1.悪魔
――校門の前に立った瞬間、胸の奥で何かが静かに震えた。
目の前にそびえるのは、「特別魔法学校」と刻まれた重厚な門扉。黒鉄のそれは冷たい光を放ちながら、まるでここから先に進む覚悟を試しているかのように、無言で俺を見下ろしている。
「……ここが」
思わず漏れた声は、自分でも驚くほど小さかった。
ここに来るまで、長かった。
「なぁ実、どうした?固まってるぞ」
隣から声が飛んできて、俺ははっと我に返る。
振り向けば、海斗がいつもの余裕そうな笑みを浮かべながら立っていた。荷物を抱えているはずなのに、それすら軽そうに見える。
「いや……実感がわかなくてさ」
「今さら?ここまで来といてそれは遅いって」
からかうように笑う海斗に、俺は苦笑を返しながらもう一度校門を見上げた。
――ここが、俺たちの夢の入口。
100年前――世界の常識がひっくり返る出来事が起こった。
最初の“異変”は小さく、そして突然だった。
ある日、田舎町で撮影された映像。幼い少女の手のひらから、焚き火のような赤い光が揺らめいていた。
それを皮切りに、世界各地で同様の現象が発生する。
炎、水、雷、浮遊――。
人々はその力を「魔法」と呼んだ。
だが、日本では暴走事故が相次ぎ、社会は混乱。
その結果――
「魔法使用には細心の注意を払うこと」
「高出力魔法の無許可使用は禁止」
「違反者には厳正な処分を科す」
政府はこうした規制を設け、魔法の使用を厳しく管理する体制を整えた。
魔法は便利な力であると同時に、制御を誤れば容易に人命を脅かす危険な“道具”でもある。
そのため人々の間では、“必要な場面でのみ扱うべきもの”という認識が定着し、日常での使用は自然と控えられていった。
――しかし、それでも終わらなかった。
空中や地面に突如現れる黒い“ドア”。
そこから現れたのは、牙や爪を持つ異世界の生物。
人類は対抗のため、魔法を再び“戦う力”として扱う。
そして生まれたのが、イラディケイトという軍隊。
だが戦いの中で確認された、さらに異質な存在。
それが――「悪魔」。
ただ強いだけではない。
複数の魔法を同時に操り、常識を無視した現象を引き起こす。
詳細は不明。討伐の成功例もない。
それでも、“国が消えた”という記録だけが現実として残っている。
だからこそ、人類は備えた。
その人材を育成するために作られたのが――
特別魔法学校。
――そして今、俺はその重厚な校門をくぐろうとしていた。
名前は 風立実。
隣には幼馴染の 水谷海斗 がいる。
俺たちは幼いころからずっと一緒だった。
公園で泥だらけになって遊び、転んで泣いて、家に帰るまで一緒。
何度叱られても、すぐにまた一緒に走り回った。
そして、小学校の夕暮れのグラウンドで交わした約束――
「いつか一緒に、イラディケイトに入って、人を助けられる人間になろう」
その言葉は、今も胸の中でずっと光っている。
入学の日、俺と海斗は寮に運び込む荷物を大量に抱えて学校へ向かっていた。
大きなボストンバッグに、生活用品を詰めた段ボール。
新生活の重みが肩と腕にずしりとのしかかるが、不思議と嫌ではない。
「実、その箱重いだろ?僕が持つよ」
「いや、これくらい運べなきゃイラディケイトに入るなんて無理だって」
「はは、言うねぇ。じゃあ競争する?先に校門まで行った方が勝ち」
「絶対負けるからやだ」
そんなふざけた会話をしながら歩く時間が、少しだけくすぐったくて、
そして嬉しかった。
ずっと夢見てきた場所へ、二人で来ているという事実が胸を熱くする。
海斗は青髪のツーブロック。整った顔立ちで、どこにいても目を引く。
勉強も運動もトップ、そして魔力測定では――
321。
一般人基準100の、三倍以上。
周囲が驚愕し、教師ですら目を疑ったほどだ。
努力も才能も実績も、全てを持つ“天才”。
一方の俺は――
灰色の柔らかい髪。成績も運動も本当に“平均”。
魔力測定は 28。
その数字を知ったのは、中学三年の最初だった。
全国統一魔力測定。
順番に表示される数値。
120。
95。
140。
そして俺。
28。
教室が静まり返った。
「……低すぎだろ」
「魔法学校とか無理じゃね?」
担任は遠回しに言った。
「現実を見ろ」
あの日、夢が揺らいだ。
でも。
その夜、俺は海岸にいた。
悔しくて。
情けなくて。
その時、声がした。
「魔法を使ってみろ」
振り向くと、黒いフードの男が立っていた。
顔は見えない。
だが圧倒的だった。
俺は必死に魔力を練る。
砂を少し舞い上げる小さな風。
それが限界だった。
男は淡々と言った。
「……まあ、魔力が少ないからこれくらいか」
胸が痛んだ。
だが男は続ける。
「なら、魔法の技術を向上させろ」
俺は顔を上げた。
「発動速度を上げろ」
「無駄を削れ」
「精度を極めろ」
「量で負けるなら、技術で勝て」
その日から――入試までの8か月。
俺は毎晩、海岸に通った。
最小出力で最大効率を出す練習。
一瞬で発動する訓練。
魔力を一点に圧縮する制御。
そして。
「お前はできるだけ魔法を使う回数を減らせ」
そう言って叩き込まれたのは、動き。
重心の移動。
一歩目の速さ。
視線の読み。
砂浜に何度も倒れた。
それでも立った。
8か月間、逃げなかった。
入試前夜。
俺は聞いた。
「……なんで、俺に教えてくれるんですか」
波の音が響く。
男は言った。
「魔力が少ない奴でも、夢は叶えられる」
胸が熱くなる。
「それを世の中に証明してやれ」
そして背を向ける。
「また会おう」
それが最後だった。
――
そして――入試。
試験は大きく二つに分かれていた。
一つは筆記試験。
内容は、意外にも特別なものではなかった。
国語、数学、理科、社会、英語――
いわゆる中学校で習う基礎学力を問う、ごく一般的な試験。
ただし問題数は多く、時間もシビアで、正確さと処理速度の両方が求められた。
もう一つは、魔力量測定と実技。
巨大な測定装置に手をかざし、純粋な魔力量を数値化する。
その後、実際に魔法を発動し、威力・制御・発動速度を総合的に評価される試験だった。
当然――評価の大半は、魔力量に依存する。
数値が高い者ほど、強い魔法を扱える。
それが、この世界の“当たり前”だった。
だが、俺は違った。
魔力量は、28。
会場の空気がわずかに揺れたのを、今でも覚えている。
それでも俺は、やるしかなかった。
無駄を削り、最小の魔力で最大の結果を出す。
一瞬で発動し、狙いを外さない。
8か月、叩き込まれたすべてをぶつけた。
――結果。
合格者発表の掲示板にあった俺の番号は、最後尾。
最下位合格。
最下位合格だったけれど、それでも嬉しかった。
海斗は俺以上に喜んでくれ、泣きそうな顔で肩を抱いてきた。
「ああ、本当に一緒にここまで来たんだ」
心からそう思った。
校門から見える広い中庭は、整えられた芝生とレンガ道が美しく、
まるで異世界の学校へ迷い込んだようだった。
荷物を抱えながら、校舎に続いている道をゆっくり通る。
石畳のアーチをくぐると、校内の広さと清潔さが一気に視界に広がった。
すぐ右手には大きな案内板があり、“来校者・新入生は掲示板へ” の文字。
「なぁ実、まずはクラス確認しに行こうぜ」
「おう。迷子になりたくないしな」
俺たちは案内板の矢印に沿って進み、
校舎前の長いレンガ道を歩いて掲示板へ向かった。
校舎へ近づくと、靴音や歓声が少しずつ聞こえてきて、胸がそわそわしてくる。
掲示板の前には人だかりができていた。
俺たちは荷物を足元にそっと置き、人の隙間から名簿をのぞき込んだ。
掲示板にはクラス名簿。
俺の名前は「3組」。
「実、見ろ!同じクラス!」
海斗の声に胸が温かくなる。
人混みを離れ、掲示板から校舎の玄関へ向かう。
そこには大きな下駄箱があった。
「うわ、めっちゃ広いな……」
俺は自分の番号が書かれた下駄箱を見つけ、スニーカーを脱いで上履きに履き替えた。
海斗も横で靴を履き替えて教室に向かった。
教室に入ると、新しいクラスメイトたちのざわめきが広がっていた。
座席表を見ると、海斗は俺の隣。
荷物を机の横に置き、席に腰を下ろす。
二人で並んで席につき、少しの間だけ周囲を観察していたが――
すぐに海斗が俺の肩を小突いて話しかけてきた。
「実、ついに始まるな。魔法学校の生活、想像してた?」
「いや……もっと堅苦しい場所かと思ってたけど、案外普通の学校っぽいよな」
「寮生活も楽しみだよな。あ、そういえばさ、実。お前の部屋の棚、僕が組み立ててやるから」
「お前、試験前に俺の部屋のLEDライトを変えようとしたら、脚立ひっくり返して棚壊したやつが何言ってんだよ」
「うっ……あれは事故だって。事故!」
くだらない話なのに、胸の奥がじんわり温かくなる。
これから先、厳しい訓練や危険な任務が待っているかもしれない。
だけど、こんなふうに隣で笑い合える時間があることが、心強かった。
周りでも、初対面の生徒たちが緊張気味に自己紹介をし始める。
魔法の属性を聞かれている声、出身地の話、寮の部屋番号の確認……
新しい環境のざわざわが混ざり合い、教室は活気で満ちていた。
「なぁ実、俺たちが絶対に敵わない生物と戦う日、ほんとに来ると思う?」
海斗が、少しだけ真剣な声で言った。
「……わからない。でも、もし来た時はさ」
俺は海斗の方を見た。
「俺が弱くても、後ろでも、絶対に逃げない。お前と一緒に戦うよ」
海斗は一瞬驚いて、それから安心したように笑った。
「うん。じゃあ、俺も全力で前に立って守るわ。実のこと」
「いや、それはちょっと……恥ずかしい」
「いいじゃん、幼馴染だし」
そんな他愛ない雑談をしているうちに、
教室の空気が徐々に静まり始めた。
――入学式10分前。
ちょうどその時。
バンッ!!
突然、扉が叩きつけられるように開いた。
教室中の視線が入口に集まる。
黒髪のショートヘア。
鋭い目つき。
背筋がすっと伸びた、軍人のような雰囲気。
ただのイケメンという言葉では足りない、圧倒的な存在感。
男は無言で教壇まで歩き、教室全体をゆっくりと見渡した。
彼が立つだけで空気が引き締まる。
そして、俺の心臓が強く跳ねる。
あの重心。
あの間。
海岸での8か月が一瞬で蘇る。
「これから、君たちの担任を務めることになった」
一拍。
「悪魔のアマトだ。よろしく」
――また会おう。
あの声が、耳の奥で響く。
俺の常識が、崩れる。
夢を証明する時間は、もう始まっている。
悪魔との過ごす時間が、静かに動き出した。




