光の下の約束
朝の光が、薄いカーテン越しに差し込んでいた。
蓮が目を覚ました時、最初に感じたのは温もりだった。
背後から回された腕。逃がさぬように、それでいて力を入れすぎない抱擁。
「……朝?」
小さく呟くと、すぐに低い声が返る。
「起こしたか。」
「ううん、大丈夫。」
身じろぎすると、腕がほんの少し緩んだ。
離れるつもりはない、という意思が伝わってくる。
「よく眠れたか。」
「うん。……すっきりした。」
それだけで十分だった。
それ以上の言葉は交わさず、しばらく朝の気配を共有する。
やがて、レナトスは静かに体を起こした。
「約束通り、連絡を取ろう。」
その言葉に、蓮はぱっと顔を上げる。
「本当? ありがとう。」
「午後には都合をつけさせる。アストラ・リンクは準備が要るが、問題ない。」
レナトスはそう言って、指先で蓮の額に触れた。
かつて傷があった場所。今は、何の痕跡も残っていない。
「……すぐに戻る。」
そう告げて部屋を出ていく背中を、蓮は静かに見送った。
その日の午後。
城内の一室に設えられた、儀式用の円陣が淡く光を帯びていた。
床に描かれた星図。壁に埋め込まれた魔石。
アストラ・リンク。遠隔対面の術式。
レナトスとユリウス。
そして初めてのことでそわそわする蓮がいた。
「緊張しているか?」
「ちょっとだけ。でも、会えるのは嬉しい。」
ユリウスが微笑み、肩をすくめる。
「向こうはもっと緊張しているでしょうね。」
レナトスが合図を出すと、円陣の光が強まり、空間が揺らいだ。
やがて、対面の向こう側に、二つの姿が浮かび上がる。
一人は、よく知る顔。
アストリア王国第一皇子セリオン。
その隣に、穏やかな眼差しの青年が立っている。
第二皇子のルシアンだ。
「……蓮。」
その声は、震えていた。
姿を認めた瞬間、セリオンの表情が崩れる。
安堵と、張り詰めていたものが解けた反動。
「本当に……無事だった……」
言葉が続かず、息を整える。
そして、深く頭を下げた。
「申し訳なかった。」
蓮が言葉を挟む前に、謝罪は続く。
「君を元の世界に還せなかったこと。
こちらの事情に巻き込み、不安な思いをさせたこと。
守ると約束したのに、果たせなかったこと……すべて、私の責任だ。」
一国の皇子とは思えないほど、率直で、必死な声だった。
蓮は、静かに首を振る。
「大丈夫だよ、セリオン。」
優しい目で、まっすぐに見つめる。
「一緒にいたから、分かってる。
セリオンが、私のためにどれだけ動いてくれたか。」
その言葉に、セリオンの胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「今回のことは、セリオンのせいじゃない。」
「……蓮。」
「だから、謝らなくていい。」
そのやり取りを、ユリウスは黙って見ていたが、やがて口を開いた。
「だが、一つ聞かせてもらおう。」
視線は鋭い。
「なぜ、別の場所へ飛ばされた?」
その問いに、セリオンは一度、目を伏せた。
「……儀式を行った聖職者、エセルテ・ルナドから条件を出された。」
ルシアンが、補足するように続ける。
「姪のサラを、側室として迎えろ、と。」
蓮の肩が、わずかに強張る。
セリオンは、苦い表情のまま語った。
「王国の安定のためだと……私は、その条件を呑んだ。
だが、サラは厄介な人物だった。」
声が低くなる。
「彼女は俺の別邸にいる蓮に嫉妬し、怪我をさせた。」
その瞬間、室内の空気が変わった。
レナトスとユリウスの魔力が、わずかに揺らぐ。
怒りが、抑えきれずに滲み出る。
「儀式当日も、サラの指示で、エセルテが術式を歪めた。
……別の場所へ、飛ばしたのだ。」
「……止められなかった。」
セリオンは、再び頭を下げた。
「怪我をさせた時点で、止めるべきだった。
彼らを信用した私の、落ち度だ。」
謝罪の言葉は、何度も重なる。
レナトスは何も言わない。
だが、その沈黙の奥で、二つの名を深く刻みつけていた。
その時。
「……あれ?」
ルシアンが、ふと蓮の顔を見て声を上げた。
「額の傷が、ない。」
一瞬、間が空く。
「そんなにひどい傷だったのか。」
ユリウスの声が低くなる。
レナトスも、蓮の額をじっと見つめた。
怒りが、さらに深く沈殿していく。
蓮は、きょとんとしてから、あっけらかんと笑った。
「うん、最初はちょっと残るかもって言われてたけど。」
「でも?」
「エルフの森で生活してたら、いつの間にか消えてた。」
「……は?」
セリオンとルシアンが同時に声を上げる。
「薬とか、治療とか……?」
「特に何も。普通に暮らしてただけ。」
そののんきな返答に、場の緊張が、わずかに緩む。
それから蓮は、エルフの森での出来事を話した。
保護されたこと。
働いた街。
一緒に旅をしたエリアスのこと。
セリオンとルシアンは、時に安堵し、時に息を呑みながら聞いていた。
やがて、話は尽き、終わりの時間が近づく。
「また、別邸のみんなにも会いに行くねー。」
その一言に、セリオンとルシアンの顔が明るくなる。
「……本当か?」
「うん。」
「いつでも歓迎する。」
だが、その直後。
「蓮。」
レナトスが、静かに名を呼ぶ。
「少し席を外してくれるか?」
レナトスが、一歩前に出た。
声は低く、静かだった。
「え?」
突然の言葉に、蓮は目を瞬かせる。
「今後のことで、この二人と私で少し話すことがある。」
声は穏やかで、有無を言わせないものではない。
だが、明確な線引きだった。
蓮は一瞬迷い、それから小さく頷く。
「……分かった。」
名残惜しそうに一度だけセリオンたちを見る。
「じゃあ、またね。」
「ああ。」
「ゆっくり休んでください。」
アストラ・リンクの向こうから返る声を背に、蓮は部屋を退出した。
気配が完全に遠ざかったのを確認してから、レナトスは口を開く。
先ほどまでとは、明らかに違う声音だった。
「――さて。」
その一言で、空気が変わる。
「お前たちの説明は聞いた。経緯も、事情も理解した。」
セリオンとルシアンを、まっすぐに見る。
「それでも、お前たちは、あのような危険な目に彼女を遭わせた。彼女が許すとしても、私は違う。」
わずかな間。
「現在、お前たちは信用には値しない。ただし、信用とは取り戻せるものだ。お前たちはどうする。」
そう言って、術式を断ち切った。
光が消え、室内が静まる。
城の外では、穏やかな午後の光が、世界を照らしていた。




