6話 夫殺し
湊と結婚して1年が経ち、仕事に忙殺される日々を過ごしていた。
せっかく授かった卵巣だったけど、仕事が忙しくて子供を作る余裕がない。
湊も、子供はそれほど欲しそうではなく、仕事の関係で仙台に単身赴任となる。
一緒にいない時間が増え、仕事も忙しい中で、湊のことを考える時間も減っていく。
それだからか、お互いに配慮が欠け、つまらないことでLINEで喧嘩することもあった。
ふと、どうして湊と結婚したのか分からなくなる。
結婚って、もっと楽しい日々が過ごせると思っていた。
1年も経たない間に、湊に何の感情も持てなくなるなんて思ってもいなかった。
私が変わっているのかもしれない。湊は、まだ私に愛情はあるみたいだし。
そういえば、もう忘れかけていたけど、男性の頃の妻との関係も同じだった。
結婚したばかりの時はワクワク感もあったけど、すぐにお互いに空気のようになっていた。
娘が生まれ、妻も私も、娘を育てることが中心となり、ただのパパとママになっていた。
娘が反抗期なのか、私を毛嫌いをするようになってから、私の居場所はどこにもない。
いえ、妻が私をバカにするのをみて、娘も私を嫌いになったのだと思う。
そんな娘をみるたびに妻がますます嫌いになり、妻と話すことはなくなった。
今、妻はもう亡くなっているだろう。もしかしたら、図太く生きているかもしれない。
娘は、私より少し年上の女性として暮らしているのだと思う。
結婚をし、子供もいて、私に辛くあたったことを後悔しているかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。再会しても、私が誰だか分らないだろうから。
もう私の人生とは関係ないこと。
私は、そのような運命の元に生まれたのかもしれない。
人生を変えても、結果は同じになるということが運命とも言える。
期待していた私がバカだった。
湊の会社は倒産し、仙台から帰ってきたけど、仕事が見つからない。
湊は心が荒れ、私への愛情も薄れ、事あるごとに不満をいう日々が増えていった。
そんな中で、私は、湊って、こんなつまらない人だったのかと後悔をしていた。
湊の作ってくれた料理を、忙しくて外食するから、作る必要はなかったのにと嫌味を言う。
私が結婚記念日のお祝いで家で待っていたら、湊は居酒屋から帰り、暇でいいねと言う。
無職なら掃除でもしないさいと、床に落ちている髪の毛を指さして怒ったこともあった。
湊は、女性の私より上位にいたいと、プライドが高いのに、自分には給料がない。
湊が、そんなことに高いプライドを持っているちっぽけな人だとは知らなかった。
私は、年間で数千万円も稼いでいることに、湊の自尊心が砕け散ってしまったのだと思う。
家の中は、どこにも逃げ場がない重苦しい空気が充満していた。
とうとう、湊は私に言う。
「紬衣が、大学の時に、別の男性と関係を持って子供ができたと、頭の中で何度も響き渡るんだ。汚い体を抱きしめる気にもなれない。どうして、他の男性に、身を委ねたんだよ。本当に汚らしい女だ。もう、耐えられない。」
「あの事件は関係ないって言ってくれたじゃない。」
「そんなこと、嘘だって分かるだろう。紬衣を見るたびに、紬衣が男性に犯される姿が目に浮かぶんだ。俺の人生をぶち壊したのはお前だ。お前のせいだ。」
この環境になっているのは全て私のせいだと責める。
自分が失業し、それが原因で荒れているんでしょう。
全て、私に責任を押し付けようとしているようにしか見えず、怒りの感情が湧き出す。
「湊が初恋の相手だったのは本当のこと。でも、その後の私は仕事で苦しいことが多くて、誰かに助けて欲しいの。でも、仕事のことは、業務の性質から、誰にも言えない。だから、せめて私がしたいことを邪魔しない湊と結婚しただけ。別に、湊が好きだから結婚したんじゃない。」
私は、ただ、誰かに助けて欲しかっただけ。それは湊でなくても良かった。
言い訳かもしれないけど、湊と結婚したのは、ちょうど、横に湊がいたから。
「そのようにしか見てなかったんだね。初恋の気持ちは、もう紬衣の心にはどこにもないんだ。なんか、僕らは一緒にいる意味がないみたい。離婚届を置いておくから、離婚したければサインをしておいてくれ。僕は2日後に来て、サインしてあれば、僕もサインして出しておくよ。」
湊は、そう言って、離婚届をテーブルの上に置いて、私のもとから去っていった。
私も、湊がいなくても困らないし、逆にいると邪魔だと思っていたのでスッキリしていた。
喪失感はあったような気がしたけど、よく分からない。
今どき、離婚なんてよくある。
1回結婚していれば、負け組とか言われない。相手が悪かったと勝手に思ってもらえる。
1人で暮らしていくのに困ることはないし、そっちの方が楽。何も困ることはない。
私は、誰もいない部屋で、離婚届にサインをした。
その時だった。頭をハンマーで殴られたような痛みがあり、いきなり倒れてしまう。
最初は何が起こったのかわからなかった。
手足はしびれて動かない。顔もしびれて声はでない。
でも、意識はしっかりしていて、目は見えるし、耳もいつも通り。
脳の中で出血したのかしら。
目線は床を這い、ソファー横のテーブルにスマホがあるのが見える。
それを使えば救急車とかを呼んで助かると分かるけど、体が動かない。
日が暮れ、そして朝を迎えても、意識はしっかりしているけど体は動かなかった。
とても寒い。頬はずっと床の上で痛いはずだけど、痺れていて感覚はない。
すごい長い時間、何もできずに、目の前のソファーだけが見えていた。
何もできない長い時間の中、自分の人生を振り返っていた。
私は、女性になって幸せだったのかしら。
念願の女性の体になれたことは幸せだった。でも、苦労も多かった。
多分、幸せと不幸がプラスマイナスゼロになるようにできているのだと思う。
私は床に転がり、2日が経ったときだった。
離婚届を取りに来た湊が、倒れている私を見つけ、病院に運んでくれる。
私は九死に一生を得る。
3ヶ月ぐらい入院した後に退院し、3ヶ月ぐらいリハビリを経て普通の生活に戻る。
湊は、私が離婚届けにサインしたのに、看護、リハビリも積極的にサポートしてくれた。
素晴らしい旦那さんで、愛されていて羨ましいとどの看護師からも言われる。
私の気持ちは冷めたままで、湊の看病で気持ちが変わることはなかった。
湊の心の小ささで愛情は冷め、同じ空気も吸いたくないという気持ち。
再び、一緒に暮らすなんて考えられない。
でも、普通から見れば看護師の言っていることが正しい。
私は、ひどいことをいっぱい言ったし、離婚するとも言った。
湊は、自分を好きではない人を拘束したくないから、離婚は撤回しなくていいと言う。
私は、湊への愛情は消えていたけど、私を助けてくれたことには感謝している。
だから、離婚することにはためらいもある。
ただ、もう一緒に過ごすことは生理的に受け付けない所にまで来ていた。
そんな時に、湊は、まだ無職で貯金が尽きたことが分かった。
離婚をしても私の元を去らないのは私のためと言いながら、本心は違うことは明らか。
外から見ると、そんなことは分からないから、私がひどい人だと受け止められる。
本当のことは、当事者以外には分からないもの。
毎晩、お酒に溺れ、私のヒモとして暮らす日々になっていく。
私は家を出ていって欲しいと言うと、私の介護のために、それはできないと言い訳をする。
私は、もう介護がなくても普通に暮らせるのに。
次第に、酔うと暴力を振るうようになり、もう湊には耐えられない。
今日も、家に帰ると、ウィスキーに飲まれ、ウィスキーのボトルで私を殴りかかった。
こんな遅くまで、ほったらかしにしてと言いながら。介護が必要なのは湊の方。
私のお腹には、湊に蹴られてあざが浮き出る。こんな生活は続けられない。
しかも、私も無尽蔵にお金があるわけじゃない。
もう、一緒にいられないと思ったけど、どうすればいいのかしら。
離婚届はもう出しているから法律上の夫婦ではないけど、湊はこの家に居座っている。
男性の湊を、力づくでこの家から追い出すのは無理。
引っ越しても、住民票とかで次の家を力果てるまで探すに違いない。
そして、死ぬまで、私のことを恨み、家に居続けるのだと思う。
警察に言えば、不法に居座っているとして退去させてくれる?
無理、無理。もともと家族なんだから、自分達で解決しなさいと言われるのが関の山。
どうしても、湊から逃れることはできない。
子供を作れば同じ目標を持って仲良く過ごせたのかもしれない。
でも、こんなヒモになった湊を見て、子供を作らないで良かったと心から思う。
私に子供ができれば、湊が世話をし、私が働くことで家計は維持できる。
でも、湊が、そんな生活に満足するはずがない。
プライドが高く、女性の上でないと自分を保てない人だから。
そのうち、子供にも暴力を振るうかもしれない。
私の卵巣が、警告を発していたのだと思う。
私の戸籍の本当の持ち主のことが思い出される。そういえば、確実な方法がある。
組織に頼んで、消してもらうしかない。私は、覚悟をする。
組織に連絡すると、困った時はお互い様だと言い、笑い声がスマホから漏れる。
今夜でもなんとかするから、早く家に戻り、平静にしていろと指示を受ける。
何が起きるのか分からず、家に帰り、コンビニで買った惣菜とビールで夕食をとる。
夕食を食べている時に警察から電話がかかる。
同居人で元夫が、居酒屋から帰る途中に車にはねられたと伝えられる。
車は、湊を放置して逃げて、行方不明だとも言う。
私は、病院に行き、遺体の確認をする。湊は何も言わず、眠るように死んでいた。
事故の直後に警察が電話して家にいたことで、事件に関与はしていないと扱われる。
警察は、運転手の不注意と、湊が不意に飛び出したことが重なった事件だと説明する。
湊の遺体をみていると、初めて口を重ねた日、手を握った日、様々な思い出が蘇る。
どうして、あんな貴重な日々のことを忘れ、一緒にいられないなんて思ったのかしら。
もちろん、湊が失業し、暴力をふるうようになったことが原因なのは分かっている。
でも、度々、私を幸せにしてくれた。湊と会って、景色に色が溢れた。
私は、無言と無表情で、ただただ湊を見下ろしていた。
警察官から肩を叩かれ、慰安室から出ていくように促される。
警察官は、ふらつき、呆然とする私を不安そうに見ている。
私が湊の殺害を依頼したなんてなんて、これっぽっちも想像することもなく。
でも、私は、これで更に組織に逆らえない立場になる。
これで本当に私の高校時代の思い出が終わったと実感し、暗い部屋で1人、涙に暮れた。




