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おじさん、女子高生になる  作者: 一宮 沙耶
第1章 若返り

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1話 卵巣と子宮

「あなたのレントゲン写真に卵巣と子宮が映っている。しかも、こんなことがあるなんて。」


この医者の言葉から、おじさんだった私の女性人生は始まった。


私は、3か月ほど前に60歳定年を迎えた、何のとりえもないおじさん。

顔はネット診断では柔らかい印象の女顔らしいが、体はくたびれた男性にしか見えない。

診察室の鏡に目をやると、何のとりえもない、ビール腹のおじさんの姿が映る。

顔には気力がなく、目もうつろで、何の楽しみもなく、ただ余生を過ごしているおじさん。


「寺尾さん、手術は初めてですか?」

「ええ。」

「心配そうな顔をしていますが、大丈夫ですよ。この歳になっても、初めての経験ができるってすごいことだと思って、がんばりましょう。」

「そういう冗談を言える気分じゃないんですけど。」

「大丈夫です。先生は実績が豊富ですから。手術室は少し古くて、心配される患者さんはいますが、機材は最新鋭ですから心配しないでくださいね。」

「心配だなんてことばかり言われると、逆に不安になっちゃうんですけど。」

妻も娘もいたが、5年前に離婚をし、今は一人暮らしをしている。

彼女達とは、離婚してから連絡を取ったことはない。

そもそも、こちらから連絡しても返事はないだろう。


私は几帳面だから、鍵を掛けるのを忘れるはずがないし、置物が動けば気づく。


深夜に自分の部屋に帰り、電気をつけようとすると、何かの気配を感じて振り返る。

その直後に、いきなり倒されて男性が馬乗りになってきた。

そういえば数日前、同僚から、私がお世話をしていた男性が刑務所から出所したと聞いた。


今更、思い出しても遅かった。

男性の顔は暗くて見えないけど、私の体には窓から漏れる月明かりが差し込む。

そして、お腹の上で、月明かりに照らされ銀色に光るものが振り上げられた。

家族といっても、それだけの関係しかなかったのだと今更に思う。

今時の家族なんて、どこでも、そんなものなのじゃないだろうか。

娘との血の繋がりなんて、道端で風に飛ばされている枯葉よりも軽い。


私が定年になった時、誰が主役か分からない送別会という名の飲み会がセットされた。

周りを見ると、皆は大笑いしながら盛り上がっているが、私に話しかける人はいない。

店員が空のグラスを見て、次はとぶっきらぼうに聞くのが唯一、私にかけられる言葉。


今は事務センターで再雇用をされ、誰でもできる請求書の作成事務をしている。

朝PCを開くとオーダーがあり、プリントアウトして便箋に入れてポストに入れるだけ。

テレビでは、もうそんな仕事はいらないとCMが流れている。


法律でクビにできずに給料を払わざるを得ないなら、システムを導入せずに使う。

嫌なら辞めてもいいんだ、いや辞めてもらいたいと若い上司から面倒臭そうに言われる。

現役時代も、うだつが上がらない営業をし、これまでと変わらないから続けることにした。


そんな社員だから、私が職場にいることに誰も気づいていないかもしれない。

私自身も、この職場にいる人達の名前もよく覚えていない。

65歳で会社を退社するまで1回も話すこともない人の名前なんて覚えても無駄。


これまで、何もない、つまらない人生を過ごしてきたし、今後も同じだと思っていた。

友人はいないし、会社も定時で来て、定時に帰るから、会社に親しい人もいない。

私だけしかいない家に帰り、一人で肉と野菜を炒め、酒を飲み、いつの間にか寝てる毎日。


そんな中、ベッドに入ってから我慢できないほどではないが、お腹がねじれるようで痛い。

少しすれば治るかと思っていたが、痛みと不安で寝ることができない。初めての経験。

ただ、蕁麻疹とか、ヒア汗をかくような症状はない。


悪い物を食べた記憶はない。

昭和に生まれ育った体なので、過去には、悪い物を食べても下痢をすれば通常は治った。

今回は、悲鳴をあげる程ではないが、治る感じはない。


痛みが大きくなってきたので、朝4時に、近くの総合病院の救急外来にやってきた。

盲腸炎かもしれないし、もしかしたら大変な病気、癌なのかもしれない。

家で誰にも気づかれずに死に、腐敗していくより、病院で死ぬ方がいい。

ただ、痛いのは我慢できないから、早く直したい。


早朝の救急外来には、熱がでて息が荒い子供を抱えた母親がロビーで待っていた。

その子が診察室を出てくると私の名前が呼ばれ、診察室で簡単な問診を受ける。

そしてレントゲン室に通され、一旦外で待ち、10分程すると診察室に再度呼ばれる。

不安げな顔の私に、医師はとんでもないことを言い出した。


「あなたの体には卵巣と子宮がありますね。」


いきなりのことで理解ができない。

60年間、男性として生きてきて、誰もが違和感なく男性として接してきた。

そんな私の体に、卵巣と子宮があると言われても、そうですかと直ちに受け止められない。

今までお腹が映っていなかったのか、レントゲン写真でそんなことを言われたこともない。


目の前の医師は、レントゲン写真を上下に動かして、おもわず口元に笑いが滲む。

医師は、珍しい動物でもみるように、私のお腹を見つめている。

こちらは真剣なのに、何が、そんなにおかしいのだろうか。


「卵巣と子宮って、女性のあれですか。」

「そうです。男性の体の中に卵巣が見つかるケースは稀ですがあります。卵精巣性分化疾患なんて呼ばれています。人間の体はいろいろですから。卵巣はなく、精巣を持っていながら、男性器に成長できずに女性の体として成長する方もいます。だから、あなたは異常とかではなく、稀ですが、現存するタイプだとお考えください。」


さっきまで口元で笑っていたのに、異常ではないと言われても信じられない。

医師の表情からバカにされた気分になったが、そもそも、本当のことなのだろうか。

レントゲン写真を見せてもらうと、どこかで見たような卵巣と子宮の映像が映る。


「誰か、別の女性の写真と間違ったとか?」

「そんなことはありません。今、あなたを撮った写真が、ここに映っています。時間も、あなたを撮った時間でしょう。そもそも、こんな時間にレントゲンを撮ったのは、あなただけだし、女性の患者もいません。」

「でも、私には、元妻との間に子供もいますが。」

「精巣と卵巣は別の臓器で、精巣は正常に育ったのでしょう。だから、当然、子供もできます。」


でも、この医師は、はっきりと驚いていた。

それなのに、当然のことのように言われても信用できない。


「それで、先生が驚いていたのはどういうことですか?」

「それなんですが、おそらく、あなたの卵巣と子宮は、これまで機能を停止していたようですが、最近、潤ってきて、活動を始めたということだと思います。これまで卵巣が機能停止していた理由が不明だなと驚いていたのですが、何が原因かは不明なものの、これからは活動を続けると思います。」


私には、医師の言葉には心当たりがあった。ずっと誰にも言えなかったことがあったから。

大きなバストになりたい、スカートをはきたい。そういう欲求が子供の頃からあった。

一人暮らしの時は、毎晩、シリコンを入れたブラをつけることで安心して寝ていた。

同時に、不潔な男性器がついているのも嫌でしかたがなかった。


でも、男性が好きなわけでもない。

とは言っても、女性がすごく好きというわけでもない。

特に、エッチについて興味がない。単に女性の姿になりたいだけ。


別に誰に迷惑をかけることはないので、これまで自分だけの秘密にしてきた。

性転換手術があるとこは知っているけど、そこまでの勇気はなかった。

男性として暮らしてきた人が、いきなり女性として暮らすにはハードルが高い。


職場の男性の同僚が、翌日、女装してきたら、どう接していいか分らないだろう。

会社内で誰もが、変態で気持ち悪いと言い、その日の内に噂が広まるに違いない。


だから、普通の男性のふりをして妻と結婚し、子供も作った。偽物の家族生活。

現実を逃避し、誰もいない隙間の時間に女装をすれば済むだけのこと。

そんな嘘にまみれた家族生活を送ってきた。


妻や娘からは愛情を持って接してもらえなかったのは、それが理由だったのかもしれない。

妻は嫌味しか言わず、娘は部屋に閉じこもって顔も見せず、横を通っても何も話さない。

それでも、長い間、家族のふりをして過ごした。


実家にいた若い頃は、親に言えずに女装はできなかった。

会社に入り、一人暮しを始めて女装にのめりこんでいく。

ネットショッピングでレディースの服を取り寄せ、帰宅すると着替えてメイクもする。

ただ、結婚して、女装をして落ち着ける時間は、出張の時だけになってしまう。


結婚をして、妻からは子供を作りたいと言われて妊活が始まる。

今日は妊娠しやすい日だからと、私にはその気がないのに強制される憂鬱な日々が続く。

子供ができたと聞いた時には、これでやっとエッチから開放されると笑みがこぼれる。

妻は、そんな私を見て、子供ができて嬉しいのねと幸せそうに言って微笑んでいた。

妻とエッチをしたのはその時期を除いて5回もない。


そんな結婚生活も5年前に終わる。その原因は私の女装が妻にバレたことだった。

部屋から見たことがないブラとショーツが見つかり、浮気かと問い詰められた。

もともと離婚しようと考えていて、退職金も慰謝料で奪おうと考えたのだろう。


退職し、給与が大幅に下がったことも、私に見切りをつけるきっかけになったと思う。

妻は外資系コンサル会社の役員で、あと10年は年俸3,000万円以上を貰えるらしい。

家計費は私の稼ぎから出し、自分の報酬は自分用の口座に入れて自由に使っていた。


退職で薄給となった私なんて、妻にとって何の価値もない。

毎日のように、こんな給料ならお小遣いは出せないと嫌味を言われていた。

お金がなく、妻もお弁当は作らないので、毎朝、具がないおにぎりを私が作って持参する。


そんな中、浮気かと責め立てる妻に、自分には女装趣味があって、浮気ではないと伝える。

その瞬間、妻の私を見る目が変わり、気持ち悪いから離婚してくれと言われた。


まあ、妻といるのはうんざりしていたので、別れると言われたのは好都合だった。

浮気はしておらず、ただ妻が気持ち悪いと去るだけだから、慰謝料も請求されない。

妻の最後の情けで、今後は、退職金で1人で暮らしていけと考えたのかもしれない。


私には親の家があったし、ローンを返済し終わっている家を妻に渡すだけで決着する。

実家は親が他界して荒れているが、退職金がそのまま私の手元に残ったので生きていける。

私は家を去り、汚いものを見る目の妻と娘と別れたが、一瞬だけ我慢すれば足りた。


でも、そんな趣味があったのは、これが理由なのかもしれない。

卵巣が機能停止していても、わずかながら女性ホルモンを出していた可能性もある。

男性の体の中で、女性ホルモンが、女性の体になりたいと叫んでいたのかもしれない。


「それで、今回の腹痛ですが、いわゆる生理が始まったのです。問題は、子宮の先にある膣の先端が、体内の皮膚に癒着していて、このままだと、子宮から排出される血液が子宮に逆流し、破裂する可能性があります。また、どこかに排出する口を作ったとしても、あなたの精子が卵巣に入り込んで、子供ができてしまうリスクもあります。60歳だといっても、まだ精子がでてるでしょうから。いずれにしても、至急、手術が必要です。早く来てもらって、良かったです。」

「で、どうすればいいのですか?」

「ご提案は、速やかに卵巣と子宮を取り除くということです。」


これまでどおり男性として生きていく、それが正しい道なのかもしれない。

でも、体の中にある卵巣と子宮が生きたいと叫んでいる声が聞こえる気がする。

今なら家族はいないし、これまでと違い、常識なんて気にせずに自由に生きてもいい。


これからどうなるか分からないが、別の人生を歩んでみるのもいいかもしれない。

どうせ、定年退職になり、それなりの退職金は手元にある。

別の人生になれば会社にいづらいだろうが、当面の生活は困らないから、会社を辞めよう。


男性として暮らしてきた人生に不満があるわけではない。

うだつは上がらなかったが、成功している人なんて、ほんの一握りにすぎない。

社内で出世をした人を見ると、自分の時間も削り、全てを会社に捧げている。


それに対して、給料は低いけど、周りから、私は楽な人生でいいねと言われる。

出世した人は新幹線、私は快速電車、世の中にはもっと貧しい人もいっぱいいる。

だから、そんなものかと諦めていた。


でも、これまで願っても叶えられなかった女性としての人生が、今なら手に入る。

女性になっても苦労はあるだろうけど、試さないで人生を終えるのは悔いが残る。

いや、多くの失敗を重ねてきたことを活かすことができれば、良い人生が待っているはず。

女性として心機一転して取り組めば、人生をやり直すことができる気がする。


おばさんなんて、誰も相手にしてくれないかもしれない。

それはそれでいい。幼稚園の保育士とかで社会に貢献できるかもしれない。

そして、家に帰れば、女装と言わず、本当の女性の姿で過ごせる喜びがある。


それだけでも幸せな気分を味わうことができる。

こんな干からびた男性の体に未練はない。

もう男性の大事な所も立つことはないのだし。


診察室の窓から雪が舞う姿が見える。

病院に向かう時は、底冷えのする風景の中でどこまでも不安の闇が広がっていた。

でも、今は、雪が舞う夜空が美しい。久しぶりに、明るい未来が見える。


私は、確信を持って医師に提案をすることにした。

横には看護師はいるが、知らない人だし、恥ずかしいことはない。


「少しいいですか?」

「どうぞ。」

「子宮と卵巣をそのままにし、男性器を取り除いて女性の体にすることは可能ですか?」

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