別れを数える時間
セリオンが別邸へ戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。
玄関では、いつも通りアルバートが静かに一礼した。
変わらぬ所作。
だが、その奥に、主の帰還が予定より遅れたことへの無言の探りがあるのを、セリオンは察していた。
「アムレーナはどこにいる?」
「先ほど、書斎におられました。」
「そうか。書斎へ向かう。」
応接ではなく、書斎。
なんとなく場所を変えたかった。
扉を開けると、窓辺の椅子に腰掛けた蓮が振り返った。
柔らかな部屋着に、簡単に結ばれた髪。
城の華やかな夜とは別人のような、静かな姿だった。
「セリオン、おかえり。」
その声に、ほんの一瞬だけ、胸の奥が緩む。
だが、それもすぐに引き締めた。
「話がある。」
蓮は表情を改め、姿勢を正した。
「帰還の件だ。日程が決まった。」
一瞬、空気が止まる。
「面会は、七日後。
その後、問題がなければ十日後に儀式を行う。」
言葉にしてしまえば、あっけないほど短い。
蓮は、しばらく何も言わなかった。
視線を落とし、指先をきゅっと握る。
そして、小さく息を吸い込んだ。
「……そっか。」
それだけだった。
泣きもしない。驚きもしない。
「とうとう、来たんだね。」
「……ああ。」
「分かった。準備、するよ。色々ありがとう、セリオン。」
了承の言葉は穏やかで、揺れがない。
だが、セリオンには分かる。
この娘が、どれほどの覚悟でそれを口にしているか。
「何か、不安はあるか。」
問いかけは、王子としてではなく、ひとりの男としてのものだった。
蓮は少し考え、首を振る。
「不安、というより……」
言葉を探すように、視線を彷徨わせる。
「ちゃんと、お別れできるかなって。」
胸の奥が、きしりと鳴った。
「まだ早い。」
反射的にそう言ってから、続ける。
「七日ある。……それに、必ず成功させる。」
蓮はふっと笑った。
「うん。ありがとう。」
その笑顔が、どうしようもなく胸に刺さる。
「今夜は、城に戻る。」
唐突な言葉に、蓮は少し目を瞬かせた。
「泊まらないの?」
「ああ。用事がある。」
それ以上、理由は言わなかった。
言えば、引き留められる気がしたからだ。
別邸を出るとき、背後から視線を感じたが、振り返らなかった。
王城の自室は、冷え切っていた。
暖炉に火を入れさせ、上着を脱ぐ。
机に向かい、書類を広げるが、文字が頭に入らない。
(七日)
短くて、長い時間。
ノックの音が、静寂を破った。
「……誰だ。」
「ルシアンです。今、よろしいでしょうか?」
一瞬ためらってから、セリオンは答えた。
「入れ。」
扉を開けて入ってきたルシアンは、昨日と同じく穏やかな表情をしていたが、どこか疲れが滲んでいる。
「昨日は……」
口を開いたルシアンに、セリオンが先に言った。
「悪かったな。俺も、途中で退室してしまって。」
ルシアンはすぐに首を振った。
「当然の判断です。兄上が残っていたら、余計に面倒なことになっていたでしょう。」
そう言って、苦笑する。
「ただ……正直、あそこまで露骨に父上から嫌がらせを受けるとは思っていませんでした。」
軽い口調だが、その奥に、確かな痛みがある。
「……辛かったか。」
「少しだけ。」
ルシアンは椅子に腰掛け、天井を見上げた。
「でも、仕方ありません。あれが現実ですから。」
その言葉に、セリオンは何も返せなかった。
沈黙を破ったのは、ルシアンだった。
「でも」
そう言って、表情が和らぐ。
「蓮が来てくれました。」
セリオンの眉がわずかに動く。
「そうか。」
「ええ。驚きましたけど……嬉しかった。」
素直な声音だった。
「ちゃんと、お祝いも言ってくれて。」
「良かったな。」
それは、心からの言葉だった。
しばらく、取り留めのない話を交わす。
パーティーのこと、ガランの進捗、城内の噂。
そして、頃合いを見て、セリオンは切り出した。
「……帰還の件だが。」
ルシアンが顔を上げる。
「日程が決まった。
面会は七日後、儀式は十日後だ。」
ルシアンは一瞬、言葉を失った。
「……そっか。」
小さく、そう呟く。
「とうとう、なんですね。」
「……ああ。」
沈黙。
その重さは、先ほど蓮と向き合った時とは、また違う。
やがて、ルシアンがはっとしたように顔を上げた。
「ということは……」
言いにくそうに、言葉を選ぶ。
「兄上は、サラさんを側室に?」
セリオンは視線を逸らさず、答えた。
「ああ。そうだな。」
「……やっぱり。」
驚きよりも、納得に近い反応だった。
「儀式のために、必要なんですよね。」
「そういうことだ。」
ルシアンは、しばらく黙り込んだあと、ゆっくりと頷いた。
「……兄上、大変ですね。」
労わるような声音だった。
「僕には、分かります。」
何が、とは言わなかった。
だが、十分だった。
そして、唐突に、ルシアンは言った。
「僕、明日、蓮に会いに行きますね。」
セリオンは一瞬、言葉を失う。
「……明日?」
「はい。お礼も言いたいですし。」
ごく自然な理由。
拒む理由など、どこにもない。
「……そうか。」
「兄上に、許可を取る必要はありませんよね?」
軽く笑って言う。
「……ああ。」
返事は短かった。
ルシアンは立ち上がり、扉に向かう。
「では、おやすみなさい。兄上。」
「ああ。……おやすみ。」
扉が閉まり、再び一人になる。
セリオンは、深く息を吐いた。
(明日、か)
蓮と、ルシアン。
その光景を思い浮かべ、胸の奥に、名のつかない感情が広がる。
それが何なのか。
考えるのは、やめた。
ただ、確かなのは残された時間が、確実に減っていくということだけだった。
七日後。
十日後。
運命は、もう動き出している。




