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呪手記  作者: 青黒水龍
呪手記 ―Ancient documents of a nightmare and hope―
3/21

救出 -前編-

 朝、雲一つない快晴の下、霧夜は(まぶた)を通ってくる朝日に起こされた。体を起こして周囲を見回すと、辺りに夜露が降りている。やや強めの風が森を吹き抜け、テントにも付いた夜露を吹き飛ばしていった。

 天気は快晴、風は東から西へやや強め。気温は太陽が夜明け頃で二十度くらい。夏にしては過ごしやすい気候だ。立ち上がって大きく伸びをし、欠伸を一つ。

 また風が吹いて霧夜の細い黒髪がなびいた。顔にかかる髪を手で押さえていると、すぐ隣のテントの入り口がいきなり開いた。


「あら、もう起きてたのね。おはよう。……きゃっ、風が強いわね」

「おはよう、優璃愛。午前中から出るから準備してくれよ」


 テントから出てきた優璃愛に容赦なく風が吹き付け、茶色の長い髪が風に乗る。あわてて帽子をかぶってその上から手で軽く抑えたが、まだ髪先は風で揺れていた。

 優璃愛は「着替えてくる!」と言って再びテントの中に戻った。霧夜は軍服を着ている。

 今日の依頼は、普段のそれとは一風変わっている。

 平安時代とは違い、平成も過ぎた今、新たに出てきた貴族は、現代貴族と呼ばれている。特に、霧夜が所属していた、軍の特殊部隊の創設にかかわった貴族の事をまとめて言う言葉だ。今日は、その内の一人、岩瀬という伯爵から依頼が飛んでいる。無論、霧夜を指名しての事だ。


「移動は優璃愛の移動系に任せることになる。歩いたら半日かかるからな」

「別にいいけど。それより、これくらいしか無いんだけど……」


 と、優璃愛がテントの中から出てきた。着ている物はいつもの行動性重視の服ではなく、水色の清楚なワンピースだ。風がスカートを少しなびかせて、すらっとした細い脚が僅かに見えた。今は特に、ヒールも履いているせいで高校生の年齢には見えない。大人の女性のようだ。


「さて、と……。わたしの移動呪術で行くのね? 浮遊と高速移動の併用でいいかしら?」


 これは、浮遊術で空中に浮き、高速移動術で空を疾走するという方法だ。呪術の発動には一般的に、起動句を唱える必要があり、普通は同時発動など不可能である。しかし、高い才能を持つ優璃愛ならば、呪術の起動句を唱えて、呪術を発動して間髪入れずにもう一つの、一つ目より得意な呪術を一瞬で発動させて、同時に発動したように見せることができる。使える者の限られる高等技術だ。霧夜には到底扱えない。


「――じゃあ、行こうか。――」


 優璃愛が一言、小声で起動句を唱えた。と、霧夜と優璃愛の体が同時に浮き上がり、あっという間に森の木よりも高く飛び上がる。


「わたし、場所知らないんだからね。霧夜が先導するのよ」

「分かってるよ。こっちだ」


 見えない羽を動かすかのように、前傾姿勢となる。すると、一気に加速した。東に一直線に進み、霧夜の後ろを優璃愛が追従する。付かず離れず、一定の距離を常に保ち続けている。現在は呪術がある程度普及しているとはいえ、併用することまではまだ、殆ど知られていない。できるだけ人の目につかないように、森の上をひたすら飛んでいく。風を切り、以上成長した木の間を縫いながら飛んで行った。


 到着したのは、昔で言う福岡県の北東部。数十年前まで栄えた都市があったのだが、今では見る影もない森林地帯だ。緑化の原因は、一般的に呪術の発生に伴う乱用の副作用と言われている。異常に伸びた木がその証拠だ。一部の呪術には、そのような副作用があることが判明している。

 そんな鬱蒼とした森の真ん中に、一か所だけ開かれている所がある。そこに岩瀬伯爵の邸宅が建っているのだ。煌びやかではないが、貴族風の豪華な屋敷だ。しかし、その周りを暗い、負の感情が包んでいる。


「これは……」

「随分苦戦しそうね……。中、かしら……?」

「そうだろうな。伯爵はいらっしゃるはずだから、行こう」

「ちょっと待って、先に少し散らしておきましょう」


 そう言うと、優璃愛は髪留めを一つ外して両手で持ち、小声で起動句を詠み始めた。ものの数秒で彼女の足元に魔法陣が浮かび上がり、すぐに消えた。優璃愛の持っている髪留めが淡い白色に光りはじめる。


「ほら、食べなさい!」


 優璃愛が髪留めを放ると、屋敷の周りに張り付くように溜まっていた妖魔が一斉に髪留めに群がった。その間に霧夜と優璃愛は妖魔の間を縫うように走って屋敷の玄関に到着する。

 先程優璃愛が使ったのは、物体に疑似的な魂を宿す呪術だ。効力時間が短いため、一時的に注意をそらす目的で使われる。

 屋敷が一時的に綺麗になり、その豪華な見た目が露わとなった。どうやら二階建て造りらしい。

 優璃愛が扉をノックすると、すぐに反応があった。どうやら使い魔を飼っているらしい。独特の無機質な声が主人を呼び出す。


「久しぶりだね、白水少尉。色々と話したいことがあるけど、ここでは疲れてしまう。中に来ると良い。御嬢さんもどうぞ」

「お邪魔します」


 出てきた岩瀬は初老の男性で、霧夜の記憶とは違って頭部が禿げ上がっている。しかし、彼が一番苦手としていた、普通よりもやや上にある小さな目はそのままだ。杖を突いているが、必要があるようには見えない。柔和な笑みを浮かべ、霧夜を懐かしそうに見た。同じくして霧夜は礼をする。

 屋敷の中は、流石は貴族の屋敷というべきか、豪華絢爛である。廊下に赤いカーペットが敷いてあり、天井からは豪勢なシャンデリアが下げられていた。

 しかし、霧夜は訝しげな視線でそれらを見ていた。まるで、全く面識のない赤の他人の家に入っているかのようだ。


「どうしたの?」


 優璃愛はいたたまれず、霧夜に問うた。もちろん、岩瀬には聞こえない程度の小声である。


「……岩瀬伯爵は華美を好まないお方だ。今は御隠居の身だが、軍所属であった頃は『過去を学び、質素倹約』と口癖のように仰っていた。……まるで別人だ」


 霧夜も、優璃愛にしか聞こえない程度の小声で答えた。前を歩く岩瀬は杖を突いているものの、腰は曲がっておらず未だ健脚だ。

 そのうちに、広い食堂に着いた。岩瀬に進められて霧夜が座り、その右に優璃愛も座った。すぐに、使用人と思しきメイドによって紅茶が出される。

 先に話を切り出したのは岩瀬。飲みかけの紅茶を置いて、重い口調で話し始めた。


「ふむ、変わらぬようだな、白水少尉。今は軍属ではないと聞いてはおったが、よもや本当だとはな……。……やはり、特殊部隊は全滅したのか」

「ええ、戦友たちはみな名誉ある戦死を遂げました。名倉曹長の部隊が敵国の部隊を数日にわたって足止めしてくれましたが、大陸に行った者の殆どが帰ることなく」


 霧夜の声は重く、沈痛だった。当初、優璃愛は話の本筋が見えずにいたが、しばらくして、半年前に集結した戦争の事だと気付いた。霧夜は軍人なので、その戦争の前線にいたことにも気付いた。


「ふむ……。して、この御嬢さんは?」


 岩瀬の目が優璃愛に向けられる。


「彼女の名は、水沢優璃愛です。……自分の恩人です」

「ほう」

「自分は、部隊が全滅した時の現状を見ています。あの時点でまだ、敵国の戦車は十を数えました。自分はその時点で撤退を決めました。本国に戻って報告するつもりでしたが……途中で被弾し、墜落してしまい……そこを助けられたのです」


 霧夜が横目で優璃愛を見た。瑠璃色の瞳が少しだけ揺らいだ。何か、懐かしんでいるようだ。


「なるほど。……では、時間も押しておることだし、今回の依頼について説明させてもらう。――白水少尉が見たとおり、我が屋敷は妖魔共の群れに囲まれておる。儂はそれを、この屋敷の内部に、きわめて強力な妖魔が封印されておるからだと考えている。しかし、儂の霊力では、屋敷全体を調べる呪術など使いこなせん。そこで、白水少尉に調べてもらいたいのだ」


 岩瀬の声が先程より僅かに低くなる。霧夜は紅茶に口を付け、頷きながらその話を聞いていた。優璃愛はまだ一口も飲んでいない。


「承りました。少々時間を必要としますので、どこか呪術の行使に使えそうな部屋をお借りできますか?」

「なら、客室を使えばいい。儂は少し用事があって呪術に同席できないが、いつでも始めてくれて構わない」


 失礼します、と霧夜が言って、シャンデリアの下がる廊下を二人で歩き始めた。客室は二階にあると岩瀬から聞いている。さらに、所々に使用人と思しきメイドがいるので、彼女たちに道を聞くこともできる。


「早めに始めよう。俺も、伯爵の推測と同意見だ」

「そうね。場所を見つけたらあとは札を張るだけだし。早めに終わらせてしまいましょう」


 何度か角を曲がり、メイドに道を聞いて、二人はようやく客室に着いた。メイドの声が震えていたのが気がかりだったが、霧夜がそれを聞くことはなかった。妖魔の鳴らす騒音に怯えていると考えたのだ。

 客室の中も、調度品は華美な物で揃えられている。しかし、部屋自体はかなり広いので、呪術の行使に支障は出なさそうだ。


「憑代は優璃愛の髪留めを使っていいかな。虫がいない」

「そうね、森でも見当たらなさそうだし、戻ってくるのも苦労しそうね」


 そう言うと、優璃愛は髪留めを一つ外して霧夜に手渡した。長い髪が落ちて肩にかかる。霧夜は呪術用の札を部屋の中心に置いてその上に髪留めを乗せた。その後同じ札を四方に配置する。


「じゃあ、始めるぞ。――身寄りを作りし……虚の生を現し、魔を探す。―――行ってこい」


 霧夜が句を詠み終わると、床の上に、四方の札を周にして魔法陣が現れる。すると髪留めが淡く光りはじめ、宙に浮いた。それはふらふらと彷徨いながら部屋を出て、廊下を進んでいく。霧夜と優璃愛はその後について歩くだけだ。

 時折壁にぶつかりそうになりながら、ふらふらと進んで行った。角を右に曲がり、階段を降り、食堂を横切り、やがて壁にぶつかって床に落ちた。しかし、落ちた後も床を這って壁にぶつかり続ける。


「……この奥か」

「そうね。何があるのかしら……」


 壁に挑み続ける髪留めは少しずつ左にずれていき――やがて壁の間に挟まって動かなくなった。霊力を完全に失った髪留めを引き抜き、優璃愛に放り投げた。


「何があるのよ」

「奥に、道があるぞ。隠し扉だ」

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