失うものの輪郭
パーティーの翌日。
セリオンは王城の執務室に呼ばれ、国王と向かい合っていた。
窓から差し込む冬の光は柔らかいが、室内の空気はどこか張りつめている。
「昨日は随分と賑やかだったな。」
書類から目を離さず、王が淡々と言う。
その声音には感情が混じっていない。
セリオンは一礼し、答えた。
「はい。ただ……想定外の出来事も多うございましたが。」
王はふっと鼻で笑う。
「魔王の来訪か。あれは余興だよ。」
その言葉に、セリオンの眉がわずかに動いた。
「余興、ですか。」
「そうだ。あのような魔族など見世物に過ぎん。お前もそう思うだろう?」
王はようやく顔を上げ、セリオンを見た。その視線は鋭く、値踏みするようだ。
セリオンは短く「はい」と答えるしかなかった。
「それよりもだ、セリオン。」
王は話題を切り替える。
「お前が連れていた娘――アムレーナといったか。なるほど、ああいう娘が好みだったとはな。」
セリオンの表情は変わらない。ただ、内心で小さく息を詰めた。
「愛らしい、よい娘だと思っています。」
あくまで外見を強調し、取るに足りない存在だと植え付ける。
「ほう?」
王は面白がるように口角を上げる。
「まあ、好きにするがよい。だがな、正妃はともかく――」
言葉を区切り、王はあっさりと言った。
「早く側室を三、四人は作れ。血筋は多いに越したことはない。」
命令とも忠告ともつかない言い方だった。
セリオンは一拍置いてから、静かに答える。
「……その件については、時期を見て判断いたします。」
王の眉がわずかに吊り上がる。
「判断など必要ない。王族とはそういうものだ。」
セリオンはそれ以上反論しなかった。
反論したところで、今は意味がないと分かっている。
王は満足したように視線を逸らし、次の話題へ移った。
「そして、ルシアンのことだが」
その名が出た瞬間、セリオンの意識が研ぎ澄まされる。
王は鼻で笑いながら言う。
「魔族と共存だの、街を作るだの。甘い理想に縛られおって。」
セリオンは即座には答えなかった。言葉を選ぶ。
「理想かどうかは、まだ結果が出ておりません。ガランは、これからです。」
「だからこそだ。」
王の声が低くなる。
「あの場で、現実を見せてやったまでよ。あやつがどれほど孤立しているか、な。」
セリオンは胸の奥で、鈍いものが沈むのを感じた。
「……あの場は、誕生日の祝いの席でした。」
王はきっぱりと言い切った。
「主役であろうと、王子であろうと、現実は変わらん。力を持たぬ理想など、笑い話にすぎんとな。」
その言葉は、昨日の出来事すべてを説明していた。
セリオンは、ルシアンの微笑みと、去っていく貴族たちの背を思い出す。
「お前はどうする、セリオン。」
王の視線が再び向けられる。
「兄として、王子として。あれに肩入れするか?」
問いは静かだが、重い。
セリオンは背筋を正し、迷いなく答えた。
「私は、王国の安定を第一に考えます。」
「うむ。」
「ただ、魔族を側で観察できることは、今後人間側が有利になるための役に立つ情報源になると考えています。可能であれば、このままガランの件は進めさせていただきたい。」
一瞬、王の目が細められた。
「……そうか。」
それ以上、王は何も言わなかった。話はそれで終わったかのように、王は再び書類へと視線を戻す。
「下がれ。」
一言で、面会は終わった。
執務室を出たセリオンは、長い廊下を歩きながら、無意識に拳を握っていた。
王の言葉、ルシアンの立場、そして――蓮の姿。
(あの場に、あいつが戻った意味。)
危険で、無謀で、それでも理にかなった行動。
昨日、蓮が言っていた言葉が脳裏に蘇る。
――残った貴族を、見ておきたかった。
セリオンは小さく息を吐いた。
(……あれは、ただの思いつきじゃない。)
王が見せた「現実」とは、違う形で。
確かに、種は蒔かれていた。
王城を離れた後、セリオンは休む間もなく次の目的地へ向かった。
馬車が停まったのは、王都の外れに位置する聖堂だった。
白い石造りの建物は質素だが、近づくにつれ、周囲の空気がわずかに変わるのを感じる。
魔力とは異なる、澄み切った気配。
この場所を治める聖職者が、魔族を強く忌避しているという噂は本当らしい。
だからこそ、慎重でなければならない。
セリオンは外套を整え、案内に従って奥の応接室へ通された。
しばらくして、扉が静かに開く。
現れたのは、淡い灰色の法衣を纏った青年だった。
鋭さと理知を併せ持つ眼差しが、即座にセリオンを射抜く。
「お久しぶりです、殿下。」
「ご無沙汰しております。エセルテ・ルナド殿。」
聖職者エセルテ・ルナド。
魔族に対して強い拒絶を示すことで知られている。
互いに腰を下ろすと、形式的な挨拶もそこそこに、本題へ入る。
「本日は、帰還儀式の日程について相談に来ました。」
エセルテの眉がわずかに動いた。
「……具体的に、ですか?」
「ええ。対象者と面会する日、そして儀式に入れる最短の時期を。」
沈黙。
エセルテは数秒、セリオンの顔を観察するように見つめた。
「殿下。」
低い声で言う。
「私が動く以上、相応の見返りが必要になるのはご承知でしょうな。」
一拍、間を置く。
「私の姪サラを、殿下の側室として迎えていただきたい。」
空気が、張りつめた。
サラ。
側室候補として名前は挙がっているが、セリオン自身は距離を取っていた人物だ。
(やはり、血縁か)
宗教界と王族を結ぶ楔。
エセルテがそれを望む理由は、明白だった。
「それが……帰還の対価、ということですか。」
「ええ。彼女が側室となれば、私は全力で儀式に取り組みましょう」
あくまで穏やかな口調。
だが、それは交渉ではなく、提示だった。
「陛下からも、側室を持つよう勧められているはず。殿下にとっても、悪い話ではない。」
セリオンは、すぐには答えなかった。
王の言葉が脳裏をよぎる。
“早く側室を三、四人は作れ”。
合理的だ。
政治的にも、立場的にも。
(だが――)
脳裏に浮かぶのは、別邸で見せる蓮の何気ない表情だった。
立場を忘れたような笑顔。
何も知らず、何も求めずに過ごしている時間。
「……一つ、確認したい。」
セリオンは静かに言った。
「サラを側室に迎えた場合、儀式は“確実に”成功させていただけるのですね。」
エセルテは、微笑を崩さない。
「成功の可能性は、高い。それが、私にできる最大限の誠意です。」
絶対ではない。
だが、拒めば道は閉ざされる。
「……分かりました。」
セリオンは、短く答えた。
「最短で、面会は七日後。」
「そこから対象者の状態を確認し、問題がなければ、儀式はさらに十日後。」
「半月ほど、ということですか。」
「準備を急げば。」
「了解しました。」
神殿を後にしたセリオンは、冬の空を仰いだ。
蓮を帰すために、別の縛りを受け入れる。
それが正しいのかどうか、答えは出ない。
ただ一つ確かなのは――
(もう、後戻りはできない。)
馬車に乗り込み、別邸へと戻る道すがら。
セリオンは、無意識のうちに自分の指先を見つめていた。
あの夜、蓮の肩にかけた上着。
それが何を意味していたのか。
(……余計なことだ。)
そう切り捨てながらも、胸の奥に残る違和感を、彼はまだ言葉にできずにいた。
帰還への道は、確かに近づいている。
だが同時に失うものの輪郭も、はっきりと見え始めていた。




