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呪手記  作者: 青黒水龍
呪手記 ―Ancient documents of a nightmare and hope―
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プロローグ

 所々に灯された蝋燭が真冬もかくやというほどの冷風によってゆらゆらと揺れる。

 十メートルおきに置かれたこの小さな灯りだけでは、暗い地下室を照らすことなど到底できない。ただ、内部の様子はおおまかに見ることができた。

 地下室はレンガ造りで、湿気が酷くそこらにカビが生えている。換気がなされていないのか、アンモニアのような刺激臭が漂う。

 そんな劣悪な環境で住める生き物はゴキブリとネズミくらいなものだ。到底人が生活できる環境とは思えないうえに、仮に倉庫としてもさすがにこれでは環境が悪すぎる。しかし、ここには生物の気配が感じられない。

 暗い地下室でも特に暗い廊下の先にある部屋で、ジャラリと鎖の動く音が鳴った。蝋燭が立てられていないため、中の様子を窺い知ることはできない。


「ッ……く、はぁ……」


 その奥の部屋から聞こえてきたのは、少女の声だった。声は枯れていて、力もないが、まるで何かに抗っているようである。しかし、苦しそうな呻き声も断続的には続かなかった。

 廊下をカンテラ片手に歩く男がいる。暗くてじめじめした不衛生な地下室には場違いな、赤色の豪奢な服に身を包んだ小太りの中年の男だ。禿げ上がった頭部、常人に比べてやや上についた小さな両目は狂気に光っていた。男は何も迷うことなく、奥に向かって進んでいく。廊下はそれほど広くなく、細身の大人が二人横に並んで通れるかどうかというくらい。男は十メートルほど歩いて、その体を左に向けた。鎖の音、少女の声がした方向だ。


「ご、ご主人様……」

「牢に繋がれる気分はどうかな?」


 男がカンテラで照らした先には、黒髪ショートヘアの小柄な少女がうつ伏せに倒れていた。よく見ると、両手首が手錠のように束縛されていて、首には鎖の首輪が付いていた。彼女が着ている服は汚れ、破れてパッと見ではぼろ切れにしか見えないが、元はメイド服のようだ。スカートらしき物の先にフリルのようなものが付いている。少女は男を見るや否や体を大きく震わせた。しかし、すぐに震えたままの唇から声を出す。


「お願い……します……。ボクをここから出してください。何でもしますからぁ……」


 少女の声は嘆願するように、泣き声を帯びていた。その嘆願を聞いた男の口端が釣り上がる。手首を縛る鎖を左手で掴み、丸顔をぐいっと近づけた。


「ほう、何でもするとな。……くっくっ、よかろう。ここから出してやる」


 男は少女を突き飛ばし、空いている右手をズボンのポケットに突っ込んで小さな鍵を取り出した。それを南京錠の鍵穴に差し込んで右に半回転。

 直後に小さく鳴った、カチャリという音を聞いた少女の表情が明るくなる。素直な感謝を告げようと頭を下げようとした、その瞬間「たわけ!」という声と共に、男は拳で彼女の頬を殴った。驚きに満ちた表情を浮かべたまま、後頭部が壁に激突する。壁にもたれるようにして崩れ落ちた直後、鳩尾に男の足先がめり込んだ。

 男は短足だったが、その見た目以上に蹴りは強烈で、何度目か腹を蹴った時に少女の口から血の塊が吐き出された。涙を流しながら両手で腹を押さえて、苦悶の表情を上げる。男は許しを請う暇も与えず何度も蹴り、踏みつける。


「いやぁっ! お許し……ぶ、はぁっ!」

「誰が助けると言った。貴様には仕事ができただけだ」


 男は日頃の鬱憤を晴らすかのように、無抵抗の少女を蹴り、髪を掴んで石壁に叩きつけた。見た目にはそぐわぬ怪力で、叩き付けた壁が僅かにへこんだ。

 最初こそ悲鳴をあげ、泣きながら許しを請いていた少女もいつしか気を失っていて口から血を滴らせながら床に倒れている。

 男は少女の鎖を解き、その左手首を掴んだ。右手にはカンテラ。その二つを徐々に近づけていき、不意に少女の手をカンテラの炎の中に入れた。皮膚が高熱に耐えかねて焼ける。


「いぁああああッッ」


 意識不明から一転、体を焼かれる痛みに少女は覚醒した。必死になってもがくも高温の炎に炙り続けられ、手から焦げつくような臭いが漂う。


「お前のこれからの仕事は、奴隷だ。我が家に来る貴族達の相手をする。くくく、嫌だと言っても遅いぞ。既にお得意様が待っておられるのだからな」

「えっ……、そ、それは……まさか……」


 少女が言葉を詰まらせ、たじるのも無理はない。それは年頃の少女にとって、最も苦痛であると言って間違いない『仕事』だからだ。ようやく意味を理解した少女は顔を青ざめさせて逃走を図ろうとするも、一歩目を踏み出すと同時に男に髪を掴まれて引きずられる。汚い床の上を引きずられ、肌にごく小さな傷が幾本も付いた。髪が全体重を引っ張る痛みに声にならない泣き声を上げ続ける。

 しばらく、それも彼女にとっては無限のように長い廊下を通り過ぎると、さっきとはまるで別世界のような綺麗な廊下が通っていた。廊下の真ん中には赤いカーペットが敷かれ、角ごとに鎧や像が飾られている。壁は眩しくなりそうな白。上を見れば豪華なシャンデリアが惜しげもなく晒されていて、廊下全体を明るく照らしていた。地下室と繋がっているとは思えない清潔な空間。

 角を右に曲がる。やはり、赤いカーペットに白色の壁にシャンデリア。まるで同じ道を通っているようだが、扉の数と場所は違っていた。全ての扉の前にはメイドが一人は立っていて、その全員が引きずられる少女に悲痛な視線を向けていた。助けに動く者はいない。男は何個目かの扉の前で足を止め、ドアをノックした。


「連れてきたぞ。存分に遊ぶがよい」


 内部でわっと小さな歓声が上がったようだ。少女は体を竦ませ、抵抗の意志を見せる。しかし、つけられたままの首輪を強く引かれると喉が締め上げられるので抵抗することもできない。

 両手で扉を開けるメイドの手も震えていて、開ける速さもいつもより遅いようだった。あくまで、命令に従順に従っているが、その心の内では少女の身を案じている。そんな動きだ。

 少女が中に放り込まれ、メイドがやはり震える手で扉を閉じる。


「いやっ……やめて、やめてぇぇ―――――ッ!!」


 少女の悲鳴はその後一時間以上絶えることなく続いた。ようやく出てきた時、室内からは香の強い匂いが漂ってきて、呼吸困難で意識が混濁していたという。その後、彼女は引きずられるようにして地下室に投げ捨てられた。鎖には繋がれない。どうせ、逃げる力など残っていなかった。

 その夜、少女に与えられた食事は水のみだった。体は痛みで動かず、水に直接口を付けるしかなかった。まるで動物のような扱いを受ける屈辱で少女の目元が僅かに潤んだ。しかし、直後に部屋の中での出来事を思い出して遂に涙が溢れる。水面に涙が一粒、二粒落ちた。

 下腹部が激しく痛み、ぼろきれのようになった服は少し濡れていた。同時に空腹も限界近くまで達してきている。動く力さえも出ず、幼少期から空手で鍛えた腕は最早見る影もなくやせ細っていた。最早正拳突き等目も当てられない。


 やがて力尽き、また朝が来る。時間が分からない地下室の中で虚無の半日を過ごし、外で丁度日が変わる頃、また鎖を解かれて引きずられ、部屋で凌辱を受ける。それが終わればまた地下室に戻って水を飲む。

 ただ、それだけの日々だ。暦は二千の年の二百七年。

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