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呪手記  作者: 青黒水龍
呪手記 ―Ancient documents of a nightmare and hope―
16/21

誘拐

「まずいわ……」

 双眼鏡で海の方を見ながら、桜が呟いた。普段であれば霧の濃い早朝である本日。にもかかわらず今日に限ってよく晴れていた。鹿賀に気づかれないようにするつもりが、完全に崩れた形となる。桜が焦るのも無理のない事だった。

「戦闘準備だけしてきますよ」

 霧夜は桜の隣で草むらに座り、霊剣を実体化させた。彼の左に寄り添うように優璃愛が座っている。ムッとした表情を完全には隠せておらず、常に髪の毛をいじっている。冷気のような冷たい霊力が頬を撫でてくる。周囲には霜が降りてきていた。霧夜は霊剣の柄を握りながら、横目で優璃愛に視線を向ける。内心でため息をつきながら。

「落ち着いてって。まだ怒ってるのか?」

「……当たり前じゃない。いきなり出てきた上に霧夜を持って行くなんて」

「違うって、桜さんは上官であってそういう関係は無い」

「む~……」

 彼が何度弁解しても優璃愛の機嫌が良くならない。桜に対して敵意をむき出しにしているのも良くない事だ。優璃愛は鹿賀を倒すのに欠かせない戦力である。

 霊剣に霊力を流しこみながら、霧夜はため息をついた。今度は口に出して。あんまり仲が悪いと作戦に支障があるのに、とこれは心の中で呟く。彼が立ち上がると、直後に優璃愛も立ち上がった。冷たい霊力はそのままに。

「来てる……やっぱり気づかれているわ! 白水少尉、服部少尉! 戦闘準備よ! 鹿賀の部下と思しき軍隊がこっちに来ている! その数およそ四〇〇!!」

「チッ……十倍かよ、随分だな。優璃愛は飛香の身を守ってくれ。俺と服部少尉、桜大佐で先陣を切る!」

 霧夜はいつにない緊迫した表情で霊剣を実体化させ、呪符を十枚ほど懐に入れた。桜と殿正は既に準備を済ませている。いつでも戦闘可能な状態だ。難儀があるとすれば兵力差。これは実力云々を通り越すものだ。戦時初期では呪術は兵力差を埋めるほどの力だったが、晩期になればそこまでの圧倒的な力ではなくなっていた。今は五〇対一の差を埋めるほどでもないだろう。もちろん、何事にも例外は存在する。優璃愛はそのうちの一人だと思ってもいいかもしれない。しかし、それでも危険すぎた。戦場では何が起こるかわからない。万が一不足の事態が起これば――そう考えると、優璃愛を連れていくことなどできるはずもない。

「ダメ!」

 だが、彼女は納得がいかないらしい。霧夜の服の裾を掴んで離さない。凛とした瞳は力強いが、霧夜には意地を張っているだけと見え透いていた。

 彼女は左手を胸に当てて力強い声を上げる。

「わたしに先陣を切らせて! 霧夜が飛香を守ってよ! ……私なら負けない。たとえ、何百人が相手でも、私の呪術なら絶対に負けない!!」

「馬鹿言うな! 相手は鍛えられた軍隊だぞ!! ……相手はおそらく、奇策を講じてくる。そうなった時は俺達の方がうまく動ける! ――この戦闘は今までのものより遥かに危険だ、下がっていろ!!」

 優璃愛の虚勢に霧夜が厳しい言葉を叩き付ける。言い過ぎている自覚はあったが、それくらいのことを言わないと彼女は下がってくれそうにない。だからこそ彼は、普段ではほぼ使うことのなかった命令形の口調で言ったのだ。優璃愛を睨みつける。

「――聞けないわ。いくら、霧夜の命令でも。何度言われても付いていくわよ」

「勝手にしろ!」

 霧夜の口調は怒気を帯びていた。普段の優璃愛であれば、ここで引き下がっていた。それが今日は返事をせずに歩き出す。冷静さを欠いていたのは両方だった。


「謀反者を捕えよ!」

「迎え撃つ!」

 それぞれの時の声で戦闘は始まる。陸軍四〇〇対桜、優璃愛、殿正。

「あの程度……ッ!」

 桜と殿正を追い越して先頭に立ったのは優璃愛。制止する二人を無視して前進し、短い語句を唱える。右手を上に突き上げた。発動するのは《雷兵鉄槌《らいへいてっつい》》。

 彼女の放った霊力により、敵軍の上空に突如として雷雲が発生した。瞬く間に成長した黒雲から巨大な雷が落ちる。普通の雷を何十本も束ねたような巨大な雷の柱だ。半径数十メートルは巻き込む高位の呪術であり、威力は本物の雷に劣らない。直撃すれば相手の戦力を大幅に削ぐことができるはず。それも、優璃愛の放つ雷兵鉄槌だ。彼女自身もその威力を自覚している。これで終い、と心の中で呟くほどの自信だ。その雷が突如として消え失せた。否、消えたわけではない。本来であれば、柱のままに落ちるはずの雷が一点に集められたようだ。勢いも収束している。

 誰かが無力化した、と彼女は思った。自分の呪術に誰かが対抗する呪術をかけて無力化しきったのだと。

 しかし、優璃愛の呪術を無力化するほどの強力な使いであれば、その存在感は隠しきれないものになるはず。この戦場にはそれほどの存在感は感じられなかった。それが彼女の思考をより混乱させる。

「怯まないで、霧夜君を無視してまでここに来たのでしょう?」

「言われるまでもない事です!」

 桜が落ち着かせようとするが、全くの逆効果。優璃愛は次の呪術を行使した。今度は《地鳴リ蟒蛇》。

 敵軍の真ん中で突如地面が隆起し、中から岩石の大蛇が飛び出した。今度は敵兵数十名を一瞬にして吹き飛ばしたが、次の瞬間またもや無力化される。何かに吸い込まれるようにして消え失せた。

「何が起こってるの……?」

「攻撃を止めないで! 一斉射撃されたら……」

 三度目の呪術の行使を途中で止め、様子を見ようとする彼女を桜が叱咤する。彼女の持つ刀が兵士を斬り伏せた。後ろには二十名近くの兵士が倒れているが、絶命している者はいない。しかし、桜を止められるものがいない。その彼女が視線を外した。殿正も視線を外した。それを敵軍は見逃さなかった。最前列に並ぶ兵士の持つ機関銃、その数十三が一斉に火を噴く。

「嫌っ……!」

「しまっ……あああっ!」


 とっさに殿正が防御結界を張ろうとしたが、間に合わない。弾丸が彼女らの体を貫いた。小口径の銃弾はいずれも急所を外すように当たっている。腕、脚、脇腹。それも、フルオートの連射ではなく、単発ずつだ。

 三人がほぼ同時に地に倒れると、銃声も止んだ。代わりに完成に近い声が聞こえる。

「討ち取ったぞ! 生きているはずだ……捕えろ! 結界石の手錠を忘れるなよ」

 三人の内、殿正だけは意識があるが、体が動かない。意識を失った二人は当然のこと殿正も手錠をかけられた。そのまま旧式の護送車に乗せられる。がたがたと揺れる道を運ばれながら、殿正は古代から存在する呪術のひとつ、《蜘蛛糸散ラシノ幻術》を行使しようとした。行使に成功すれば、標的の行動と視力を同時に奪う効果がある。

 ところが、発動するはずの呪術が発動しない。まるで、手錠に霊力を奪われたかのようだ。不思議な倦怠感に襲われる。

「無駄な抵抗はやめておきなさい」

 怪しまれたのか、傍の軍人に釘を刺されてしまった。ため息を付いて前を向く。どうやら万策尽きたらしい。桜の身を案じる兵士も少数ながら見受けられた。優璃愛に好奇の視線を向ける無粋者もいる。

 そんな軍隊でも行動は迅速だった。早くも船場が見えてきた。


「くそっ……優璃愛!」

「皆捕まったの? ゆりちゃんも、桜さんも、服部さんも」

 飛香は随分混乱しているらしい。さっきから同じ質問を繰り返していた。そして、霧夜も同じ回答をする。

「ああ、そうだ。……飛香、動けるか?」

「うん。おかげさまでもう大丈夫だよ。だけど、どうして?」

「じゃあ手伝ってほしいことがある。……優璃愛、桜さん、殿正を救出する作戦だ。君がいないと成り立たない。――手伝ってくれるな?」

 霧夜が僅かながらに笑顔を浮かべて飛香に問う。ひきつった笑顔なのは仕方ない。声が低く、殺気だっているのも仕方ない。飛香は全てを理解していた。

「――――もちろん!」

 彼女は頬を紅潮させ、気合の入った返事をした。霧夜を鼓舞する意味もあるこの返事を聞いて、彼の口調は少し柔らかくなった。

「じゃあまずはここを撤収しよう。ここからじゃ、あの場所までは遠すぎる」

「うんっ。テントはボクが片付けるから、他の事やって」

 飛香はかなり張り切っている。当然だ。岩瀬の邸宅で奴隷として捕まっていた彼女を助けだし、全快するまで付きっきりで看病していたのは優璃愛なのだから。飛香にとって彼女は、最も大切な人のであろう。

 もちろん、霧夜にとっても最も大切な人の一人である。幼馴染で、最も協力してくれる。自分の内分を吐露するような話でも優璃愛にならば話せる。優璃愛でないと頼めないこともある。それほどの仲なのだ。まるで、彼女のような……。それにいかないにしろ、恋人に近いほどの関係を持っているのは確かである。

 霧夜にも、飛香にも、危険を顧みない理由は十分にあった。着々と準備が進められていく。彼は呪符を多く用意し、霊剣も二本用意した。左手の甲に印を書き込み、自らの体に結界を張る。霧夜の得意とする防御結界だ。簡易性だが、小口径の銃弾を防ぐくらいはできる。同じものを飛香の手の甲にも書き込んだ。筆で書いているので痛みはない。くすぐったいのは仕方ないが。

 飛香は優璃愛を助けるための用意を中心に、薬や包帯をまとめた。自分の持つ霊力も大方扱うことができる。彼女は遠距離式の呪術が殆ど成功しない反面、自分の体のすぐ近くで発動する呪術は凄まじい精度を誇っている。特に自分の拳で直に殴りつける旧式の呪術は完璧だった。そのため、彼女は手袋をつける。拳の部分に呪術が封じられていて、殴りつけるのと同時に霊力の放出を増加させる効力がある。

 しかし、旧式の呪術はあくまで護身用。今回のメインは霧夜をサポートすることだ。また、彼はあらかじめ呪術を封印している札を数枚渡していた。それも懐に入れている。

 一通りの準備が出来ていることを確認して、黒い髪留めで視界を開けた。後ろはゴムで縛っている。両手で頬を打って気合を入れた。

「霧! 準備、できたよ」

「こっちもオーケーだ。加賀……優璃愛に手を出したこと、後悔させてやる」

 もはや将軍という敬称は必要ない。霧夜は懐に拳銃を忍び込ませた。霊力を弾丸として発射できる特別性である。霊剣は二つの宝石としてポケットに入れ、手りゅう弾も用意した。

 最優先事項は優璃愛の救出。そして桜、殿正の救出。飛香がけがをしないように気を配ることも合わせて優先事項だ。無理をして鹿賀を倒す必要はない――。

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