エピローグ
今日、私の看護師としての人生が始まる。
就職活動は大変で、やっと決まった病院。でも大病院に入れたのは良かった。
専門学校に在学していた時から、ずっと患者をサポートしたいと頑張ってきた。
私が小さい頃に交通事故にあい、ずっと付き添ってくれた看護師に憧れていたから。
この病院は大きく、一日中多くの患者で溢れている。
救急も受け入れていて緊迫感もある。今日も、交通事故で血だらけの患者が運ばれてくる。
多くの経験ができ、私のスキルアップにも役立つと思う。
新人の私は、当面の間は日勤だけで、定型的な業務を行うだけだから心配はない。
専門学校で学んだことを着実にこなすだけ。
指導してくれる先輩も、きちんとフォローしてくれると言っている。
スタッフルームは、患者を安心させるため、穏やかな色合いで、爽やかな空気が漂う。
患者の部屋も、白を基調にした色調で、清潔感が溢れる。
忙しくなりそうだけど、優しそうな人ばかりで、仕事は続けられると思う。
医師と結婚できるチャンスも多そう。若い男性の医師も多い。
欧米から来た医師もいて、廊下ですれ違うと素敵な笑顔を向けてくれる。
ただ、女性をもて遊ぶ医師も世の中には多いと聞いてるから、気を付けないと。
最初にアサインされたのが、昏睡状態の男性。61歳と聞いている。
先輩が見守る中で、点滴の準備や、血液の採取、バイタルのチェックをする。
昏睡状態なので、痛がったり、文句を言わないのはいい。
「清水さん、一通りのことはできるのね。手際もいいし、期待してるわ。」
「先輩、この方が昏睡状態なのは、何が原因なんですか?」
「脳卒中で、もうこの状態が半年も続いているの。ただ、脳死状態ではないから、呼吸とかは自分でできているわ。」
「倒れる前は、どんなことしてた方なんですかね。」
この患者の表情は穏やかで、多分、優しい人なのだと思う。
どんな人なのかが気になる。
「余計なことは考えなくていいから。あなたの仕事は、患者の世話をすること。さあ、次は、オムツ交換と体位交換よ。この患者さんは痩せていて体重は軽いけど、男性の体は大丈夫よね。」
「はい、父の介護をしていたこともあるので、大丈夫です。」
「それは良かった。時々、男性の体を見て、恥ずかしいのか、戸惑う女性もいるから。あなたは、当たりだったわ。まあ、頑張って。」
「はい。」
面会する方はいないと聞いてるから、独身とかバツイチかな。
でも、紳士的な顔立ちだし、この人が悪いのではないと思う。
寂しい生活を送ってきたみたい。
回復したら、笑顔でお礼を言ってくれると思う。
早く、回復して欲しい。
昏睡状態だけど、検査では脳波は目まぐるしく動いている。
何か夢をずっと見ているのだと思う。
幸せな夢なのかしら。口元に笑みが溢れる時もある。
その患者のお世話をして3ヶ月が過ぎた。
トイレの個室で、看護士達の噂話しが聞こえてくる。
「清水さんがお世話している昏睡状態の患者さんのこと、聞いてる?」
あの男性のことだ。
「聞いたわよ。奥さんを殺したんでしょう。娘さんの前で。そして、娘さんも殺害したらしいわ。しかも、奥さんの悲鳴を聞いた警察官が来た時には、娘さんのお腹を割いて、卵巣と子宮を取り出し、握りしめていたというじゃない。警察に手錠をかけられた直後に、脳卒中で倒れたんだって。警察は、早く回復させて、裁判で有罪にすると言って、定期的に病院に来てると聞いたわ。怖いわね。清水さんは、このこと知らないから笑顔で対応してるけど、私には無理。先輩も、新人だからって、自分は何もせずに、清水さんことを上手く使っているわよね。」
目の前が暗闇になり、凍りついた空気に包まれて鳥肌が立つ。
紳士だと信じていたのに、そんな極悪犯だったとは。
足に力が入らず、手すりを使って、なんとか、その患者の病室に戻る。
病室に入った途端、腰を抜かし、その場に座り込んでしまった。
患者は目を覚まし、私に話しかけたから。
「確か、隅田川で爆破があったけど、助かったのね。日本が中国の支配下に入らないように早く手を打たないと。こんなところで無駄な時間をかけていられないわ。でも、私は女性に変わったはずなのに、どうして男性の時のままなのかしら?」
どういうわけか、その男性は女性言葉で話し続ける。
その後、その男性は刑務所に収容された。
私は、その後も、その病院で働き続け、10年が経ち、中堅として若手の指導もしている。
結局、医師をゲットできずに独身のまま。
ただ、最近、気になることがある。
毎晩、帰宅する時に、誰かに見られている気がする。
気のせいとは思えない。でも、振り返ると、気配はなくなる。
この殺気はなんだろう。
黒いネバネバしたようなものが覆い被さってくるようで、体が自由に動かせなくなる。
目だけが浮いて、私のすぐ後ろに迫ってくる感じがする。
そう、数日前に病院を出た時から感じる殺気。
足音とかは何一つ聞こえない。
ただ、暗闇のなかから殺気だけが漂う。
自分の部屋に帰ると、私の部屋の窓の鍵が開いていた。
しかも、棚の置物も動かされている。
私は几帳面だから、鍵を掛けるのを忘れるはずがないし、置物が動けば気づく。
深夜に自分の部屋に帰り、電気をつけようとすると、何かの気配を感じて振り返る。
その直後に、いきなり倒されて男性が馬乗りになってきた。
そういえば数日前、同僚から、私がお世話をしていた男性が刑務所から出所したと聞いた。
今更、思い出しても遅かった。
男性の顔は暗くて見えないけど、私の体には窓から漏れる月明かりが差し込む。
そして、お腹の上で、月明かりに照らされ銀色に光るものが振り上げられた。




