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呪手記  作者: 青黒水龍
呪手記 ―Ancient documents of a nightmare and hope―
13/21

添寝

「――すぐにでも、ここを出よう」

 飛香と会話していた霧夜が、優璃愛に対して唐突に伝えた。彼女らの足は既に良くなっている。尤も、飛香は彼が負ぶっていかなければならないだろう。優璃愛と違って、自分の霊力を傷の治療のために使うことができないからだ。まだ足の傷は痛々しく跡を残している。

 それよりも、優璃愛は霧夜がなぜ急ぐのかが分からない。彼女は実力の割に実戦経験が少なかった。そのことを知っている彼は、指を立てて敢えてゆっくりとした口調で説明を始める。

「まず、夏だから死体の腐敗が早い。今日中にでも出ないと、臭いが酷くなるだろう? それに……テントもぐちゃぐちゃだしな。テントを一つ貰って行こう。使っていないのがあるはずだ」

「分かったわ、準備するわね」

 霧夜が言わんとすることをすぐに理解した優璃愛は、瓦礫を避けながら自分のテントに戻っていった。入れ替わって飛香が声をかけてくる。その口調は少し怯えているようだ。

「霧、ボク……まだ何か忘れているのかな? もしあったら、いつでもいいから教えてね?」

 彼女の表情は随分明るくなった。しかし、まだ記憶喪失の影響が尾を引いているようだ。飛香が思い出していることは、まだ決して多くない。霧夜は、彼女の頭を撫でながら少しばかりの笑顔を作って見せた。

 しかし、少し後ろめたい。

 彼と優璃愛はそれぞれ自分の式神を呼び出した。霧夜は収集と運搬を専門とする袋の妖魔、優璃愛は異動と偵察調査を専門とする一つ目の化け蝙蝠。重いものは式神に運ばせる。


●●●


 フクロウの鳴き声が聞こえる。移動も暗くなる前にどうにか済ませ、近くに川のある森の中でテントを張った。霧夜が夕食を断ったため、優璃愛と飛香だけでささやかに済ませた。森の精霊も静まり返る深夜、霧夜は飛香を寝かせた後、優璃愛のテントに移動していた。勿論、用があってのことである。

 この時間の彼女は、よく本を読んでいる。本来持っていたランプは先刻の事件で壊されてしまったので、今は自分で光を出す呪術を使っている。光球を宙に浮かべておくだけの初歩的なものだ。

 彼がテントに入ると、優璃愛は本を枕もとのラックに置いて顔を向けた。

「何かしら? 大事な事って……」

 事前に聞いていたことが気になるのだろうか、彼女は不安そうな視線を霧夜に送った。手を取って脈を確認しようとする辺り、動揺が抑えきれていない。

 霧夜はその手を優しく取り、「ベッドに座ってもいいかな?」と問うた。頷くことで了承を受け、端の方に座る。その左に密着して優璃愛が座った。

 まず、今から前提を言うけど、と言ってから、話を切り出す。

「今夜、俺と一緒に寝てくれないか? 別にそう言う行為の相手をしてくれってわけじゃない。隣にいてくれたらいいんだ」

 霧夜の頬が恥ずかしさで赤くなると同時に、優璃愛の頬も紅潮した。彼の言わんとしていることを理解した瞬間、自分が予想していた事や考えていたことが全部吹き飛んで、頭の中が真っ白になった。霧夜がばつの悪そうな表情を浮かべると、ふと我に返った。それでも、あたふたとしながらではあるが、何とか言葉を発する。

「そっ、それは、わたしは霧夜なら嫌じゃないんだけど、理由を教えてくれないかしら?」

 これもまた、彼は話しにくそうであったが、優璃愛は聞かずにはいられない。霧夜がこうした話を持ちかけてきたことは無く、理由が全く分からないからだ。

「……禁術の赤目を使った。人を殺めればその分は、殺めたその夜に悪夢として現れる。使うのも二回目だし、人数も多いから悪夢の出る今日は誰かが傍にいてくれないといけないかもしれない」

 赤目が禁術に指定されている理由であり、彼が出来る限り使用したくない理由である、反動の悪夢。初めて使った翌日の朝は、寝間着は汗で濡れて体はひっかき傷で血塗れになっていた。その時は医務室で治療してもらったのだが、その時の痛みと悪夢は霧夜の脳内に刻まれ、トラウマとなっている。先刻は無我夢中で使っていたが、今になって見えない恐怖に襲われていた。

 彼女もそれを察して、彼の背中に腕を回して抱き着いた。夏なのに、少し体温が低い。

「……大丈夫よ、安心して。そうよね、たまに忘れるけど……霧夜にも怖い時とかあるものね。いいわよ、頼りなさい」

「――悪いな。あと、もう眠い……」

「わ、わっ」

 霧夜は片腕に優璃愛を抱き寄せ、ベッドに倒れ込んだ。薄いレースのネグリジェが乱れたが、彼は気にしない。両腕の中に彼女を包み、目を伏せる。

 少し強く抱き締めているせいか、優璃愛の呼吸が乱れている。心臓の鼓動が伝わってきて、それは優璃愛が酷く動揺していると理解するに十分だった。

「ありがとうな。君には助けられっぱなしだ……。飛香の事も、優璃愛がいなかったら俺にはどうすることもできなかった」

 目を伏せたまま、優璃愛の耳元に囁きかける。ひゃっ、と小さな声を上げたような気がした。

「あら……わたしは霧夜にいろいろ助けてもらっているわよ? 今日だって、死んじゃうかと思ったわ。それに、霧夜に尽くせたらいいかなって、思っているのよ」

 甘い香りと耳元に当たる吐息に感化された彼は、彼女の額にキスをした。一瞬体を硬直させ、数秒間そのままでいたが、すぐにもぞもぞと動き出した。ネグリジェは汗に濡れて肌に張り付いて、半分だけ開けた視界の隅には純白の下着も写る。

 霧夜は、彼女に見とれてしまっていることに気づいて目を逸らした。背徳感が強い。

 刹那、彼は視界が眩むのを感じた。それが優璃愛の呪術によるものと気づくと、逆らうことなく受ける。

 霧夜は既にほぼ眠りについていた。優璃愛が睡眠を促す呪術を施したからだ。彼女の体の上に、彼の体重が乗る。優璃愛はそれを愛おしそうに抱き締めた。そして、呟く。

「(守ってあげる。守られたお返しよ? あと、嫉妬してごめんなさいね)」


 霧夜は血の池の上に立っている。水深は一メートルくらいだろうか。呆然と周りを見つめ、それから足が動かないことに気づく。否、身体全体が動かない。いわゆる金縛りだ。

――オマエ、コロシタ

――カゾク、ミナシンダ

――オナジ、クルシミ、アジワエ

 血の池の中から腕が生えてきて、霧夜を水中に引きずり込む。池に浮かぶ首が片言の日本語を発する。ナイフを持った腕が、彼の脇腹を斬り裂いた。

 脳に弾丸を撃ち込まれる痛みも、現実の世界と違って永続的に続く。身もだえするほどの痛みが襲い来る中、呼吸ができないせいで意識も薄れてくる。

 堪えきれずに口を開くと、口内に入ってくるものがある。血だ。鉄の味が充満し、むせ返った。何とか腕を振り払って水上に顔を出したが、すぐに抑え込まれた。腕一本の強さは大したことはないが、彼を抑え込もうとするそれはに十本以上に上る。生首の髪を掴んでいる腕も、首を放り出して霧夜を押さえにかかった。

 結果は見えている。すぐに水中に引き戻され、背中にナイフが突き当てられる。捻るように動かしたのか、肉が抉れた。抉れた傷に、拳のようなものが振り下ろされた。そして、傷口を引っ掻く。さらに切り開こうとする。

 足が動かないのは、掴まれているからではない。足首から切り落とされているのだ。砲撃で吹き飛ばされた味方の刀によって切り落とされた。

 ここで、うつ伏せにされていた彼は無理矢理仰向けにさせられた。

 そして、前回は心臓にナイフを突き立てられて夢から覚めた。今回は、心臓の位置に銃口がある。ピストルを持っている腕は、己を中国軍兵士と名乗った。その周りには、憎悪に満ちた生首が霧夜を睨みつけている。

――报仇(復讐する)

 引き金が引かれ、身体に穴を穿かれた。


「き、霧夜……痛い……」

「――――ッ!」

 霧夜が目を覚ました時、彼は優璃愛を強く抱き締めていた。自分と一緒に少し引っ掻いてしまったのか、所々に切り傷のようなものが見受けられる。痛そうに顔をしかめている辺り、霧夜の予想は当たっているのだろう。

 彼女の体を解放すると、苦しそうに二、三度咳をした。そして、涙目になっている瞳を擦って、荒れた呼吸を整えてから口を開く。

「これが――悪夢……。凄まじいわね」

 そう言うと、優璃愛は自分をそっちのけで霧夜の体に刻まれた傷の止血を始めた。

「お、おい。自分の傷を先に直せよ。綺麗な肌に跡でも残ったら申し訳ない」

「大丈夫よ、後で呪術使うから。それよりも、ほら……もう、殆ど切り傷よ? しかも抱き締められる時は背骨が折れるかと思ったわ」

「そ、そんなに強く……?」

 それはいいけどね、と優璃愛は彼が謝ろうとするのを制止した。

「ちょっとだけ向こう向いててくれる? ネグリジェがもうびっしょり。着替えるから。さすがに、着替えを見られるのは、ね」

 霧夜がぎこちない動きで彼女に背を向けると、優璃愛は少しふらつきながら立ち上がった。傷口から漏れた血は乾いた布で拭いて、ラックの中から新しいネグリジェを取り出す。

 一緒に下着も変えようかな、とふと思ったが、後ろには霧夜がいる。万が一でも振り向かれたら……と思うと、ホックを外そうとする手が止まった。

(別に構わないわね、あとでまた少し濡れるのだし)

 彼の前では少し大胆になろう、と決意したのだった。

 新しいネグリジェは先程まで着ていたものより薄く、下着がやや透けている。一瞬思い直したが、さっき頑張ろうと決めたばかり。ゆっくりとベッドの上に戻り、彼の背中に抱き着く。

「ふふ、もういいわよ。悪夢はもう大丈夫なのかしら? 夢系の呪術は苦手なのけど……」

「夢系は無駄に専門的だからな。……ところで、恥ずかしいんだが」

 彼女の頭は霧夜が暗に離れろと言っていることにすぐ気づき、しぶしぶながら腕を離した。考えてみれば、このままいてたらネグリジェを変えた意味がない。それでも、片手だけ彼の腕を握っている。

 とはいえ、目も覚めてしまった。

「今は、大体四時くらいかな? ちょっと涼んでくるよ」

 唐突に、霧夜がそんなことを言った。ベッドから降り、テントから出る。星は、ちょっと少ないように見えた。川縁にある大きな石に腰かけて、木々の隙間から空を見上げる。

 数分後、彼を見つけた優璃愛が歩み寄ってきた。

「隣、いいかしら?」

 と言う彼女はネグリジェの上にサマージャケットを羽織っただけの格好だ。霧夜が右にずれると、すぐ左側に密着した。彼の左腕を抱きかかえて体重を預ける。満足気な表情を見て、霧夜は苦笑いを浮かべて右手で頬をポリポリと掻いた。

「なんだか、なぁ……。雰囲気作られると弱いんだが俺」

「それなら好都合ね。わたし雰囲気作るの好きよ?」

 霧夜は、本当に参ったような口調で参るな、と言った。深く抉られた傷の入った頬が紅潮している。優璃愛と目を合わせられず、月を見つめた。満月だ。今宵は月が美しい。十数年前の宇宙開発実験失敗の爆発でできたクレーターが特に大きい。昔はウサギが餅をつく姿のように見えたんだっけ、と感傷に浸った。今ではウサギもあまり見ない。餅つきの文化もほぼ衰退した。彼自身、餅つきは幼い頃に一度やったのみである。

 季節は外れているが、二人は夜明けまで空を見上げていた。時折首が疲れては横になる。優璃愛はすぐに座り直していたが、霧夜は横になったまま寝入ってしまった。

 小鳥の鳴き声と髪を撫でられる感覚を感じて目を覚ました時、彼は優璃愛に膝枕をされていた。撫でているのは無論彼女の手である。そよ風に乗って僅かな甘い香りが漂い、それが尚も眠気を呼んでいたが、何とか起き上がる。道理でよく眠れたわけだ、とは口に出さない。彼女を無用に恥ずかしがらせるだけだ。起き上がるとほぼ同時に飛び退き、頬を紅潮させて膝を抱きかかえている今の様子を見れば、そのくらいは彼にも理解できる。

「結局今日も外で寝てしまったな。おはよう、優璃愛」

「おっ、おはよう……」

 優璃愛の声が震えている。恐怖によるものではなく、緊張や羞恥が原因である時の震え方だ。目を逸らしながら、いつも通りの会話を繰り返す。朝食はいつも通り簡潔に済ませた。持ち出した食材が少ないので、今は長崎に向かって進んでいる。彼の直接の上官が防衛戦を行っていた場所だ。最後の報告が「撃退した、避難勧告を解いても大丈夫な状態になっている」である。

 現状がどうなっているのかは不明だが、行く先も無く迷うよりははるかにマシだろう。上官も呪術師なので、運が良ければ霧夜たちの接近に気づいて伝令鳥を飛ばしてくれるかもしれない。ちなみに、伝令鳥とは旧世代の鳩ではなく、訓練を繰り返された鷹である。彼の伝令鳥は長崎の上官に貸し出している最中だ。現在地は唐津南西部。

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