決戦 -中編-
幸いと言うべきか、銃弾は体を貫通したらしい。新たに出てきた敵兵の所持している武器が小火器であることも幸いだ。しかし、状態は良くない。飛香に銃弾は当たらなかったが、霧夜は左脚と右鎖骨付近に合計五発、桜は両足を打ち抜かれて倒れている。優璃愛が一番多くの銃弾を浴びたらしい、着ている服が血で真赤に変わり、横たわって喘ぐように呼吸をしている。
刹那、雷が降り注ぐ。鹿賀の文殊から発生した雷雲から降ってきたものだ。無論、霧夜はこの攻撃に対処できる。既に破壊された結界を解除し、兵士の一人に《避雷針》の呪術をかけた。拡散されていた雷が全て、避雷針をかけられた兵士へと方向を変える。
悲鳴は出てこない。雷の衝撃で後ろに吹き飛んだ兵士は既に事切れていた。体のあちこちが焦げて炭化している。
「――居合!」
一兵士のそのような姿を見ようともせず、霧夜が刀を鞘に収め、姿を消す。否、一瞬で数十メートルを疾走したために消えたように見えただけだ。五人の兵士の首が落ち、血が吹き上がる。首を失った兵士がうつ伏せに力なく倒れこんだ時には、既に次の標的の首を斬り落としていた。黒い筋が現れては消える。
タララン、と自動小銃の発砲音が響いた。同時に霧夜が行使していた辻斬りの呪術が消え去る。無茶苦茶に放たれた銃弾はふたりの兵士を巻き添えにして、霧夜の肺を撃ち抜いたのだ。
「かはっ……!」
空気が抜けていく。息を吐くと、同時に血が口から吐き出た。足にも同時に銃弾を受け、甲板に崩れ落ちた。どうやら骨に直撃したらしい。
真上に小銃が見える。兵士の構える銃の銃口は彼の頭部に固定されていた。引き金に指がかかっている。その指が、手前に引かれた。
銃口から飛び出す弾は霧夜の後頭部に食い込み、頭蓋を叩き割る――はずだった。確かに弾は皮膚を突き破って頭蓋の直前までたどり着いた。そこで、反転したのだ。彼の血液が生き物のように蠢いて、銃弾を押し返す。血液と共に頭部から放り出てきた銃弾は小銃の銃口へと戻った。
霧夜の意識はない。自動で呪術が作動したのだ。禁術、血舞の術が彼の意思に反して行使されたのだ。目が血液と同じ色となり、虚ろな視線が辺りを彷徨う。
小銃を破壊された兵士は、懐からコンバットナイフを取り出した。右手で持ったそれを霧夜に向けて突き出す。
彼は避けなかった。否、彼の右手が一瞬早く兵士の首を刎ねていた。己の血液で濡れた右手は、血舞の呪術を行使中に限って凶器となる。兵士の首から噴き上がる血は彼の意思によって一か所に集められ、剣の形を帯びた。刃渡りが一メートル半はある両刃の帯剣だ。鹿賀は、この呪術を知っている。表情が強張り、辺りにいる兵士に命令を出した。
「いかん、貴様ら、こいつに近づいてはならん。遠くからの銃撃は急所を狙え。半数は負傷兵の援護をしつつ撤退、半数は他の逆賊を捕えよ」
「ハッ」
肩に勲章を付けた佐官が敬礼をする。背中に弓を背負っている呪術師だ。矢筒から矢を取り、弓を引く。霧夜へと意識を向けるのを忘れず、殺意だけは優璃愛に突き刺さっている。
霧夜は剣から霊力を吸収し、浮遊した。石に戻った剣をポケットに突っ込んで、血の剣を左手に取る。空いた右手は血糊がついているため十分な凶器と化していた。
優璃愛の周りに結界――《青ノ鎖》を行使した。彼自身の攻撃で彼女らが傷つかないようにする、霧夜に残った僅かな理性による配慮である。
彼は剣から手を離し、直線状に浮遊させた。その先に兵士がいる。青ノ鎖を貫けないとでも判断したのか、佐官は弓の向きを変え、霧夜に狙いを定めた。そして心臓を捕えると同時に寸分の狂いもない一矢を放つ。鏃に紫の光――呪術が仕込まれていた。
彼は血の剣で弾こうとする手を止めて体を九十度右に向けた。刹那、皮膚のすれすれを矢が通過する。直撃していれば即死していたであろう一撃を目の当たりにしたが、ある意味で正気を失っている故に表情は崩さなかった。
逆に、捻っていた体を戻す際に剣を投じる。それは血液を振りまきながら佐官へと迫り、彼の腹に深々と突き刺さった。
「ぐ、はっ……」
口から吐き出した血、腹から溢れ出す血が重力に反して霧夜の元へ向かっていった。一本の鞭のようにしなりながら彼の周りへと集まっていく。血液が集まって形となり、二本目の剣となった。
「撃て!」
刹那、銃の発砲音が響いた。ほぼ同時に霧夜の体数か所から血が噴き出す。弾は発射されていない。呪術による銃撃、呪弾と呼ばれる術である。彼の口から血の塊が吐き出された。風穴の空いたところから流れ出す血は、舞い上がって剣を生成する。
霧夜が振り向きざまに左腕を大きく振った。その延長線上にある剣が、銃を構えた四人の呪術師の首を一挙に刎ねた。その血から五本の剣を作り出す。
未だ流れる己の血液は自分の周りで踊らせている。血液を操ることはできても、流出したものを戻すことはできない、それに体内に残っている血液を引きずり出すこともできない。
ただ、外に出てきた血液を操ることならば、ほぼ何でもできる。五本の剣を扇状に展開させ、三本を兵士へと投じた。残る二本で鹿賀を狙う。鹿賀は土偶を生成して対応した。剣と土偶がぶつかって爆発する。血液が辺りに飛び散って剣の形をなくすが、すぐに集合して再生した。爆発で消滅した土偶もすぐに新たな物が生成される。
先ほど投じて兵士の喉を貫いた剣が血の尾を引いて戻ってきた。新たに三本の剣が生成される。余っていた血液でもう一本生成できた。これで十一本の剣が扇状に広がる。敵兵も全員が絶命した。
「殺」
「小癪な、甘いわ」
霧夜が七本の剣を投じる。タイミングも方向もばらばらにしたが、鹿賀はそれを全て土偶と相討ちにした。
その間にも霧夜は甲板を陥没させる呪術で鹿賀の足元を狙い、鹿賀は土偶だけでなく隕石をも呼び出して上からも攻撃する。
「……埒が明かない」
十一本の剣を自分の周りで躍らせながら、霧夜は小声で言った。血糊が甲板一面に付着している今、彼の土俵であるにもかかわらず状況は全く好転していない。むしろ、若干押されつつある。
「殺」
自分の周りで剣を八の字に躍らせて、一直線に並べて鹿賀に襲いかからせる。それぞれのタイミングを少しずつずらして、誘爆に巻き込まれないようにする作戦である。表情一つ変えない――光を失った赤い目は真っ直ぐに鹿賀を射抜いていた。
その視線を気にすることなく、鹿賀は土偶を八つ生成した。それを霧夜の剣と同じように並べて立ち向かわせる。
「――――ッ! ぐ……」
一瞬後、呻き声を上げたのは霧夜。彼の脇腹に風穴が空いている。過度の衝撃により血舞が解除され、剣は血液に戻って甲板の上に全て落ちた。
鹿賀の手元には三体の土偶。彼は一体の土偶で二つの剣を吹き飛ばしたのだ。もう一つは霧夜の傍で起爆させた。結界を張ってあったおかげで即死は免れたが、破壊された一部分から衝撃が入り込んで右のわき腹を吹き飛ばされたのだ。
結界を張り直す余裕もなく、霧夜はその場に片膝をついた。額に脂汗が浮かび、歯を食いしばる。それでも、左手には石を握っている。
実体化で剣を作り出し、右手にはレイピアを握った。透き通るような透明の《クリスタルエストック》である。
「まだ来るか」
鹿賀が片手をあげた。土偶がそれに釣られるように一緒に上がる。加賀の手にはレイピアが握られている。
「――――だああっ!」
悲鳴に近い霧夜の声、床を一度蹴った瞬間に脇腹から血が溢れ出した。血走った眼は鹿賀を凝視している。左腕の剣を背中に、右腕は力強く引き絞った。
エストックで突きをかけると見せかけ、本命の一撃は背中まで大きく振りかぶった。斬り下ろし。加賀の手元がぶれるように動いたが、霧夜の手元も素早く軌道を変える。右上からの斬り下ろしをやめて、大きく軌道を変えて左から水平に。その間にエストックは四度煌いた。
カラン、と乾いた音が甲板に鳴る。霧夜の口から赤い液体が漏れ出した。ただ、霧夜の左肩を貫くレイピアは半ばから折れている。その先にいる筈の鹿賀は十メートルほど先で仰向けになって倒れている。後ろから声がかけられた。
「霧夜君!」
「霧夜……!」
優璃愛と桜が走り寄ってくる。今の霧夜には振り返る力も残っておらず、レイピアを引き抜いて放り投げるのが精いっぱいだった。膝の力が抜けて地面にうつ伏せに倒れる。立ち上がれずにいると、優璃愛の手が彼の背中を優しく撫でた。
「わたしの呪術で傷の治療を試みます。桜さんは……鹿賀をお願いします]
と、言うが否や彼女は自分の呪符を霧夜の背中に見える傷口にあてた。加賀のレイピアが貫通したところは、軍服に血が染み込んでいるが、優璃愛が治癒呪術を行使すると少しずつ色が落ちていった。彼女の苦手な分野である治癒呪術――《梅癒》は順調に効果を現していく。
数十秒もすれば、霊力によって自然な形で傷は完治し、減った血液は補われた。
「いつも、悪いな……」
「霧夜……ううん、助けられているのは私の方よ。それより、大丈夫? ちゃんと治っている?」
霧夜は背中から伝わってくる温もりに意識を委ねながらも、彼女を気遣う。それに対して優璃愛は不安が先立っているのか、背中をまさぐろうとした。
「馬鹿、まだ戦いは終わっていないぞ」
そう言って立ち上がると、優璃愛は大きく息を吐いた。よほど気を張っていたらしく、額に汗がにじんで前髪が張り付いている。
桜は倒れたまま微動だにしない鹿賀の首元に剣を突きつけている。彼の暴走を止める事のみが目的であるのならば、今すぐに首を切ってしまえば済む話だ。しかし、事前に鹿賀を殺すつもりはない、と彼女自身が言ってしまっている。
「少し、甘かったわね……」
ふと、そんなことを呟いていた。刹那、何かが目の前を通る。それが霊力の流れと気づいた時には、鹿賀の声が辺りに響いていた。
「筑紫国造磐井降臨術!」
「大佐!」
甲板全体が白く光る。この範囲全体に印が書かれていたらしく、鹿賀のすぐ目の前で刀を持った怨霊が姿を現した。頭部は存在せず、青白い炎が首の上に浮かんでいる。
磐井の怨霊が咆哮を上げると、海面が大きく荒れて鳥たちは一斉に飛び立った。同時に複数の爆音が響く。
「大佐!」
鹿賀を監視しているはずの桜から声がない、そのことに気づいた霧夜は彼女の名を呼んだ。しかし返事は無い。
彼が視線を向けた先で、上半身を失くした人間――桜が下半身だけの体になって仰向けに倒れた。剣の刃も飛散していて、鹿賀の頬に返り血が付着している。しわの多い口元が不気味に歪む。
「鹿賀……!!」
その瞬間、霧夜は立ち上がって実体化を行使した。普段より一回り大きな剣を両手に持ち、一直線に鹿賀へと迫る。一瞬で二メートルの距離に迫り、剣を振り上げる。
「覚悟!」
上段からの振りおろし、鹿賀のエストックは少し離れた位置で転がっているため、今は丸腰だ。一撃で殺す、霧夜はそう念じて、剣を振り下ろした。
「――ッ、邪魔だ、怨霊!」
振り下ろしは止めずに、磐井に斬りかかる。手ごたえはあったが、刀である。火花が散った。
本来両手持ちで使う剣を右手一本で支え、左手は拳を作った。霊力を込めて、渾身の力で腹を殴りつける。
霧夜の素手による攻撃を受け、磐井が一歩引いた。刀を上段に構えようとするが、そうはさせない。霧夜が一気に距離を詰めて突きをした。磐井がそれをいなして上段から斬りかかってくる。
磐井の刀は古びているにもかかわらず、霧夜の服をかすっただけで彼の皮膚から血が流れ出した。更に、磐井の方が動きが速いため、霧夜は徐々に劣勢となっていく。
二十号ほど打ち合い、鍔迫り合いとなった。お互いに一歩も引かず、刃を押し付ける。一瞬でも力を抜いたら押し切られるが、駆け引きも重要となってくる。霧夜は、一歩引くタイミングを探していた。しかし、磐井の動きを感じる限りは引くタイミングは見当たらない。
「遠く離れたここで効くのか……成仏しきらぬ非業の霊よ、阿弥陀如来に縋れば往生できよう。阿弥陀如来に縋ることにより極楽浄土へと逝くが良い。今ここで我が拙くも往生への橋渡しを行う!」
霧夜の詠唱が終わると同時、光の球体が磐井の体から出てきた。
「優璃愛! やれ!!」
磐井が呻き声を上げて刀を取り落とした瞬間に、霧夜は剣を一閃。実体がないために仕留めることはできないが、動きが止まった。ここで彼女の呪術――《日光束》が行使される。
戦果を確認することもなく、霧夜は鹿賀へと駆けだした。彼が磐井に手間取っている間に幻影の呪術を行使したのか、姿が見えにくい。空気が歪んでいる辺りにいるのは分かっているが、迂闊に出が出ない。
「霧夜! 磐井の霊はオーケー!」
「ありがとう。鹿賀……あとはお前だけだ」
優璃愛の声に対して霧夜は短く返事をした。それから加賀に呼びかける。
「ふ、ふ」
鹿賀の声が左から聞こえた。ハッとしてそちらを向くと、蜃気楼がそちらに見える。どうやら霧夜は完全な幻影を見ていたらしい。彼自身がそう気づいた瞬間に剣を投じようとした。
「待て! 動くんじゃないぞ」
蜃気楼が解除される。空気の中から少しずつ実態を表したのは、加賀だけではなかった。
「しまった、飛香……!」
「嘘、霧夜の術は……!?」
鹿賀に捕縛されている、飛香。その側頭部には拳銃が押し当てられている。彼女は苦しそうに暴れているが、振りほどけそうにない。霧夜の術が解けたのか破られたのか、それすらも気づけなかったという事実に、彼は歯ぎしりした。優璃愛は悲鳴に近い声を上げている。
と、霧夜が不意に剣を振り上げた。鹿賀の腕が硬直するように止まる。そして、飛香の体を盾にするように自分の前に移動させた。無論、指は引き金にかかり銃口は押し当てたままである。
霧夜は剣を投じるような真似はしなかった。その代り、大仰に放り捨てて注意を引く。加賀の目線が一瞬動いた。
(今しかない!!)
彼の手が左脚太ももにつけているホルスターに伸びる。一瞬で大型の拳銃を引き抜いて銃口を鹿賀に向けた。霧夜にできた行動はそこまでである。
「飛香を放せ」
銃口は鹿賀の左目に固定されている。装填されているのはただの銃弾ではなく、霊力を弾として撃つ特殊な銃の旧型モデルだ。旧型と言えど、火力においては新型と比べて全く劣らない。反動が強いだけである。弾速も早く、約十メートルの距離ならばほぼ必中で左目の位置に風穴を空けることができる。鹿賀が飛香に押し当てている銃は、実弾を撃つ通常のモデルだ。睨み合いが始まる。
「俺を殺したいなら殺せばいい。だが、大佐を殺した報いは受けてもらう。……しかし、その全てを流してもいい。その代りに飛香を解放しろ。俺の出す条件はそれだけだ」




