祝宴のあとに残るもの
祝宴の喧騒が、嘘のように引いていた。
広間にはまだ灯りが残り、楽団も形式的に演奏を続けているが、先ほどまで密集していた貴族の姿はまばらだ。空いた床が、やけに広く感じられる。
ルシアンは、静かに深く息を吸った。
そして、目の前に立つ存在へと、改めて向き直る。
魔王レナトス。
威圧感を纏いながらも、どこか飄々とした佇まいは、先ほどの騒動をまるで意に介していないようだった。
「……本日は」
ルシアンは一歩前に出て、頭を下げた。
「わざわざ足をお運びいただいたにもかかわらず、このような無礼な場となってしまい、誠に申し訳ありません。」
その声音は、若さを残しながらも、真摯だった。
「国王の言葉、そして会場の反応……いずれも、主催者側として弁解の余地はありません。」
一瞬、広間の空気が張り詰める。
魔王を前にして、王子が謝罪を口にする――それ自体が、異例だった。
だが、レナトスは肩をすくめるようにして、ふっと笑った。
「気にするな。」
低く、穏やかな声。
「以前会ったときとは、随分と違うな。」
ルシアンは顔を上げる。
「……違いますか?」
「ああ」
レナトスは、金色の瞳を細めた。
「あの頃のお前は、状況を理解しながらも、どこか受け身だった。だが今は――」
一拍、言葉を置いてから続ける。
「自分の意思で立ち、自分の言葉で頭を下げている。頼もしくなった。」
その言葉に、ルシアンの肩から、わずかに力が抜けた。
「……ありがとうございます。」
「礼を言われる筋合いではない。」
レナトスは軽く首を振る。
「私は、ただ来たかっただけだ。」
「え?」
思わず、ルシアンは聞き返した。
レナトスは、ちらりと広間の出口――先ほど蓮が去っていった方向へと視線を向ける。
「蓮の姿を、一目でも見られればと思ってな。」
あまりにも、あっさりとした言い方だった。
「それだけですか……?」
「それだけだ。」
即答だった。
「この程度の仕打ちなど、問題にもならん。魔王という立場になる前から、似たような場は嫌というほど経験している。」
そう言ってから、口角をわずかに上げる。
「むしろ、あの王の態度は予想通りだ。失望もしていない」
その落ち着きに、ルシアンは思わず小さく息を吐き、そして――笑った。
「……そう言っていただけると、少し救われます。」
「救われる必要はない。」
レナトスは静かに言う。
「お前は、正しいことをしている。正しさが、いつも歓迎されるとは限らんだけだ。」
その言葉は、慰めではなく、事実として淡々と語られた。
だからこそ、重みがあった。
「それに」
レナトスは、少しだけ声の調子を変える。
「蓮はこちらでも、元気に過ごしているのだろう?」
その問いに、ルシアンは頷いた。
「ええ。相変わらず……落ち着きはありませんが。」
思い出すように、表情を和らげる。
「邸内を動き回り、体術の稽古や庭仕事にまで首を突っ込んでいるようです。」
「ほう。」
レナトスの目が、楽しげに細められた。
「やはりか。」
「え?」
「いや、変わっていないと聞けて安心した。」
そう言って、今度ははっきりと笑う。
「環境が変わろうと、立場が変わろうと、あの娘はあの娘だな。」
ルシアンも、つられるように笑った。
「こちらでも、皆に驚かれていますよ。」
「だろうな。」
レナトスは腕を組む。
「セリオンに収まるような女ではない。」
その名が出た瞬間、ルシアンの表情が、ほんのわずかに引き締まった。
「……兄上は」
言いかけて、言葉を選ぶ。
「この状況を、快く思ってはいないでしょう。」
「当然だ」
レナトスは即答する。
「王の意志に逆らえぬ立場にいる者ほど、己の無力さを噛みしめる。」
そして、ふと視線を鋭くした。
「だが、覚えておけ。今日ここで起きたことは、必ず意味を持つ。」
「意味、ですか?」
「ああ。」
「お前が何を大切にし、誰がそれを否定したのか。見た者は、見ている。」
ルシアンは、ゆっくりと頷いた。
「……はい。」
「それに」
レナトスは、広間を見渡す。
人影の減ったその空間に、わずかに残る貴族たち。様子見を決め込む者、計算を巡らせる者。
「今夜、ここを去った者たちも、また戻ってくる。」
「戻ってくる?」
「風向きが変わったときにな。」
その言葉に、ルシアンは息を呑んだ。
「その時、お前はどう立つ?」
問いかけ。
試すような、しかし期待を含んだ視線。
ルシアンは、迷わず答えた。
「……同じ場所に立ちます。」
「ほう。」
「人と魔族が、同じ地平に立てる場所を。」
短い沈黙。レナトスは満足そうに頷いた。
夜は、まだ終わらない。
だが、この祝宴は、すでに終わっていた。
残されたものは、静かな決意と、確かな種。
それが、いつ芽吹くのかは。まだ誰にも分からなかった。




