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呪手記  作者: 青黒水龍
呪手記 ―Ancient documents of a nightmare and hope―
14/21

上官

 現在地、八郎岳の麓。霧夜は、伝令鳥を受け取った。白秋という名の雄鷹だ。白秋が持ってきた書簡に、八郎岳で待っていてほしいと書かれていたのだ。期日は本日が書かれている。昨夜、麓に着いてテントを張った。近くの沢には今では珍しくなった鰻が今でも存在している。さすがに数は少なくなっていたが、それでも他の場所に比べれば多くの生命がいる。彼らも、先日の夕食に鰻を食べた。勿論、飛香のリハビリも行った。回復は順調である。

 白秋が毛づくろいをしている。霧夜によく懐いていて、優璃愛と飛香も仲間と理解したらしく、懐いている。夕方干し肉を与えるのは、この数日の間に優璃愛の役目になっていた。

 霧夜は、日が暮れる頃に山中へと入った。待ち合わせ場所は、山中にある古い避難小屋である。まともに歩くと数時間かかるので、空中移動系の呪術を使って素早く移動する。こうすれば数分で到着できるからだ。

 その後、避難小屋の前で「遅いわよ、霧夜君」という大人の女性の声を聞いた。


「桜さん……、急に呼び出して遅いはないでしょう」

「遅いわよ、女の子二人と戯れているなら早く来なさいよ」

 痛いところを、と心の中で悪態を吐くが、これでも上官。だが、公式の場でなければ「桜さん」と「霧夜君」で呼び合う仲である。この場には彼ら二人しかいない。

 桜改め『(さくら) 穂乃香(ほのか)』は、霧夜が最期に見たときと違って髪を短くしていた。水に流れるような綺麗な黒色は変わっていないが、腰近くまであったポニーテールは、今では、後ろを向けばうなじが見えそうなくらいになっている。ピンク色の花をあしらったヘアバンドも無くなっていた。代わりに、黒色のヘアピンが髪を留めている。

 パッと見は普通の若い女性だが、霧夜より五年も長く軍に従事している。現在の階級は大佐らしい。桜は彼の事を気に入っていて、個人指導や食事に何度も誘われた。

「まぁいいわ、それよりコレ。再会の印っと……動かないでね?」

 桜が霧夜に近づき、自分のヘアピンを彼の髪に付ける。額を隠していた髪を持ち上げて留めた後、露わになった部分にキスをした。

 軍隊で一緒にいたころは日常茶飯事だったこの行為も、一年も会わないと緊張してしまう。ほぼ直立不動でキスを受けた後、彼は頬を赤くして古びたベンチに座り込んだ。

「で、話ってなんですか? まさかこれをするのが目的じゃないでしょう」

「半分はこれよ。もう半分は……はい、この資料」

 と、桜は紙束を手渡してきた。厳重な封が成されているのは、軍事絡みであると言っているようなもの。霧夜は慎重に封を解いて一枚取り出した。

「これは……今の軍隊の実情?」

「察しがいいわね。そうよ、これは軍の……いえ、上層部の実情。鹿賀将軍って覚えている?」

 霧夜が無言で頷くと、桜は表情を変えずに話を続けた。

「戦中から権力を振りかざして問題になっていた人だけど……戦後権力闘争の相手が全員戦死してから酷くなってね……己の敵は全員粛清って雰囲気を出し続けているのよ。既に何人も処刑されたわ。私も、命令に口出しできないのよ」

「しかし、鹿賀将軍は呪術師としての力は低いはずです。なぜそこまで権力を独占できるので?」

 霧夜が知っている鹿賀将軍は内閣を解散された後軍に入った参謀だ。呪術師ではあるが、能力は大したものではない。

 彼の疑問は尤もだ。しかし、桜は諭すでもなく淡々と事実を述べる。彼女はこういう場面では嘘を決してつかない。

「どうやったかは知らないけど、ううん、確証には至っていないだけなんだけどね、恐らくこれよ」

「これは……文殊ですか? 実際に見るのは初めてですね……」

 桜が手の平に転がして見せたのは、半透明の小さな球体。しかし、大きさに見合わない強烈な霊力を発している。間違いない、文殊だ。

 文殊は出所不明の呪術で、禁呪の一つに指定されている。思念を球体に注ぎ込むと、それが実際に発生する。方法は無限。霊力次第でどのようにでもできる。死者を呼び起こすこともできるし、自分より霊力が低い者であれば殺したり使役することもできる。優璃愛クラスの呪術師であれば、地震や津波を引き起こすこともできる。宇宙から隕石を呼び起こしたり、地球を両断することも、理論上は不可能ではない。

 正直、厄介どころの話ではない。これでは権力を振りかざされても仕方ないだろう。

「もう私はあんなところにはいられない。最近は関係を求められるようにもなったし……ねぇ霧夜君、一緒に鹿賀将軍を倒そうよ。いえ……白水少尉、貴官に協力を求める!」

 桜は急に改まった口調になり、軍服を正した。引き締まった表情は本気だと、一目見れば誰でもわかる。

(悪いな、二人とも……。俺、迷惑かけてばっかりだ……)

「御意!」

 久しぶりの敬礼を型どおり決めた霧夜は、数秒そのままの姿勢でいた後、軍服の泥を落とした。思考と言葉が一致していないが、心の中は定まっている。

「桜大佐……」

「もう桜さんでいいわよ。あんまり堅苦しいのは好きじゃないわ。霧夜君も緊張した顔よりリラックスした顔の方が良いわよ?」

 ふう、と一息ついて、桜は霧夜のすぐ横に座った。優璃愛の時と似たシチュエーションだ。

「……もう、服部少尉、見てないで降りてきなさい。敵対意思はないのでしょう?」

「別に桜大佐に迷惑をかけるつもりはありませんでしたが、白水殿、随分と勘が鈍ってはおらんか?」

「返す言葉もないな、全く気付けなかった」

 霧夜の同期の、『服部(はっとり) 殿正(とのまさ)』は、天井から音もなく床に着地した。彼は呪術の派生形である忍術を得意とし、隠密を本業としている。軍人ではあるが、スパイ業が中心だ。しかし、この場合殿正を疑う必要はない。彼は霧夜と仲が良く、酒を酌み交わした仲だ。また、現在は桜直属の部下である。殿正が裏切る要素は何処にもない。

「自分も鹿賀将軍の横暴には限界を感じておりました。拙い身ではありますが、助太刀致します」

「助かるな、服部の実力は相当だ。――ああ、桜さんも、服部も。下のテントに行きましょう。自分と行動を共にしている者が待っております」

「確認してきた」と殿正。「病床の身にある少女が一人、圧倒的な霊力を持つ少女が一人」

 言うまでもなく、前者が飛香で後者が優璃愛だ。

「ああ、そうだ。姫路飛香と水沢優璃愛」

「水沢殿は天性の実力だな、あれは今の鹿賀将軍に匹敵しそうだ」

「なっ!」

 霧夜は絶句した。ただ、彼が絶句した理由は二人とは異なる。二人は、|優璃愛が鹿賀に匹敵する《・・・・・・・・・・・》と言うことに絶句したが、霧夜は|鹿賀が優璃愛と同等以上である《・・・・・・・・・・・・・・》と言うことに絶句したのだ。優璃愛の圧倒的な実力に匹敵する人間など世界でも限られてくる。

 井の中の蛙、と言われればそれまでだが、彼女にはそう考えても仕方のないほどの強さが秘められているのだ。そんなのと同等がもう一人、敵に存在すると考えただけで背筋が凍りつきそうである。

 ただ、大きく不利な点がある。優璃愛は戦闘には疎く、また本心ではおとなしくしていたいと考えていることだ。鹿賀と優璃愛がまともにぶつかればおそらく負けるのは優璃愛。そこをいかにカバーするかが霧夜たちの役目だ。

 霧夜達は小屋を後にして、下山を開始した。降りる間も話を続ける。彼が聞きたいことはたくさんある。

「表向きは軍隊の被害は大きくないと聞きましたけど、実情は?」

「大きいわよ。秘蔵っ子の呪術部隊は凍結されたし、多数の死者が出たわ。私たちのところは善戦して、民間への被害をほぼゼロに抑えたけど……町が焼き払われたところもあるみたい」

「だが、どこも占領されてはいない。辛うじて撃退に成功したようだ」

 やはり、霧夜は心の中で舌打ちした。一般報道と実際は必ずかみ合わない。戦争の報道の出所は軍の記者会見のみなので、尚更だ。知られたくないと言っても、港近くの住民は情報の食い違いに気づいているだろう。


「あ、霧夜……お客様?」

 テントに戻ると、優璃愛がたき火の前で本を読んでいた。霧夜の後ろにいる二人に気づくと、すぐに立ち上がって身を正し、応対する。

 どうやら桜も殿正もテントを用意していたらしい。空いている場所にそれぞれ簡易テントを設置していた。

 夕食はそれぞれが簡単に済ませた。優璃愛が振る舞うようなことを言っていたが、二人が断ったらしい。手早く済ませられる方法を選んだようだ。

「――具体的に、どうなっているんです?」

 梟の鳴き声が僅かに聞こえてくる夜分、霧夜はたき火を囲んでいる面々に向かって話を切り出した。

「脱走者はたぶん、私たち二人だけ。方策は今のところ良い案が無いわね」

 即答したのは桜。迂闊に手を出せない、と言ったところか。

「鹿賀将軍の居場所は分かっているのだが……何せ危険だ。奴の呪術は『何でもできる』というところに恐ろしさがある。白水殿は聞いたであろうが、水沢殿、姫路殿はまだのはず、話しておこう」

 と、暫しの間、殿正の話が続いた。

「そんなの……無茶苦茶じゃないですか。どうやって倒すのですか……?」

「鹿賀……まさか、まさか……!」

「飛香!」

 優璃愛は顔を青ざめさせて、飛香は体が震えている。霧夜は飛香の手を取り、背中をさすって落ち着かせた。どうやら彼女のトラウマに触れる部分があったようだ。もしかしたら鹿賀将軍自体にトラウマがあるのかもしれない。可能性は十分ある。軍人の奴隷として弄ばれた過去があるのだ、彼に心を開いてくれたこと、桜と殿正に拒否反応を示さなかっただけでも僥倖である。

「あ、ありがとう……大丈夫だよ」

 礼を言った飛香の頬は少し赤らんでいた。霧夜から微妙に目を逸らし、緑茶を一気飲みした。その後、眠くなったらしくテントに戻っていった。その際に彼を呼んだ。

「手、繋いで? やっぱり怖かったんだ」

「悪いな、同席させるべきじゃなかった」

 そう、軍事的な会話に飛香を同席させるべきではなかったのだ。彼女の体や心に深い傷を入れた張本人の名前が出てくる可能性が高い。トラウマを抉るような真似は極力避けるべきだ。

「霧夜の事は思い出しているし、安心していいよ? まだ色々思い出せないけど……今は霧夜といれて嬉しいかな。ふわぁ……おやすみ」

 彼女のマイペースな発言に霧夜は僅かに笑みを浮かべる。自分といることで安心感が生まれるなら、それは彼が飛香の傍にいる十分な理由だろう。

 ベッドに潜った彼女の頭を撫で、テントの中を照らしていたランプの灯を消し、霧夜は話の場に戻って行った。

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