街に宿る願い
昼食を終えたあと、蓮の様子を見ていたセリオンは、ふと箸を置いた。
「……ルシアン。少し外に出ようと思う。」
「兄上もそう思ってましたか。」
ルシアンは静かに微笑む。
向こうで、まだぼんやりと遠くを見ている蓮に声をかけた。
「外……?」
「視察ばかりでは息が詰まる。たまには、街を歩いてみるのもいいだろう。」
カイやソラもついて来ようとするが、セリオンのひと睨みで足を止めさせた。
こうしてセリオンは蓮を連れ出した。
その瞳には、氷のような冷たさと、どこか焦れたような色が混じっていた。
事前にルシアンが持ってきていた小瓶を手に取る。
「言われていた変身薬だよ。少しの間、魔族の姿に偽装できるんだ。蓮、これなら誰にも気づかれず街を散策できるよ。」
「……そんなものまであるのね。」
蓮は驚きを隠せない。
「兄上が前に素の魔族の様子を見るためにって言ってきて、作らされたんだ。」
ルシアンは軽く肩をすくめ、三人はそれぞれ薬を口に含んだ。
ひんやりとした液体が喉を滑り落ちると、身体の輪郭が揺らぎ、肌の色や耳の形が少しずつ変わっていく。
蓮の髪は灰青に、セリオンの瞳は真紅から金色に、ルシアンは紅を帯びた髪に変わった。
鏡代わりの水面に映る姿に、ルシアンが笑う。
「これなら、誰にも皇子だなんて思われないね。」
「悪くない。後はこれに着替えよう。」
セリオンは短く答え、マントを翻した。
午後の街は、太陽が傾き始め、賑わいの中に穏やかな温もりが満ちていた。
変身薬で魔族の姿になった三人は、人目を気にせず石畳の通りを歩く。
建設途中の交流所を中心に、行商人や職人たちが行き交い、香辛料の香りや焼き菓子の甘い匂いが漂っている。
人間の街とは違う、しかしどこか懐かしい活気がそこにあった。
「ほら、見て。あの子、魔法で風船を浮かせてる。」
ルシアンが指差した先で、子どもたちが空に向かって小さな光の球を飛ばしていた。
それを追いかけながら、魔族の親たちが優しく笑う。
「……なんだか懐かしい。」
蓮がぽつりと呟いた。
「懐かしい?」
「うん。向こうの世界にも、似たような市場があって。賑やかで、少し雑多で……でも、人の声が生きてる感じがした。」
ルシアンが優しく頷く。
「そうなんだ!君の世界と僕らの世界、他にも似ているところがいっぱいあるかもしれないね。」
「うん、そうかも。」
セリオンはそんな二人を横目に、黙って歩き続けた。
人混みの中で、蓮の表情が少しずつ和らいでいく。
その変化を見逃さない自分に、彼は内心で苦笑する。
(帰るかもしれない者に、どうして……)
胸の奥に、何とも言えない痛みが広がる。
途中、ルシアンが露店の花を手に取り、二人に差し出した。
「ほら、兄上。せっかくだし、旅の記念に。」
「花など……」
「この色、蓮に似合うと思うんだ。」
真っ直ぐに蓮を見つめるルシアンの言葉に、蓮は少し照れたように笑う。
「ありがとう。綺麗だね。」
その笑みに、セリオンは目を逸らした。
少し先では、職人風の魔族が木の彫刻を売っていた。
手のひらサイズの小さな守り石――二つの異なる種族が手を取り合う姿を象ったもの。
「“共に生きる願い”を込めたお守りだよ。最近、人間との交流を喜ぶ声が増えてね。ほら、この街にも、人間の娘に助けられたって話があるだろう? その人に感謝を込めて作ったんだ。」
職人は誇らしげに語る。
蓮ははっとして目を瞬かせた。
「……そんなふうに言ってくれてるなんて……。」
その瞳がほんのり潤む。
ルシアンは微笑んで職人に礼を言い、蓮の肩を軽く叩いた。
「すごいね、蓮!君の想いは届いてる。」
蓮は小さく頷いた。
「……うん。」
その会話の少し後。
ルシアンが興味深げに別の屋台へ足を運んでいる間、セリオンはふと視線を戻した。
先ほどの露店。
あの職人がまだ、お守りを丁寧に布で磨いている。
セリオンは人知れず足を向け、無言で一つを指さした。
「これを、包んでくれ。」
「お、いい選びだね。恋人への贈り物かい?」
職人の軽口に、セリオンは一瞬だけ視線を逸らした。
「……違う。」
その短い返答に職人は笑い、丁寧に包みを差し出した。
夕暮れ。
街の喧騒が落ち着き始める頃、三人は帰路につこうとしていた。
ルシアンが先に少し離れた場所で馬車の手配をしている間、蓮は街角で名残惜しそうに振り返っていた。
その背後から、静かな声がした。
「これを、お前に。」
振り返ると、セリオンが立っていた。
いつもの無表情のまま、手の中には小さな包み。
蓮が受け取ると、あの“共に生きる願い”の守りが現れた。
「これ……さっきのお店の……」
「お前の行いが、この街にこういう“形”を生んだ。
それを見たら……買わずにはいられなかった。」
その言葉は短く、しかし確かに胸に響いた。
「でも……セリオンは、人間と魔族が交わることに反対してるんじゃ?」
蓮の問いに、彼はわずかに視線を落とした。
「俺は、理想を信じていない。だが……努力する者を否定することも、できない。」
沈黙。
夕焼けの光が、彼の紅き色の瞳を照らす。
その横顔に、蓮は微かに息をのんだ。
「……ありがとうございます。大切にします。」
セリオンは小さく頷くと、何も言わず歩き出した。
その背に夕陽が重なり、橙の光の中で彼の影が少し揺れた。




