3話 恋心
ある日、私のDMに男子生徒5人組の1人である湊くんからメッセージが届く。
付き合って欲しいと。湊くんには、他の男子生徒とは違う淡い感情があった。
私にそんな感情があったから、湊くんも気づいて私に好意をもってくれたのだと思う。
でも、1人だけと付き合って、私を囲む男子生徒達の間がどうなるかは不安もある。
でも、湊くんの顔を見ると、告白してくれたことが嬉しくて踊る心に逆らえなかった。
湊くんを思い浮かべると、心臓の鼓動が勝手に高鳴り、赤らむ顔を手で覆っている。
私はどうしてしまったのかしら。こんな若い男性に惹かれるなんて。
この前まで60歳を超えたおじさんだったのに、私の心に何が起こっているのかしら。
でも、自分の気持ちを抑えられずに、空想に浸る時間が増える。
ほのかに恋心が芽生えていくのかもと思い、自分の気持ちを確かめたくなっていた。
だから、私から今度の土曜日に一緒に水族館に行こうと誘ってみる。
少し、積極的すぎたかしら。
いえ、湊くんが勇気をもって声をかけてくれたのだから、私から返事をしてもいいはず。
高校生の男女って、どうしたらいいか分からない。
男性だったときに高校生として付き合った異性はいなかったから。
渋谷の駅で待ち合わせ、大森海岸駅に向かう。
いつも制服姿の湊くんの私服姿なんて、とっても新鮮。
電車が揺れ、肩が湊くんに触れた時は心も揺れる。
今日は、清楚な白いワンピを着てきた。
湊くんの目は、これまで見てきた男性のように嫌らしい気配は全くない。
まだ心が純粋で、澄み渡っているんだと思う。
そんな姿をみて、私は白いワンピを着てきて良かったと安心する。
このワンピは好き。動きやすいだけじゃなく、スカート部分が風にたなびく。
その姿が少女らしさと可憐さを演出してくれる。
クローゼットの洋服の品揃えには感謝している。
行方不明の娘も、これを着て、先輩の前で、清楚な雰囲気を醸し出していたのだと思う。
心は先輩を我が物にしようと虎視眈々と狙っていたに違いないけど。
私は違う。もっと純粋で、男女関係を超えたプラトニックラブ。
学校では、暑いし、動きやすいので、ポニーテールにしていることが多い。
でも、今日は、ストレートにして肩にかけてみた。
小顔にみえるように。
そして、ピンク色のリップで飾り付ける。
爪も、ちょんちょんとネイルカラーを置くように塗ってみた。
私は、湊くんに、可愛いく映っているはず。そんな自分に酔っている自分がいる。
見て、見て。可愛く、可憐になった私を。
毛虫のような私が、アゲハ蝶のように美しくなったんだから。
そんな姿を湊くんはずっと見ててくれる。私の心は温かい空気に包まれる。
水族館では、湊くんはずっと喋り続けていた。私の顔をずっと見つめながら笑顔で。
沈黙で気まずくならないようにって思っているのかしら。
そんな湊くんの顔をずっと見つめているのは楽しかった。
穏やかで、温かい時間が過ぎる。
こんなに精一杯、私のことを楽しませようとしてくれる。
私の心はときめいていた。
湊くんの顔は、陽の光の影になっていて、太陽が眩しい。
その分、湊くんの顔は凛々しく見える。
なんか、吸い込まれてしまいそう。
今日1日、湊くんのことしか見えなかった。
水族館にどんなお魚がいたのかなんて、何も思い出せない。
お昼、何を食べたんだっけ。覚えているのは湊くんの笑顔だけ。
初恋なんて忘れていたけど、こういう感覚だったのかもしれない。
違うとすれば、湊くんが私のことを好きだと分かっていること。
誘ってくれたからではなく、こんな若い人の気持ちは、見ているだけでわかる。
自分が好きで、相手が自分のことを好きか分からない。
淡い初恋って、そんなものでしょう。
湊くんは私のことが好きに決まってる。それでも、ドキドキしちゃうのはどうしてだろう。
長年生きてきた私が、初恋なんてと笑っちゃう。
でも、湊くんに夢中な私がいた。ずっと湊くんの顔をみつめている私がいる。
そして、湊くんが私の顔を見るたびにドキドキしている。
恥ずかしくなって、下ばかり見るようになっていた。
水槽の前で私が手すりに手を置いていた時だった。
湊くんも手を置こうとしたのかしら。私の手に触れたの。
顔から火が出そうで、湊くんの手を見つめて立ち尽くしたまま言葉が出ない。
「ごめん。間違って手に触れちゃった。」
「いいの。手を握ったままでいて。嬉しいから。」
心臓が破裂しそう。もう自分がどこにいるのか分からない。
湊くんのことだけしか考えられない。体が熱い。
65年以上も生きてきたのに、なんで、こんなにドキドキするのかしら。
国会議員とは何回も寝ているのに。あれは仕事で、本気じゃなかったからかしら。
もう遥か昔のようで、よく思い出せない。
湊くんの緊張が私に移ったんだと思う。
そして、湊くんの真剣な気持ちに応えたい。
私は笑顔で湊くんの顔を真剣な表情でただただ見つめていた。
湊くんは、ぎこちなく私の手を握りしめる。
不格好じゃないよ、湊くん。勇気を持って手を握ってくれたんだよね。
今まで会った誰よりもかっこよく見えた。
私は、恥ずかしそうに、そして嬉しそうな表情で湊くんの顔を見つめた。
湊くんは、力強く私の手を握り続けた。
痛いよ、湊くん。でも、気持ちが伝わって、このままで心地よかった。
その後も、ずっと手を繋いでいた2人。
水族館を出てからたこ焼きを買って、公園で一緒に食べる。
そして、夕日を2人で何も言わずに黙って見とれていた。
湊くんはキスをしたかったのかもしれない。何かしたそうだったから。
でも、そこまで勇気がなかったみたい。
「夕日、きれいだったね。暗くなってきたし、帰ろうか。」
「そうね。今日、とても楽しかった。」
「家まで送るよ。」
「まだ、一緒にいられるね。ナイトの湊くん、よろしくお願いします。」
家に帰るには、渋谷の繁華街を通る。
柄の悪い男性も多いけど、湊くんが一緒だと安心できた。
今更だけど、男性がとても頼もしく見える。私、どうしちゃったんだろう。
そんな感じで外で何回か会っていたけど、他の4人の男子生徒には秘密にしていた。
だから、教室では、相変わらず5人の男子生徒に私は囲まれている。
誰も知らない秘密って、それはそれでワクワクする。
いつバレるかもしれないとハラハラしながら。
数ヶ月経ったころ、今日、私達は体育館裏にいる。
話しがあると言われ、ここで会いたいと連絡があった。
きっと、キスをしてくるのだと感じた。
湊くんの口が私の口に重なるシーンが浮かび、恥ずかしくて女子トイレに飛び込む。
もう立っているだけで精一杯。足も震えて、個室で腰が抜けたように座り込んだ。
クラスメートの女性が、気分が悪いのかと私を見るけど、無視して出て行く。
誰もいない放課後の体育館の裏。
セミの鳴き声が2人を応援しているみたい。
ドキドキで、暑いことなんて忘れていた。
「なんか、緊張するね。なんかあった?」
「あのう、2学期になると受験であまり会えなくなるかなと思って。」
「そうよね。寂しくなるね。」
「だから、その前に思い出を作っておきたくて。」
「思い出って?」
「夕日を公園でずっと見ていたの覚えてる? あのときにしたかったこと。」
湊くんはずっと私を見つめていた。
でも、勇気がないのか、それ以上、何もできずにいるみたい。
だから、私から近づき、湊くんの口に私の口を重ねた。
どうしても、湊くんとキスをしたかったから。
湊くんと、更に先に進みたかった。
湊くんは、体が固まったまま、私を見つめていたの。
その目はまんまるに大きく開いている。
湊くんは、我に返ったという感じで、走り去っていった。
湊くんは恥ずかしかったのだと思う。
私は家に帰り、ありがとうとDMを送った。嬉しかったと。
それから数日、いつも、キスされたことを考えていたの。
何を見ても、あの時のことを思い出しちゃう。
私、どうしちゃったんだろう。
あの温かい湊くんの唇。あの一体感。
一瞬だったけど、すごい長い時間に感じた。
こういうのは、長い人生の中で初めての経験。
もちろんキスは初めてではない。
でも、妻とのキスは遥か昔のことで思い出せないし、それ以外の女性としたこともない。
闇バイトの時はしたこともあったけど、仕事として心は全く揺れ動かなかった。
それが、湊くんとのキスを1日中、思い出してしまう。
知らない間に、思い出してニヤけてしまっている。
ママからも、何かいいことがあったのと茶化された。
ただ、勉強はしなくちゃいけない。
夏休みに3回ぐらい会ったけど、それ以外、会えない日が続いた。
湊くんは夏休みの予備校の講習にずっと行っていたから。
男性のときに高校は卒業したけど、勉強した内容はあまり覚えていない。
だから、授業についていくのは思ったより大変だった。
しかも、大学受験もある。
進学校ではなかったものの、今から受験勉強をするのは大変。
2学期から、みんなもクラブ活動なんてせずに、授業が終わると塾に行く。
だから、2学期以降は、クラスメートと話したという記憶はほとんどない。
あれだけ好きだった湊くんとも、夏休み以上に疎遠となっていった。
勉強で忙しくても、毎日DMとかは来るものだと期待していた。
まあ、女性にのぼせて勉強に手がつかないのも困る。
だから、私もDMとかは控えることにした。
そんな感じで半年が経ち、私は聖智女子大に入学する。
共学を希望したんだけど、パパとママが女子大を願ったの。
また、嫌な女性達に囲まれて生活するのかと嫌だったけど、仕方がない。
こんな私を救ってくれたのは、パパとママだから。
特にパパは、本当の娘は、男性とのトラブルでいなくなったと思っているんだと思う。
だから、女性ばかりの世界に閉じ込める方が安心だと。
特に、聖智女子大は寮生活が義務付けられ、男性との接点は少ない。
お世話になっている手前、とびっきりの笑顔で同意し、自分の心を偽った。
そんななか、湊くんからは、3月に入り、一通のメッセージが届く。
予備校で知り合った別の人と付き合うから別れると。
私と疎遠になったのは、勉強だけが原因ではなかったのかもしれない。
こんなにあっさりと別れを伝えられるって、なんだったのかしら。
あれだけ純粋な気持ちでドキドキしていたのに。
私から行き過ぎたのかもしれない。
それで、冷めちゃったとか。
今から思うと、あのキスから湊くんは離れていったようにも思う。
積極的な女性は嫌だった?
女性から迫られて、こんな人だと思わなかったとか?
自分がリードできなかったことに自尊心が傷ついた?
今更だけど、もう湊くんには聞けない。
思い返せば、私は本当に湊くんが好きだったのかしら。
ただ、積極的に迫られたから、そんな気持ちになっていただけかも。
今になると、湊くんのどこが好きだったか思い出せない。
ただ、ただ、恥ずかしくてドキドキしていた自分ばかりが思い出される。
だから、捨てないでなんて醜いことはしない。
いえ、男性に対する嫌悪感が蘇ってくる。
男性に憧れていた自分がバカみたい。
単なる一時の気の迷いなんだと思う。
女性になって、女性として愛されると勘違いをしていた。
私は、誰も愛せない、誰からも愛されない星の下で過ごしてきた。
そんな私が、見分不相応な恋に溺れていただけ。
もともと男性なんだから、男性なんて好きになれるはずがない。
高校では女性から嫌われていたけど、大学では女友達を作ろう。
きっと、気が合う女性はいるに違いない。
そんな女性と、程よい距離感で、笑って過ごせれば楽しい。
私は、もともと、男性が好きじゃなくて、女性の体になりたかっただけだから。
もう、過去のことは忘れればいい。その方が楽。
その時、出かけるときにしていたイヤリングの片方がなくなっていることに気づく。
この部屋にあったものではなくて、私が湊くんに水族館で買ってもらったイヤリング。
私の女性としての高校生活が終わったと思った瞬間だった。




