き止まりではなく、牢屋が存在していた。そして、こっちは例外なく空だった。拘束用と思しき鎖はあったが、垂れ下がっている。鼠の死骸が転がっているか、それすらも無いのが落ちだった。

 だが、この地下室自体は迷宮のように入り組んでいた。分岐路の先はすぐに行き止まりになっているのだが、巨大な呪術が常に発動していることが分かった。むやみに進んでも最奥部にはたどり着けないらしい。先程から同じ場所を通っている。


「うっ……」


 突然、優璃愛が口元を押さえて片膝をついた。呼吸が荒くなっていて、体が震えている。霧夜が傍によって身を少しかがめながら問うた。


「どうした?」

「ごめんなさい……少し気分が悪いわ。空気が悪いだけなのに……うっ」


 どうやら、優璃愛は酷い嘔吐感に襲われたようだ。理由は容易に想像できた。

 第一に、この地下室自体が汚い空気で覆われているのだ。霧夜自身も倦怠感と少しばかりの吐き気に襲われている。やはり、優璃愛の方がそういう場所に慣れていなかったようだ。これは仕方ないと言える。

 もう一つ、地下室に発生している術が発している、霊力波というものが影響している。これは能力の高い呪術師ほど感じやすく、優璃愛はこの霊力波を受け続けたせいで吐き気を催した。霧夜はそこまで症状が酷くはなく、霊力波が体に入っては抜けていく感覚がするだけだ。これは、影響を受けないと同時に、呪術師として優璃愛より数段落ちることを指している。

 霧夜に劣等感はない。むしろ、優璃愛が自分よりも強いことを素直に喜んでいる。今回のような、強さが裏目に出る事もあるのだが、それはごく稀だ。


「顔が青ざめているぞ。肌も冷たいし、俺は大丈夫だから優璃愛は外で待機したらどうだ?」

「だ、だけど……。わたしも行かなきゃ。霧夜一人じゃ、心配……」

「ほら、もう相当堪えてるんだろ? 俺なら、軍隊仕込みの戦闘力がある。大丈夫だ」


 率直に言えば、優璃愛は強がっていた。体調の変動は呪術の行使にも影響を及ぼす。巨大な呪術が発する邪魔な音が集中力を大きく削ぐ上に、吐き気を催している状態ではいかに優璃愛と言えど呪術の行使はまず不可能だろう。

 現に、優璃愛は呪術による脱出を図ろうとせず、歩いて戻り始めた。壁に手を付きながら、少しふらついている。後姿を見ているとかなり心配になってくるが、今は私情を挟んでいる場合ではない。

 霧夜はそんな優璃愛を目の端に捉えてから、前に向き直って歩き始めた。分岐路はいくつかあった。どれも、すぐに行き止まりだった。しかし、変わったことはあった。

 人骨が落ちていたのだ。一つや二つではない。大量の人骨だ。風化してボロボロになっている物から、まだ腐敗が進んでいる途上の物すらもあった。どうやら臭いはここから漂ってきているらしい。長くいると、気が狂いそうなほどだ。

 霧夜は口元を押さえて、その場を駆け足で離れた。少し進むと、唐突にその臭いが消えていることに気づいた。どうやら呪術によって臭いが支配されているらしい。

 呪術、と一括りにしても、その内容は様々だ。霧夜が得意とする《探索》や《結界》も呪術だし、《実体化》もそうだ。それに、優璃愛が得意とする《破魔》は、もっとも一般的な呪術である。霧夜はそれをあまり得意としてはいないが。

 地下室で発動している呪術は、ある種の結界だ。霧夜は、臭いを封じ込める結界が大小二つ設置されていると推測した。

 そして、そういう風に呪術が重ね掛けされている所には妖魔の類が集まる。ただでさえ恨みが積もっているようなところなのに、これでは妖魔の巣窟へまっしぐらだ。

 

「ッ!」


 分岐路に差し掛かると同時、霧夜は大きく左側に飛びこんだ。直後に、先程まで彼がいた位置を薙ぐように刀が振られた。反応があと少し遅れていたら、霧夜の胴に裂傷が刻まれたに違いない。

 右手の角から、大振りの三日月刀を持った骸骨が姿を現した。身長こそ二メートル以上ありそうな巨躯だが、所詮は骸骨。体そのものである骨を打ち砕けば倒せる。一応、呪符という印を書き込んだ紙を貼りつけることでも倒せるが、呪符は強力なうえに持っている枚数が心もとない。それに、打ち合いになれば霧夜に分がある。刀と帯剣では耐久力に大きな差があるからだ。

 上段に構えた三日月刀に対し、下段から先制打を狙う。下段から左上に向かって、帯剣を振り上げた。


「ギャッ!」

「邪魔だ、どけ!」


 先制打は狙い通り、肋骨から肩甲骨までを一挙に打ち砕いた。そのまま体を一回転させて右から背骨を打ち砕く。


「ギャアァァァァ……!」


 骸骨が青い炎に包まれて燃え上がった。それを蹴り飛ばして先へ進む。

 豪邸の地下室は広い。だが、数十分歩き続けてようやく終わりが見えてきた。

 しかし、行き止まり。左右に牢があるが、前方に進む道は見えない。こういう時は、どこかで道を間違えたと考えるのが自然であるが、霧夜は今のところすべてのルートを通っている。間違えたという可能性はあり得ない。

 道が封印されているのであれば、印が書かれているはずだが、それも見つからない。つまりはどこかに鍵となるものが存在するはずだ。


「――」

「……誰か、いるのか!?」


 霧夜が唐突に叫んだ。その表情が強張っている。宝石を実体化させ、右手に構えながら辺りを見渡した。何故ここに人がいるのか、理由は見当もつかない。息の音が聞こえた以上は、妖魔である可能性は完全に捨ててよい。

 人であれば、僅かな息遣いは敵か、味方か。男か、女か。不安定な息継ぎは衰弱しているのか、身を潜めているのか。

 霧夜は全神経を耳に集中させた。妖魔が動く霊波、鼠の足音までもが鮮明に聞こえる。そんな中、息の音は左側からはっきりと聞こえた。

 左は、牢。捕まっている人がいるのだろうか。となると、息を潜めているのではなく、衰弱していると言うことか。

 左の牢屋には、確かに一人捕まっている。髪が伸びているうえに、顔は下を向いていて表情が読み取れない。だが、体つきからして女の子のようだ。

 霧夜の姿を認めたのだろうか、少女が僅かに顔を上げた。長い髪が表情を隠している。しかし、彼には、少女が自分に対して不信感、恐怖感を持っている事がすぐに分かった。強い、負の霊波が出ていたのだ。

 交渉は無駄だろう。まともに話せる容態とは思えないし、話してくれるとも思えない。だが、何故こんな所に捕まっているのか、理由を問いただしたいとは思った。牢の柵は錆びついていて、帯剣で容易に叩き斬れるだろう。

 しかし、次の瞬間霧夜の意識はそんなことを吹き飛ばすほどの衝撃に襲われた。目の前の少女と過去の記憶が交錯する。


「なん、で……、飛香? 飛香なのか……?」


 ■


 三人の子供の笑い声が風に流れる。鮮やかに紅葉したモミジが渦を巻いた風に乗って宙を舞う。そのモミジを子供たちが追いかけていた。先程の笑い声の主だ。

 黒髪の男の子と、同じく黒髪の女の子。そして、一人茶色がかった髪の女の子もいた。二人に比べてやや身長が高く、年相応ではない大人びた雰囲気を醸し出している。優璃愛だ。もう一人の女の子は三人の中で一番身長が低く、マフラーをしてショートヘアという髪型も相まって男の子のようだった。最後の一人、明確な男の子は霧夜だ。

 大きなモミジの木の下、仲良く遊ぶ彼らの純真無垢な姿はとても微笑ましいものがあった。風になびく髪を気にも留めず、ひたすら、ただ一心にモミジの葉を取ろうとしている。


 ■


 そんな光景が頭に浮かんだ。マフラーの少女と目の前で捕まっている少女。ショートヘアとロングヘア、子供の顔と病的な少女の顔、様々な違いがあるが、霧夜はこの少女を、記憶に存在する『姫路飛香』だと思った。


「貴方は……誰? 僕を……どうする、気?」

「……は?」


 霧夜は愕然とした。仮にこの少女が飛香ではないとすれば、今でてきた力のない言葉は納得がいく。しかし、この少女は飛香だ。霧夜はそう確信していた。霧夜と飛香は幼馴染で、お互いに忘れる筈がない。

 ならば、今の言葉は何なのだろうか。

 霧夜は考えることを放棄した。


「……ッ! 鎖とは……卑劣な」


 霧夜と飛香を隔てている錆びついた柵を蹴り砕き、中に入る。鎖は奥の壁から伸びていて、飛香の両手首を後ろ手に縛っていた。手首より先は血が通っていなかったらしく、冷たくなっている。

 手首を縛っている物は『手錠』ではなく『鎖』だ。大ぶりの帯剣で斬るのはリスクが大きい。ならば、呪術を使うまでだ。

 霊体作成系呪術の、《霊武生成》。それで霧夜はナイフほどの大きさの刃物を生成した。青白く光りながら陽炎のように揺れている。

 そして、手首に当たらないように気を配りながら刃を鎖にあてがうと、それだけで刃が鎖に食い込んだ。力を込めて押すと、みるみる入っていく。

 錆がかっていたこともあり、鎖は数秒で断ち切られた。同時に飛香の体が前に倒れ込む。


「お、おい。大丈夫……じゃないよな。仕方ない、ここから出よう」

「……――」


 飛香が何か言ったようだ。しかし、小さすぎて霧夜の耳には届いていない。体が小刻みに震えているのは寒さからだろうか。

 軍隊で体を鍛えた霧夜にとって、少女一人を持ち上げることなど簡単な事だ。慣れた手つきで持ち上げると、その体が予想以上に軽いことに気づく。さらに、人の肉体にあるはずの柔らかさがない。これは、栄養失調を表す。

 一体ここで何を受け、どんな生き方をしてきたのか。霧夜はそれを考えそうになっていた。しかし、思考はすぐに切り替わった。後ろで人の気配がしたのだ。優璃愛ではない。彼女であれば、必ず声をかけてくるし、ここには来たくないだろう。

 ならば、考えられる人物は一人だった。


「岩瀬伯爵。一体このような所にいかがなさいましたか」

「いや、まさか地下室に来るとは思っていなくて……ね。流石は部隊随一の呪術師だ」


 霧夜の質問に答える気は無いらしい。回答に似せた嘘は、霧夜にはお見通しだった。彼は視線を今もなお震えている飛香に向けて、一言。


「飛香、少し我慢していてくれ!」


 霧夜が不意に走りだし、岩瀬に体当たりを仕掛ける。上手く態勢を崩したようだが、成果を確認する前に元来た道を猛然と走り始めた。鍛え上げた脚力と、呪術による補助任せの走り方だ。


「なるほど……。見抜いていたか。しかし、ここは既に地下迷宮。無闇に走っても出られんぞ」

(クソッ、既に術中か! 術を潰すか……いや、岩瀬伯爵を倒して解除するか……)


 巨大結界呪術、《迷い地獄》。建物自体に術がかけられているようだ。霧夜に出口は分からず、岩瀬は全てのルートが分かる。そのうえ、飛香を抱えている霧夜の方は両手が塞がっている。戦況は不利になる一方だった。そして、飛香を助ける一心の霧夜には、不利になりつつある戦況を受け入れるしかなかった。


「ぐっ……ぁぁッ!!」


 どこからか飛来してきた呪術の矢が霧夜の背中に突き刺さる。体を貫通した矢はそのまま拡散して消えた。

 だが、飛香を落としてしまうことだけは避けることができた。この程度の痛みなら何度でも味わっている。先の敗戦では死をも覚悟した。この程度、霧夜にとっては本当に「何でもない事」であった。


「チッ!」


 次は三方向から同時。霧夜が一瞬早く飛び下がったため、辛うじて二発を躱し、一発が右頬をかすめるだけにとどまった。


(あの戦争も、地獄だったな……)


 こんな時に霧夜は戦争を思い出していた。日本が、呪術という圧倒的な力を持って優位に進めていた戦いは一つの事であっさりと逆転した。

 中国式対魔道戦車。呪術をガードする結界を張った特殊な戦車が出てきて、戦況は逆転した。散弾に近い連続爆撃で、素早く動ける呪術師に対応してきた。

 軍属の、専門の呪術師は百人近くいたが、中国式と略される戦車によってその殆どが戦死を遂げた。あるものは移動中に散弾で体を吹き飛ばされ、あるものは高火力の呪術で結界を破ろうと試み、長い詠唱の途中で通常戦車の砲撃を受け、霧夜と共に行動していた呪術師は撤退中に散弾で殺された。彼自身も七発の砲撃を受け、瀕死の重傷を負った。残った霊力をすべて使って本土まで帰り着いたものの、降り立った森の中で力尽きた。そして気づくと――。


「ッ!!」


 再び、矢が襲ってくる。今回は五本だ。さすがに躱し切れず、飛香を庇って矢を受けた。激痛が体に走る。肋骨に突き刺さったものが二本、腕を貫通したものが二本、足をかすったものが一本。

 だが、まだ体は動く。口から漏れ出す血を拭い、再び走り出す。後ろから足音が聞こえてきた。どうやら殆ど追いつかれているらしい。


「(牽制程度になればいいが……)」


 霧夜の手から炎の矢が二本飛び出した。基本攻撃呪術、《夜晴矢(やばれや)》。簡単な呪術の一つだが、牽制程度には使える。暗闇に向かって飛んでいく矢とは反対方向に走った。

 しかし、その足はすぐに止まった。否、止められた。


「甘いな、白水少尉」

「なっ……!?」


 腹部に壮絶な痛みが走る。冷たい鋭利な刃が彼の体を貫いたのだ。口から血があふれ、足に力が入らなくなる。しかし、体は崩れ落ちない。そのままの姿勢で縛られているようだ。否、実際に縛られている。

 空中に浮いていた剣が床に落ち、代わりにランプを持った男が現れる。岩瀬だ。彼は落ち着いた口調で僅かに笑みを浮かべている。


「拘束呪術……《蜘蛛糸》。白水少尉、君には反逆罪の罰を与えなければならない」


 岩瀬は床に置いていた剣を手に取った。それを宙に浮かした。

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