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呪手記  作者: 青黒水龍
呪手記 ―Ancient documents of a nightmare and hope―
21/21

終戦

「――俺の、条件だ」

 霧夜は先に言った言葉をもう一度繰り返した。飛香の暴れる動きも止まり、波が静まる。

「呑めんな」

 鹿賀はそれを一言で斬り捨てた。その後に続いて「この部隊……たとえ単騎でも戦いを挑む方針は変わらん。この船の地下には、核兵器を複数搭載している。――負けるつもりなど、微塵もないのだよ。貴様も理解できるだろう、白水少尉殿」と低い声で言った。霧夜は頷いたものの、肯定はしない。

「全滅という形で負けることはないだろう。だが、勝てるとも思えないな。核兵器を撃ってどうするんだ? 今の呪術なら核兵器を無効化することはできなくても、目標から逸らしたり跳ね返すことくらいならできる。もし撃ち返されたら本土が火の海になるぞ!」

 最後に語気を荒げて言い返したものの、彼の表情に力はない。視線は常に飛香に押し当てられた銃口部分と鹿賀の目線を行き来している。

「本土が火の海になれば、我らは死あるのみ。核兵器を撃ち返す術くらい、儂でも行使できる」

「関係ないな。……考え直す気はないのか?」

「無い」

「なら、ここで殺す。大佐を殺した報いは受けてもらうぞ」

 霧夜の指が引き金にかかる。鹿賀は飛香を盾にするようにして弾道に入れた。鹿賀を撃てば、彼女を殺してしまう。

「卑怯者が……!」

 呻いても何も変わらない。むしろ、一瞬の隙を作ってしまうだけだ。それが分かっていながら、彼は思わず呻き声を上げた。

「貴様は強い。流石の腕前だ。だからこそ、排除には手段を問わない。……残念ながら、手段を選んでいては貴様を排除できぬようだからな」

 そう言って、銃口を飛香の側頭部に押し当てる。霧夜の持つ銃は小刻みに震え、狙いが僅かながらにぶれていた。なんとか彼女を傷つけることなく鹿賀に致命的な一撃を加えたい。そんな彼の思いが手元を震わせている。このままでは飛香を撃たないどころか、逆に鹿賀から銃撃を受けかねない。

「貴様は、撃てない」

 嘲るような声で、鹿賀は言った。霧夜は答えられない。事実を突かれているからであり、回答するわけにはいかなかった。

 一つ思い余れば、銃を捨てて投稿してしまいそうな精神状態の中、彼は落ちつけ、落ち着けと心で叫ぶ。しかし、その行為が落ち着いていない証左であると気づく。冷や汗が止まらない。

「霧……」

 飛香が、喘ぐように言った。目元に涙を浮かべている。刹那、風が一際強く吹き付けて、霧夜の体をわずかに冷やした。飛香は空気を肺に取り込んだかのように見える。

「うっ、げほっ!」

「飛香!」

 次の瞬間、彼女の口から、大量の血液が吐き出された。喘ぎ、呼吸するたびに、喉が裂けたように真っ赤な血が吐き出されてくる。その一瞬だけ、思わず鹿賀から目を離した。幸い、鹿賀は動かなかった。

 飛香は呼吸をやめない。遂に上手く空気を吸い込んだと思うと、一言だけ、言う。

「撃って」霧夜が状況を飲み込めない間に「撃って。ボクを」とも言った。苦しそうにあえぎ、吐血しながら、振り絞った言葉だ。言い終わった時、彼女の頬に涙が伝う。

「もう、生きられないの。自分だから、分かる。あの場所で、既に病気がボクを蝕んでいたから……。最後は、霧の手で逝きたい。別れたくないけど、死ぬなら、霧に逝かせてほしい」

 そんなことはできない、と言いたかった。しかし、あまりに強い思いを受けた霧夜は、何も言えない。飛香を死なせずに帰りたい。その思いよりも、彼女の、苦しまずに死にたいという思いが強い。その思いだけで彼は言葉を絞り出した。

「どうしても無理なのか? 生きられないのか!?」

「ごめんね……霧と一緒にいられなくて。ボクも、霧と、ゆりちゃんと、別れたくないけど……苦しんで、見えないところで一人で死ぬよりは、ずっと良い」

 飛香は、嗚咽を漏らしながら、言いきった。涙が零れ落ちている。足元の血だまりは量を増し、青ざめた唇が、血液の色に染まっている。

 飛香を殺すことなど、出来ない。それくらいなら俺が死ぬ。喉まで出かかっていたその言葉は、彼女の瞳を見た瞬間に霧散した。

「絶対に生きられる! 現代医学と呪術を結集すれば、必ず……!」

「ううん、もう手遅れだよ。だって、ホラ」

 飛香は、そう言って目を閉じた。よく見れば、体が震えている。血色は死人のように白い。これは死ぬ――呪術など、痛み止めにしかならないと、彼は思った。彼は、銃を構え直し、銃口を飛香の胸に向けて、震える声で言う。

「本当に……いいのか?」

「うん。一発で、一瞬で、お願い」

 霧夜の震えた声とは裏腹の、流れるようなな回答。飛香の心は既に定まっているのだと、彼は本心で思った。霊力を銃に流し込み、いつでも発砲できるようにする。いつの間にか、霧夜の瞳からも涙が零れ落ちていた。右手の甲でそれを拭きとり、揺れる視界を正す。

 本当の意味での、覚悟とはこういうことなのだろう、と考えながら、まっすぐ飛香に目を向ける。彼女はゆっくりと目を開き、視線を交わらせた。この綺麗な瞳から、あの懐っこい言葉遣いから、彼を信頼した、優しい声色から、所々に傷跡を残しつつも白くて綺麗な肌色から、もう永遠に別れてしまう。

「飛香……」

 霧夜は、最後の言葉を絞り出した。

「君と出会えて、俺は凄く……凄く幸せだった。君を助け出せて、凄く嬉しかった。どうか、どうか往生してくれ。――それだけっ、それだけを切に願う」

 彼の指が手前に動く。サイレンサーを付けたように無音だ。霊力の弾は一瞬で飛香の胸を貫き、同時に鹿賀の心臓を打ち砕いた。飛香は手前にうつ伏せで倒れた。鹿賀は後ろに吹き飛んで、仰向けに倒れた。

「飛香!」

 霧夜は銃を放り捨て、彼女の元へと駆け寄る。抱き起こし、仰向けにする。そうっと、手を添えてゆっくりと降ろした。

「綺麗な……凄く綺麗な表情、してるね……」

 優璃愛が後ろからそんなことを言った。霧夜は振り向かずに頷く。脈は既に絶えていて、その表情は安らかであった。

「霧夜はできることをしたのよ……この子の、意思なのに……凄く、凄く悔しい。何もできないことが……ううっ、ごめんなさい。少しだけ、寄りかからせて……」

 と、言うや否や彼女は霧夜の背中に抱き着いた。何度も嗚咽を漏らしながら、背中に顔を押しつけてくる。

 優璃愛はひとしきり声を抑えて泣いた後、涙を丁寧に拭き取った。

 刹那、それまで一つの揺れもなかった船が大きく揺らぐ。爆発音がして、甲板の数ヶ所に大穴が空く。

「何だっ!? ――いや、そういうことか。優璃愛、すぐにここから逃げろ!」

「嫌よ! 何で、霧夜は残るの!?」

「危険だ。余りにもな。おそらくこの揺れは、船に搭載している原子力兵器の誤発動によるものだ。もし、止められなかったら、間違いなく死ぬ。神戸港で待っていろ! 明日の正午までに必ず行く!」

「……来てよね。信じてるから」

 優璃愛が空中移動系呪術を行使して十分に離れたのを見届けてから、爆発を回避しながら船内に入り込む。三階では火の手が上がっていて、煙が充満していた。《吹風ふきかぜ》の呪術を行使し、自分の周りで風の対流を起こして煙を吹き飛ばした。その呪術を発動し続け、目をやられないように配慮する。

 階段を下り、二階へ。どうやら船内には霧夜しかいないらしい。足音もせず、この船は見捨てられているかのように音が無い。あるのは、彼の足音と、木材が焼け落ちる音のみ。

 鉄の部分には触れない。熱気で目が乾く。風の対流も熱風に変わり、霧夜の肌を焼いていく。

 焼け落ちた階段を飛び下りて一階に行くと、三人の船員が倒れている。既に息絶えていて、一人は彼が斬った者だった。残る二人は焼け死んでいる。うち一人は自害しようとしたのか、腹部から血が流れていた。

(クソッ、動力室の近くじゃないのか!? 大きい部屋のはずなんだが……見つからないな)

 いくつかの部屋を見て回るも、原子力兵器と思われる武器を搭載したところは無かった。武器庫は見つかったが、火器や刀がしまわれているのみである。

 あまり迷ってもいられない。霧夜は呪符を取り出して、《空砲》の呪術を行使、空気の塊を燃え上がる壁にぶつけて貫通させる。二つ、三つの部屋に風穴を開ける中、途中で金属の塊にぶつかり、塊が消え去った。呪術に対して高い耐性を持つ金属で固められる部屋は少ない。艦長室、動力室くらいなものだ。強いて言うならば、原子力兵器格納所。間違いない、これだ。霧夜は確信した。

(既に動き始めている……止まれ!)

 風穴を飛び越えながら格納所に近づく。火の中に飛び込み、服が焼けた。燃え移るたびに叩いて消火し、目の前の火に飛び込み、壁を蹴り砕いて、金属の壁の前に立つ。

 触ると、存外にも熱くない。金属の種類は分からないが、触れた感覚で、物理的な呪術には弱いと判断した。対呪壁と呼ばれる軍事的に使われる壁には、大抵遠距離から行使される呪術に対して抵抗を持たせる。逆に、刀などに付与される術には、ただの壁となるのだ。

 彼は実体化の術を行使して予備の剣を呼び出す。行使する術は《不沈ノ爆発剣》という、斬りつけたところが起爆するという呪術の一種だ。迷わず十字に斬りつけると、薄く入った断面が爆発を起こした。頑丈な扉がガラガラと崩れ落ちる。

「……あった」

 熱風が口の中に入り込まないように手で覆いながら、一言だけ呟いた。今は絶えた火力発電所のボイラーに似た形状のミサイル保管庫、鍵付きの蓋、暗証番号、指紋認証と三重のロックがかけられた発射ボタン。それを押せば、先頭に強力な核爆弾を搭載した小型のミサイルが発射される。どこを目標にしているか不明であるが、必ず阻止しなければならないものだ。呪術により不発処理を施して、海の底に埋めてしまうのが確実だろう。

 霧夜は一枚の呪符を取り出し、それに指で印を刻み込んだ。通常の呪術と比べて長い時間を要し、その間に二度、腕で汗を拭った。

 できあがった呪符をミサイル保管庫の外壁に貼りつけ、次は足元に印を書き込む。窒素の風を発生させる呪術で室内の炎を吹き飛ばし、部屋全体に渡る大きな陣を描く。

 刹那、船のどこかから爆発が起きた。どうやら自爆装置が発動しているらしい。優璃愛を逃がしておいて正解だと考えつつ、急いで印を書き込む。いつこの部屋に火の手が回るか知れない。この部屋に特別な措置があり、爆発をキーにミサイル発射があると考えている。今から行使する呪術は《反起爆措置呪凍結はんきばくそちののろいのとうけつ》という、物理的にも呪術的にも起爆物を不発にする術だ。

(この術が道理に適う物ならば、これ達せ!)

 心で誓約うけいをし、霧夜は右拳を床に叩き付ける。書かれた線に紫色の光が宿り、走った。呪符にも同じ光が宿り、術が行使される。

 ミサイル保管庫を半透明の氷が覆い、やがて一つの氷の像になった。

「いかん」

 彼は慌てて部屋を飛び出した。次の瞬間、爆発が起こる。キーとなる爆発だ。間一髪間に合った。煙を風で払い、室内を見渡す。氷には傷一つない。印も全く傷ついていない。

 術は完全に成功した。役目を達しなかった炎は勝手に収束していき、船は沈み始めた。歩いて部屋を後にし、甲板に出る。そこらじゅうに焦げ跡や大穴が空き、飛香の遺体と鹿賀の遺体があった。彼女の遺体を抱き寄せ、呪術――《礼葬》を行使。すると、飛香の体が少しずつ白い羽に変わり消えて行った。ほんの数秒で、全身が羽となって空へと舞いあがって行った。見上げると、眩しいくらいの青空である。波は穏やかで、この船が沈みゆく軍艦でなければ伸びをしたくなるほどの気候だ。

 そろそろ完全に沈没する。下半身だけになった桜にも《礼葬》を行使し、青空に舞い上げた。

「ここで、お別れです、大佐。どうか、この戦いを恨まないでください」

「今のが《礼葬》か。初めて見たな」

「殿正、今の今まで何をしていた?」

 いつの間にか隣に立っている殿正にジト目を向ける。戦いに参加しなかった彼は、わざとらしいため息をついた。

「爆発を抑えていたのだよ。あれは本来、船を丸ごと吹き飛ばす規模のものだった。それを抑えて小出しにすることで拙者も霧夜も道連れになることを避けた」

「そうか」

 霧夜は一度言葉を止めた。上を見上げ、それから殿正を見て、

「それは助かった。礼を言う」

「拙者の仕事を完遂したのみ。むしろ、戦線に混ざらなかったことを恥じるべきと思っている」

 彼は自分の刀に手を当てて言った。

「そうでもないな。――そろそろ行こう。もう沈む」

 霧夜は浮遊の呪術を行使した。体が浮かび上がり、一気に二〇メートルほど昇る。

「そうだな。行こう。神戸港だったか」

 殿正も浮遊の呪術を行使。霧夜の横に浮かび上がった。

「そうだ。優璃愛が待っている。バイバイ、飛香。往生していてくれよ。桜大佐、お世話になりました」

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