森に迎えられし客人
長老の静かな声が、響く。
「つまり、そなたは“元の世界”から意図せず召喚され、この地で魔王レナトスと接触し、再び戻る術を失った。その結果、フォルトゥナ城、もしくは一度足を運んだことのあるガランを目指していた、ということだな。」
蓮は深く頷いた。
これ以上、飾る言葉も隠す言葉もなかった。
「はい。……フォルトゥナ城には、少なくとも状況を知っている人物がいます。ガランも、一度滞在したことがあり、多少の伝手があるかもしれないと思って。」
長老は顎に手を添え、しばし考え込む。
長命の時を生きてきた者特有の、急がぬ沈黙だった。
「なるほどな。」
そう呟くと、彼は蓮を真っ直ぐに見据えた。
「まず理解してもらわねばならぬ。
この森、エルフの森は、地図に記されていない。
いや、正確には“記されないようにしている”場所だ。外界に知られては困る。
ゆえに、もしそなたが森を出ることになった場合、ある程度の地点まで目隠しを施させてもらう。」
拒絶ではなく、淡々とした事実の提示。
蓮は即座に頷いた。
「それは当然です。」
長老の口元に、わずかに笑みが浮かんだ。
「話が早いな。……もう一つだ。この時期、森の外はあまりにも騒がしい。」
エリアスが一歩前に出る。
「魔物が、例年より荒ぶっています。群れの移動も激しく、人里近くに出没する例も増えている。」
「そういうことだ。」
長老は言葉を引き取った。
「人間の足で移動するには、あまりにも危険だ。少なくとも一ヶ月いや、状況を見てからになるが、そのくらいはここに留まった方がよいだろう。」
蓮の胸に、安堵と焦りが同時に広がった。
それでも、今は――。
「……わかりました。」
そう答えた蓮を、長老はじっと見つめる。
「不満はないのか?」
「ありません。命を救っていただいた上、ここに置いてもらえるだけで十分すぎるほどです。」
その率直さに、今度ははっきりとした笑みが浮かんだ。
「では、一つだけ、こちらからも条件を出そう。滞在中は、この森の掟に従うこと。勝手に奥へ踏み入らぬこと。争いを持ち込まぬこと。」
「はい。」
「それが守れるなら、そなたを客人として迎えよう。」
その言葉が落ちた瞬間、蓮はようやく肩の力を抜いた。
生き延びられる。
だが、次に思い浮かんだのは、あの二人の顔だった。
レナトス。そして、セリオン。
蓮は一瞬、迷い、それから意を決して口を開いた。
「長老。ひとつ、お願いがあります。」
「申してみよ。」
「……せめて、無事だけでも伝えたいんです。手紙を出すことはできないでしょうか?」
エリアスとリュミエが、同時に蓮を見る。
長老はすぐには答えなかった。
「手紙か。」
「内容は確認していただいて構いません。場所のことも、森の内部のことも、一切書きません。
ただ……儀式は失敗し、今はエルフの森で世話になっている。
一ヶ月後に森を出て、フォルトゥナ城を目指す。
心配はいらない、と。」
しばしの沈黙。
やがて長老は、小さく息を吐いた。
「……それならば、よかろう。ただし、内容は必ず確認させてもらう。」
「ありがとうございます!」
蓮は思わず頭を下げた。
その日のうちに、蓮は紙とペンを借り、机に向かった。
久しぶりに文字を書く手は、わずかに震えていた。
余計なことは書かない。
だが、冷たすぎても伝わらない。
何度か書き直し、最終的に短い文にまとめる。
――儀式は失敗したが、命に別状はない。
――エルフの森で保護されている。
――一ヶ月後、森を出てフォルトゥナ城を目指す予定。
――心配無用。
それだけ。
それでも、胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ軽くなった。
手紙は長老の確認を経て、外へと運ばれることになった。
「さて。」
話が一段落したところで、エリアスが蓮に声をかける。
「ここに滞在することは決まったが……ただ飯を食わせるわけにはいかないな。」
その言葉に、蓮は思わず笑った。
「実は、それを聞こうと思っていました。何か、私にできることはありませんか?」
エリアスは一瞬考え、リュミエの方を見る。
「では、いくつか頼もう。」
まず任されたのは、食料調達の手伝いだった。
森で木の実の採集や、罠の回収。
力仕事というほどではないが、慣れない森の中を歩くのは骨が折れる。
次に、エルフの子供たちの相手。
最初は人間というだけで距離を取られていたが、数日もすれば状況は一変した。
「ねえねえ! 外の世界って、ほんとに石のお家ばっかりなの?」
「剣って、ほんとに振ると光るの?」
質問攻めにあい、追いかけ回され、気づけば一緒に木に登っていた。
「……私、何しに来たんだっけ」
呟くと、子供たちが楽しそうに笑う。
空いた時間には、エリアスから弓を習うことになった。
「狩りの効率を上げるなら、これが一番だ。」
最初はまともに的に当たらなかったが、姿勢や呼吸を直されるたび、少しずつ感覚が掴めてくる。
弓を引く。
息を止める。
放つ。
矢が、初めて的の端に刺さったとき、思わず声が出た。
「……当たった!」
「悪くない。」
エリアスは短くそう言った。
そうして始まった、エルフの森での生活。
朝は澄んだ空気の中で目を覚まし、昼は森を歩き、夜は静かな焚き火を囲む。
不思議と、心は落ち着いていた。
だが――。
この森は、永住の地ではない。
一ヶ月後、蓮はここを出る。
フォルトゥナ城へ向かうために。




